mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
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暑中お見舞い申し上げます



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毎日暑い日が続きますが、如何お過ごしでしょうか。
私は毎日グダグダと過ごしています。
この画像も、避暑地のリゾートホテルで撮ったように見えて、実は近くのデパートの中庭で撮ったものです。
最近めっきし遠出しなくなりました。
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夏といえばそうめんですけど、茹で加減や汁の甘さ、薬味のチョイスなど、ベストなものを出してくれるお店を探すのは結構難しく、そもそもそうめんとは、お蕎麦屋さんが季節ものとして扱っているものでそこまでこだわってはいないので、理想を追い求めるなら自分で作ったほうが早いです。
簡単ですし。
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そして夏に欠かせないのが夏野菜の糠漬けですが、お店で出てくるのは見た目重視で色鮮やかなのですけど、私はちょっと色がくすむくらい長く漬けてあるものが好きなので、これも毎年自分で作ってます。
そうめんも糠漬けも料理というにはちょっと微妙な食事ですけど。

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# by sweetmitsuki | 2017-07-19 06:36 | ぬくぬく引きこもり記 | Trackback | Comments(6)

ライスのプレーンキャセロール

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日中の陽が射す時間帯は汗ばむほどに暑いのですが、朝晩や曇りの日はカーディガンが手放せず、夜には温かい食事が嬉しい今の季節、私は今くらいがいちばんいいです。
秋も涼しくていいのですが、残暑が終わったから台風が来て慌しく、これから寒くなると思うと無性に切なくて、やっぱし秋よりも初夏のほうがいいです。
さて、10センチくらいの小さなキャセロール調理具を入手しましたのでキャセロールを作ってみました。
材料はシンプルに、一年中入手可能なライスのみを使用。
容器が小さく、家庭用のコンロだと安定しないので金網を敷きます。
蓋をせず中火でひと煮立ちさせたら蓋をして弱火で15分煮込み、火を止めて5分蒸らしたら完成です。
素材を生かすため敢えて調味料は使いません。
プラムのピクルスを添えれば出来上がり。(これが本当にキャセロールというフランス料理なのかどうかは不明。)

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直火で炊いただけあってしっかり蟹穴も開いてお米が立ってます。

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# by sweetmitsuki | 2017-06-18 11:23 | ぬくぬく引きこもり記 | Trackback | Comments(2)

枇杷の生る辻

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いつも通る三叉路の傍らにあるお地蔵さまの木が今年もいつものようにオレンジ色の実を生らせました。
果物は秋のものというイメージがありますけど、イチジクや枇杷をはじめ今の季節に実の生る果樹はたくさんあります。
イチジクも琵琶もいつ花が咲いたのかわかりませんでしたが、甘い香りと果実の鮮やかな色は遠目にもよくわかります。
枇杷を植えると不幸がおこるなどという迷信があって、今ではお地蔵さまの祠の上ぐらいでしか見ることがなくなってしまいましたが、このお地蔵さまは遠目に見てそれとわかるくらい、黒く煤けているのです。
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なんだか子供が悪戯でつけたように見えなくもないのですが祠の周辺はいつも綺麗に掃き清められていて生花も欠かさずお供えされているのに顔の汚れはそのままで祀られているというのが変といえば変です。
それとも子供の落書きに見えるだけで何かの呪術が施されているのでしょうか。
謎は深まるばかりです。
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さすがにお地蔵さまのを捥いでくるわけにもいかないので、八百屋さんで買い求めました。
千葉県産です。
万物はすべて空ならば、一度口にした果実は種まで残さず喰うのが仏の道だそうで、氷砂糖とホワイトリカーに漬けてみました。
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三か月ほどで飲めるようになる予定です。


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# by sweetmitsuki | 2017-06-09 21:35 | おどろけー | Trackback | Comments(2)

