IE9ピン留め
トップ
ロケットストーブ
誰にでも簡単に作れて高性能な、大人気のロケットストーブを作ってみました。(画像のチムニーはイメージで、関係ありませんので念のため)
オイル缶や一斗缶を使うのが一般的ですが、よりコンパクトに3リットルのペール缶をベースにしました。
画像だと大きさがよくわからないですが、高さ17センチ、幅15センチです。
普通の薪ストーブとどこが違うのかというと、燃焼効率が優れていて1/4以下の薪で充分な火力を引き出せるのです。
それはその構造に違いがあって、ヒートライザーと呼ばれる煙突とバーントンネルと呼ばれる燃焼室に特徴があり、燃焼ガスが十分に化学変化を起こして燃えるためなのですが、実際に作ってみた私にもこうやって書いててイマイチ分かってないので「ロケットストーブ 構造」で検索してみてください。それに結論からいうと一斗(18リットル)から3リットルへのスケールダウンにはかなり無理があったようで、点火するのに一苦労だったり、今後の課題をかなり残す事になってしまったのですが、それでも

①手軽に持ち運べる
②燃料は小枝や落葉
③料理が出来る


という当初の目的はクリアできてるので、まぁ初めて作ったにしては成功といえるんじゃないでしょうか。
とりあえず料理を作ってみる事に。
煤がかなり出るので家庭用の調理器具は使わず、フルーツの空き缶をリユースしてみました。
煮込む事およそ1時間、豚の角煮の完成です。
豚バラ肉の脂身はとろっとろに煮えて、ダイコンもニンジンもほくほくで、こちらの方は概ね成功です。
# by sweetmitsuki | 2012-01-29 15:55 | ハンドメイド大好き | Trackback | Comments(2)
しののめの道
古代史クイズです。
前方後円墳は北海道、青森、秋田と沖縄を除く日本全土と、朝鮮半島西南部(全羅北道、全羅南道)からおよそ5千基が発見されていますが、都道府県別でみた場合、もっとも前方後円墳が多いのはどこでしょう?

More
# by sweetmitsuki | 2012-01-22 19:05 | 古代史でポン | Trackback | Comments(2)
原発国民投票
去年の12月10日から東京都と大阪市で原発の是非を問う住民投票の実施を目指している市民グループが署名集めを始めたのだそうで、私は昨日、近所のターミナル駅に買い物に出掛けたら偶然遭遇し、そこで初めて知りました。
東京の場合、都民有権者の1/50にあたる約22万人以上の署名があれば、東京電力管内にある原発稼働の是非を問う都民投票条例の制定(=都民投票の実施)を求める事が出来るんだそうです。
間違いのないよう指摘しておきますけど、原発反対の署名ではなくて原発稼働の是非を都民投票で決めるための署名です。
つまり、署名が集まって都民投票が実施されたとして、そこで原発推進票のほうが多ければ原発は存続する事になるのです。
それでも、国の重要な法案は国民が直接投票で決めなければいけない時代が来ているのでしょうか。
期間は一部地域(選挙中の地域では署名禁止)を除いて2ヵ月、一部新聞では署名集めは難航しているようです。
興味のある方は「原発国民投票」をclick!
# by sweetmitsuki | 2012-01-08 21:06 | お出かけドリフト | Trackback | Comments(4)
アミとスミをかけたら効果抜群ハイタッチ
落語の演目に「へっつい幽霊」という噺があるのですが、ではへっついとは何なのかというと、ストーリーと関係ないので説明されない事が多く落語を聴いてもわからないとおもいます。

「へっつい幽霊」に登場するへっついのプロパティ
①ひとりでは持ち運べないけど、リヤカーあるいは天秤棒で担いで二人がかりでなら持ち運べる。
②漆喰で出来ているので角にぶつけると壊れるけど、多少壊れても使い勝手に影響はない。
③漆喰で出来ているので小判などのへそくりを塗り込んでおける。


たったこれだけの情報をもとに、へっついが何なのか推理出来る人がいたら大したものですが答えを申し上げますと、へっついとはご飯を炊く時に使うかまどの事です。
昔の人は、ご飯を炊くのにも薪を割ったり火を熾したりと大変だったのです。
そこで原始人ごっこ新春バージョンとして、ご飯を炊いてみる事にしました。