太陽の恵み

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私が使ってる太陽光パネルはドイツのQ-セル社製で、日本製の一般的なパネルに比べ日射量が少ない早朝や夕方でも発電することができ、1日における発電時間を増やすことができるといわれてます。
これは別に日本がドイツに劣っているというわけではなく、発電量の変換効率が高いパネルはそれだけ値段も高く、日照時間の少ないドイツ国内でこそその威力を発揮できるのですが、逆に日照時間の長い日本ではもっと低価格で低能力のパネルにコストパフォーマンスで負けてしまうので普及しないのです。
ちなみに自然エネルギー先進国といわれている北欧が太陽光発電の分野で上位にいないのも同じ理由で、日照時間がさらに少ない北欧では太陽光発電は採算が合わないのです。
低価格といえば、かつてカドミウムがパネルに使われていた時代がありました。
1984年に松下電器(現パナソニック社)がそれまでのシリコンを使ったパネルに比べ大幅に生産コストを下げられるとしてテルル化カドミウム(通称カドテル)を使ったパネルを世界初の商品化に成功していますが、イタイイタイ病で知られるカドミウムを大切なマイホームの屋根に乗っけようとする人はおらず、すぐに製造が中止され、現在国内でカドテルを製造しているメーカーはなく開発も継承されていません。
ところが、アメリカのファースト・ソーラー社が生産コストが安いことに目を付け2002年にカドテルの生産を開始し、2013年には日本法人を設立し、日本市場の本格的な開拓に乗り出したそうです。
カドミウムを住宅の屋根に乗っけて本当に大丈夫なのか不安ですが、この懸念に対応するため、ファースト・ソーラー社では同社の販売したカドテルを使用後に無償で引き取り、製品に含まれるカドミウムをリサイクルする制度を導入しているそうです。
安全面はそれでいいとしても、カドテルに使われているテルルは希少金属で、資源量を懸念する声もあり、そちらも気になります。
このブログの広告欄にも「太陽光発電で遊休地が収入に激変」「サラリーマンでもお気楽に始められる太陽光発電投資」とか調子のいいことが書いてありますけど、このようにひと口に太陽光発電といってもピンキリで、本当にそんなおいしい話があるのかどうか眉唾です。
太陽光発電は儲かるのか?
太陽光発電で脱原発できるのか?
残念ですが私が調べた範囲では、どちらもNOといわざるを得ません。
ただ、太陽光発電は人類に必要最低限度のエネルギーをもたらしてくれるのだけは間違いないようなのです。

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# by sweetmitsuki | 2017-05-18 04:42 | 家の裏で原発が死んでる | Trackback | Comments(4)

陽の光浴びて

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今年も無事食用ヒョウタンと綿花が発芽しました。
この種は種苗会社から購入したものではなく私が去年の収穫品から自家採種したものです。
よく、モンサントが農家から自家採種する権利を奪ってけしからんとかいう人がいますが、今どき、よっぽどの物好きでもないかぎり自家採種なんか誰もやってません。
農家は農業で利益を出さなければいけませんから、多少の投資はしても収穫に保証のある種苗会社の製品を買うのが賢いやり方で、元手がいらないとはいえ、品質にばらつきのある自家採種は博打でしかないのです。
ですからすぐれた栽培品種を開発しているモンサントは優良企業というべきで非難するのは筋違いでしょう。
とはいえ、私は野菜栽培で利益を考えてないですし、よっぽどの物好きの一人なので、こうして自家採種を毎年育てています。
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去年の夏に設置した太陽光発電も順調で、リチウムイオン乾電池ぐらいなら余裕で充電できます。
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コードレスクリーナーだってこの通りです。
サンライズ立ち。(オモチャの掃除機だけでなく本物の充電式掃除機の充電もできます。)

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# by sweetmitsuki | 2017-05-15 10:51 | 金魚鉢の中の宇宙 | Trackback | Comments(4)

本当は恐ろしい「はてなの茶碗」

落語の演目に「はてなの茶碗」という噺がありまして、これには天皇が登場するほか、関白・鷹司公とか鴻池善右衛門とか実在の人物が数多く登場するので、実際に起きた出来事をもとに作られたのではないでしょうか。
実在の人物とはいえ、鷹司家も鴻池家も古くから続いてる家なのでいつの時代の誰なのかといわれると即答に困るのですが、この話のラストで、油屋が「茶金はん、こんどは十万八千両の大儲けでっせ。」といってるところに注目したいです。
一合の茶碗が千両なら、一斗の水瓶は十万両になる計算で、どうして十万八千という中途半端な数字が出てくるのかわかりません。
調べてみますと天明の飢饉のとき幕府は大阪の豪商に困民救済のため御用金を供出するよう命じており、鴻池家は銀千八十貫目を献上したという記録があり、108という数字はここからきてるのではないでしょうか。
そもそも、ひび割れしてないのに水が漏る茶碗というのは、真面目に働いてるのに金が貯まらない人を暗示していて、つまり油屋ははてなの茶碗そのものです。
当時(今でも)油屋のような身の上の人はたくさんいましたから油屋ひとりが大金を得てそれで終わりというのは不公平で、金持ちは貧乏人の生活改善のために少なくともその108(煩悩の数ですね)倍の金を出すべきだというのでしょう。
そして関白・鷹司公ですが、公家の中でも関白に任官されるのは、近衛・九条・二条・一条・鷹司の五摂家だけなのですが鷹司家はマイナーな家柄であんまし関白を出していません。
ところがこれも天明の飢饉のとき、光格天皇は関白・鷹司輔平を通じて幕府に窮民救済をするよう書簡を送ったという記録が残っているので、「はてなの茶碗」に登場する時の帝とは光格天皇で間違いないでしょう。
つまり、「はてなの茶碗」とは滑稽な笑い話ではなく、天明の飢饉のとき、農村では餓死者も出るほどの惨状だったのに、都市に住む一握りの富裕層は骨董品の収集に千両の大金を惜しみなく散財していたことを嘆いた社会への風刺なんじゃないでしょうか。
と、まあ好き勝手に喋り散らかしてしまいましたが、「はてなの茶碗」をそのように解釈する論説はなく、いつものように私が勝手に落語の筋書きに史実を繋ぎ合わせただけなのですけど、優れた落語作品というのはその気になればどのようにでも深読みすることができ、だからこそ現代にまで語り継がれているのでしょう。

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# by sweetmitsuki | 2017-04-30 08:24 | おどろけー | Trackback | Comments(2)

朝鮮の閔妃と日本の後桜町天皇

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幕末から明治にかけての歴史資料を読んでいると、日本人がいわゆる皇国史観を持つようになったのは日清戦争の後からで、江戸時代にはほとんどの人が天皇の存在すら知らなかったと書かれていることが少なくないのですが、私はこれには首を傾げてしまいます。
その理由の一つである「御所御千度参り事件」について少し述べさせていただきます。
江戸時代の後期、智子という皇族の女性が後桜町天皇として即位します。(1762~1770)
異母弟の桃園天皇が22歳の若さで死んでしまい、その息子の英仁親王が後桃園天皇として即位するまでの代役のはずだったのですが、後桃園天皇も22歳で死んでしまい、天皇には1歳にも満たない娘の欣子内親王しかいなかったため、いくらなんでも0歳の赤ちゃんと成人男子を結婚させるわけにもいかず、閑院宮家という傍系の第六皇子祐宮師仁を年が近いという理由で婿にして光格天皇として即位させたため、上皇として天皇を支えなければならなくなってしまったのです。。
(つまりは神武天皇から絶えることなく男系の直系の子孫が天皇になってるなんてのはウソなんですねい。)
その光格天皇が17歳のとき、「御所御千度参り事件」は起きました。
天明7(1787)年6月7日、素性の知れない老人が始めたのが発端だそうですが、京都の御所の築地塀の周りを廻る「御千度(おせんど)」をする人々が現れたそうです。
7日には50人ほどの程度であったが、次第に数を増し10日には1万人もの老若男女が集まって塀の周りを廻った。その人数は、18日前後には一日7万人に達したといいます。
人々は南門にたどり着くと、銭を南門前面の敷石に投げ入れ、その向こうにある紫宸殿(ししんでん、御所の正殿)に向けて手を合わせたといいますから現代の詣と同じようなことをしたのです。
この「御所御千度参り」に集まったのは京都の人だけでは なく、噂は大阪や近国にまたたく間に広まったそうです。
暑さの厳しい頃なので、御所では築地塀の周囲の溝に、冷たい湧き水を流して、手や顔を洗えるようにしました。後桜町上皇は、3万個の和りんごを配らせましたが、昼前になくなってしまったらしいです。隣接する有栖川宮家、一条家、九条家、鷹司家も、茶や握り飯を配りました。
何故人々は御所に集まったのでしょうか。
実はこの年、江戸四大飢饉のひとつとして数え上げられている天明の大飢饉の影響で、米価が高騰し、餓死者まで出るという悲惨なことが起きていました。人々は、幕府の京都所司代や京都町奉行所に繰り返し嘆願したのですが、これらの役所はいっこうに救済策をとらなかったので代わりに天皇に詣でたのです。
光格天皇は、これを見て、すぐさま行動に移りました。
関白・鷹司輔平を 通じて、対幕府の窓口である武家伝奏に、幕府方の京都所司代 に対して窮民救済に関する申し入れをするよう、命じたといいます。
実は江戸時代には、天皇は武士のやることに口を挟んではいけないという決まりがあって、そんなことをすれば後桜町上皇も光格天皇も流罪に処せられてもおかしくはなかったのですが、それも覚悟の上だったのでしょう。
江戸の幕府は、朝廷からの申し入れを受けて、千石(15トン) の救い米放出を命じ、これを朝廷に報告します。
この頃は一揆や打ちこわしなど、民衆の不満がピークに達していましたから、さらに天皇(しかも女と子供)を敵対するのは分が悪いと考えたのではないのでしょうか。
この年の11月に挙行された大嘗祭では、光格天皇の次の御製が世上に流布し、評判となりました。