ご飯を炊くために必要なもの
①ご飯を炊くお釜を用意する
原始人らしく粘土を捏ねるところから始めてもいいのですが、さすがにそれは省略して手に入るもので間に合わせました。
フタのついた(アルミホイルがあればなくても可)炊事の火に耐えられる容器なら何でもいいのですが、お米は炊くと倍くらいに膨れ上がるのでその辺を考慮して大きさを選びましょう。
今回は駅弁の釜めしの容器に使われていたお釜を使用しました。
②かまどを作る
家にへっついがある人はそれをそのまま使ってもよいのですが、多分どこの家にもないと思うので石を積んで作ります。
上に金網を敷くとお釜が安定して調理がしやすいです。
③燃料となる薪を調達する
ホームセンターで売っていますが、探せばタダで入手出来ます。
今回は街路樹の植わっている街道沿いの歩道に落ちてた枯れ枝を拾ってきました。

さて、準備が整ったならいよいよかまどに火をつけます。
火は原始人らしく切れ込みを入れた杉板と紡錘車を使って火を熾してもいいのですが、さすがにそれも省略してライターを使います。
焚き火のコツは言葉ではなかなか説明が難しいので慣れるしかないです。
小さな薪で大きな薪を焼いて炭火にしてから調理を始めるのがポイント。
フタの上から更にアルミホイルを被せたのは、気密性を高めるためと、ゴミが入らないようにするため。
強火で一気に炊くと吹きこぼれてくるので、火を弱くしてぐつぐつ煮える音がしなくなったら火を消して5分ほど蒸らせば完成です。
このように電気もガスも使わなくても美味しいご飯は炊けるのでした。
# by sweetmitsuki | 2012-01-05 09:28 | 原始人ごっこ | Trackback | Comments(6)
山頂のメリークリスマス
冬至の前後に高尾山に登って夕日を眺めると、晴れていれば富士山の頂と太陽が重なって見えるダイヤモンド富士が見られるというので、行って来ました。
実をいうとこういうパワースポットの類は今までバカにしていてすぐ近くを訪れてもスルーする事が多かったのですが、今年は色々と大変な事があったので心境の変化で、まぁ、いわゆる苦しい時の神頼みというやつです。
本当はバイクで行きたかったのですが、年末で忙しいこの時期、ただでさえ風邪気味なのに神頼みに行ってこじらせて仕事に穴を開けてしまっては元も子もないので電車で行きました。
吉祥寺から野口英世一枚で往復出来てしまう交通網の充実には黄熱病も裸足で逃げ出す利便性。
お昼過ぎに山頂に到着、ケーブルカーを利用したので徒歩での移動は30分ぐらいでした。
空は晴れてはいるものの、かんじんの富士山には雲が掛かっていてまったく見えません。
それでも、山頂にはダイヤモンド富士を一目見ようと集まった黒山の人だかりが出来ていて、人ごみが苦手な私としては帰ろうかとも思ったのですが、残照によるバックサスでシルエットが浮かび上がってくる(かも知れない)という情報を頼りに待つ事数時間。
高尾の雄大な自然を満喫した他、クリスマスだったせいもあってサンタのコスプレをした登山者と遭遇したり(かなりたくさんいました)ビジターセンターでスライドショーを見学したりで(無料です)退屈はしませんでした。
ビジターセンターの話によると、今年は天候に恵まれず、まだ一度もダイヤモンド富士が現れていないのだそうですがいざ日没になってみるとこの光景。
誰だかわかりませんけれども、きっと参拝者の中に日頃の行いが善い人がいたのでしょう。
雲が掛かっているぶん、ピーカンよりも神秘的に見えるのは私の欲目でしょうか。
本当に、数分前までは厚い雲に覆われていて何も見えなかったのが信じられません。
富士山のパワーと高尾山のパワー、そして太陽のパワーも頂いて、年末までのエネルギーチャージは完璧に済ませた一日だったのでした。
帰りはこの時期7分間隔で運行しているケーブルカーを利用して、ラッシュにも遭わなかったのですが、それでも京王線とトータルで英世二枚分の経済性。