身のかひは何を祈らず朝な夕な民安かれと思うばかりぞ
(自分のことで何も祈ることはない。朝な夕なに民安くあれと思うばかりである)

じっさいのところ、江戸時代の一般市民が天皇のことをどう思っていたのかは詳しい資料が残っていないのでよくわからないのですが、天皇が民衆のことをどう思っていたのかについては、このように資料が残っています。
ですが天皇も現人神ではなく人間ですから歴代の天皇がすべてこんな立派な人だったのかどうかは不明です。
「牝鶏嘶けば国滅ぶ」という言葉があるくらいで、女性が玉座に就くのは傾国の前兆ともいわれていて、実際隣国の清は西太后の時代に、そして朝鮮では閔妃の時代に国が滅んでいます。
男性の皇位継承者が現れず、女性が天皇になって、しかも天災が起き飢饉になり民衆が反乱を起こしても国が滅びなかった日本は本当に奇跡としかいいようがありません。

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# by sweetmitsuki | 2017-04-26 04:14 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(0)

朝鮮のクッパと日本のおにぎり

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民乱の時代 秩父農民戦争と東学農民戦争
河田宏 著
原書房 刊
この本が執筆されたのが2011年のことだそうですから6年たった今、明治ブームはますます過熱しやれ教育勅語を復活させろだの憲法を明治憲法に直せだの騒々しいです。
ですが明治って本当にそんな素晴らしい時代だったのでしょうか。
日本は明治の頃農民蜂起が頻発し、その最大規模で組織的な武装蜂起だったのが秩父事件で、隣国朝鮮ではその数倍規模で東学党の乱がおきています。
こんなことを書くと「確かにそんなこともあったけど、当時は欧米列強が牙を剥いてそこまで手が回らなかったんだ。それより日本人なら祖先の偉業である明治維新を誇りに思うべきじゃないか。」といわれそうですが、グローバリズムとか新自由主義とか欧米列強が牙を剥いてるのは今も同じで、この問題は収束もしてなければ決着もついてないのです。
それと、この問題を日本と朝鮮の民族問題だとはき違えている人がいますが、それも違うと思います。
これは、真面目に働いてる大多数の人間が生活に窮しながら、僅かな人間が富を独占しているという社会の矛盾の問題なのです。
驚きなのは、まだ社会主義という概念のなかった時代に、東学党農民軍は朝鮮政府に対し、農民の自治組織である執綱所(チプカンソ)を設けることを認めさせることで和約していました。
これこそが農民革命の基礎となるものであり、村落中心の土地公有制度を実現するものでありました。(日清戦争で日本軍に潰されてしまうのですが)
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民族の問題ではないと申し上げはしましたが、同じように困窮し、同じように蜂起した農民でも、日本人と朝鮮人ではやることなすことすべて違うのでそれも驚きです。
たとえば、普段麦粥しか食べてない農民も、いざ決起すれば首謀者によって白米が配られるのですが、朝鮮人はそれを椀に盛ってスープをかけて食べるのに比べ、日本人はおにぎりにして食べます。
どうして日本人はおにぎりにするのかというと、個別の器を揃える手間を省くためと、なにより「みんなおにぎりふたつづつ。」と、食糧の分配を平等にするため。それと残りご飯を道明寺米(干し飯)にして保存しておくためなんですが、そんな理屈は抜きにして、日本人はおにぎりを食べると気分が高揚するのです。
これはもう、血のなせる業としかいいようがないのです。

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# by sweetmitsuki | 2017-04-25 04:45 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(0)

平成之教育勅語

教育勅語のなにがいけないのか、いろいろと指摘はあるようですけど、私としてはエコと省エネに対して一言も書かれてないのがいちばんの大問題だと思います。
明治時代にはそんなことはいちいち言葉に出していう必要はなかったのかもしれませんが、今の日本、天皇の命令文として自然環境への尊崇と畏怖の言葉がまったく書かれてないようじゃ八百万の神々が住まう国のバイブルとして不適切にも程があるんじゃないのでしょうか。
それともうひとつ、これは教育勅語の矯正不能な欠陥なのですが、明治時代に発せられたため明治時代の文体で書かれていて、現代の子どもには理解できないということ。
ですから誰かがわかりやすいように意訳しなければならないのですが、そんなことをすればそれはその時点で勅語ではなくなってしまうのですよ。
天皇陛下の口から直接出たものでないものを勅語とはいいません。
ですから、勅語を学校教育に取り入れたいのなら現代の言葉を使っている今上陛下の言葉の中からそれに相応しいものを探すしかないのだと思います。
たとえば、そうですねい。1995年、植樹祭のとき、美智子皇后陛下はこんな和歌を詠んでいます。

初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな

これは和歌としてとてもいいのでそれだけで教科書に載せてもいいんじゃないかと思うのですが、労働の尊さや自然の恵みに対する感謝の気持ちなど、日本人が後世に伝えたいことが短い文言の中に教育力勅語を遥かに凌ぐボリュームで込められていて、とてもいいと思います。
教育勅語のさらなる欠陥として、長すぎて覚えにくいというのがあって、覚えにくい文書の暗記は、それだけで他の勉強の学習の妨げになるのですが、皇后陛下の玉歌は短いのですぐに覚えられ、それだけでも教育勅語より秀でています。
古いものより新しいものが正しく、伝聞よりも口移しのほうがより正しいのは当たり前のことですから、明治天皇の勅語の意訳などという得体の知れないものより、正真正銘純度100%の皇后陛下の言葉を学校教育には取り入れるべきなんじゃないのでしょうか。
とはいえ、天皇は政治や教育に口を挟まないというのが戦後民主主義の大前提ですからどんなに良いことでも勅語を義務教育の教材に使ってはいけないのです。でも皇后陛下の玉歌はとてもいいので勤皇ならもう一度斉唱しましょう。

初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな

日本人は戦争をしてはいけません。日本人は戦争をしてはいけません。他の国のように軍隊をもってもいけません。皇后陛下の勅語に逆らう奴は不敬罪で取り締まるべきです。
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# by sweetmitsuki | 2017-04-09 15:37 | Trackback | Comments(5)

秩父農民戦争

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おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ! 秩父事件を歩く
街と暮らし社 刊
筒井作蔵 著

遺跡を見に秩父に行ったとき(豊富な地下資源を産出したので広範囲にわたり大規模な古代遺跡があります)いろんなところで「秩父事件碑」なるものを見かけたので秩父で何か大規模な事件があったということは知っていました。
それで、本屋さんでこの本を見て、これのことか。と思い早速購入しました。
簡単にいうと、明治時代に起きた困窮民による武装蜂起なんですが、それがただの暴動ではなく農民戦争と呼ばれているのは困窮民たちがちゃんとした軍事組織と厳重な軍規を持っていたから。
戦争といっても彼らの要求は独立や自治ではなく高利貸しに対する債務の据え置き、賦払いの要求なんですが、話し合いによる決着がつかなかった場合、合薬をもって殺害すること、該件張本人が捕縛あいなり抑留されたら合薬破裂をもって警察を破壊し抑留人を救い出すことがあらかじめ話し合いで決められていました。
そして、この目的を達成するための軍資金の調達が行われ、その借用書が今も残っています。
じっさい、この事件は警察には勝ったものの軍隊によって鎮圧され首謀者らは信州に敗退するのですが、その先々で炊き出し(ろくなもの食べてません)の際、ちゃんと代金を支払っています。
そして軍規は相当に厳しく、私怨で人殺しをしたら即斬、婦女を姦したら即斬、金円その他を盗んだら即斬と決められていました。
「おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ」は農民組織化のスローガンでしたが、被弾した腕を医師により切断されその腕を枕に死んでいったなど、内容はかなりバイオレンス。
そして闘いが終わると、官によるさらなる暴挙が始まるというひどい結末。
それでも、圧政には暴力をもって立ち向かうしか道がなかったのでしょうか。
考えさせられてしまいます。

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# by sweetmitsuki | 2017-04-04 00:29 | Trackback | Comments(2)