おまけ
山頂にあるレストラン、大見晴亭さんで名物の絶品とろろそばを頂きました。
街のイルミネーションを眺めながらチキンとケーキを食べるのも悪くないですけれど、やっぱしニッポンの冬はこうでなくっちゃね。
# by sweetmitsuki | 2011-12-24 20:54 | お出かけドリフト | Trackback | Comments(4)
イヨマンテの夜
勤めている会社の業務として鉄骨製作管理技術者の資格試験を受験したのですが、無事合格通知が届きまして、お祝いになんでも好きなものを食べさせててくれるというので、忘年会も兼ねて会社の先輩たちと熊の身を食べに行って来ました。
現役の猟師さんによるジビエ料理がリーズナブルなお値段で楽しめる、杉並・高円寺にあるジビエ猪鹿鳥さん(詳しくはコチラ)で、熊をはじめとする新鮮な野生動物の身をご馳走になったのですけど、熊の身というのは熊が棲んでいる山奥まで行かないと食べられないと思っていたのに、都内でお手軽に食べられるなんて、便利な世の中になったものです。
実際に猟をなさっているマスターの話によると、熊は鹿や猪と違って棲んでる山に犬を放って鉄砲を持って乗り込んでも絶対に仕留められないのでそうで、お店で出してる熊の身は、害獣として駆除されたものをハンター仲間から譲り受けたものです。
狩猟というと環境破壊の最たるもののようなイメージがありますけど、実際には狩猟より酪農のほうが餌を調達するための開墾や屎尿の処理など環境に与えるダメージは大きいのだそうです。
とはいえ、数が少ないですしお値打ち価格とはいえ毎日食べられるような値段ではないので、あんまし難しい事は考えず「山の幸、うまっ」と、単純に楽しんできました。
こういうのは、考えるものじゃなくて感じるものなんだと思います。
これが月の輪熊の朴葉味噌包み焼き(長野産)、冬眠前の脂の乗った肉質は程良い弾力があってジューシーで最高。
一緒に炊いた森のきのこと、付け合わせの柴栗も絶品。
鴨は千葉の休耕田で捕えたもの。
可愛い鴨を食べてしまうなんて人間って罪深い生き物ですね。
調子に乗ってこんなものまで。
鹿のオスのいちばん大事な部分です。
# by sweetmitsuki | 2011-12-13 22:08 | お出かけドリフト | Trackback | Comments(6)
海幸山幸神話
秋になると黄色い花を咲かせるセイタカアワダチソウという花はその名の通り、かつては人の背丈ぐらいの高さがあったのですが、現在では御覧の通り、花瓶に挿せるほどに小さくなってしまいました。
日本の気候風土で世代交代を繰り返すうちに、だんだん小さくなっていくのだそうです。
かつては日本を覆いつくしてしまうのではないかと恐れられた侵略者のなれの果ての姿が、こんなにも可愛らしい花なのかと思うと、なんだか微笑ましくなってしまいます。

さて、3世紀に造営された関東の古墳から、畿内との密接な結び付きを示す遺物が次々と発掘され、当時すでに関東と畿内を繋ぐコミュニティが存在していたことが明らかとなり、やっぱし邪馬台国って本当にあったんだと認めざるを得なくなってしまいましたが、そうなると欲が出てきて、では卑弥呼っていったい誰なのか、記紀神話にモデルになった神さまはいないのかと気になるところでして、「古事記」をもう一度読み返してみたら、こんな妄想を思いついてしまいました。(断っておきますが、あくまで私の妄想であって学術的根拠はまったくありませんので念のため)
「魏志倭人伝」に登場する卑弥呼の後継者、台与(とよ)と、「古事記」に登場する天照大神の曾孫、火遠理命と結婚した竜宮城の王女、豊玉姫(とよたまひめ)は同一人物なのではないのでしょうか。
名前が似てるというのがそのいちばんの理由なのですが、それ以外にも偶然とは思えないほどに共通点があるのです。
豊玉姫の物語は「海幸山幸神話」といって古事記の中でも有名なエピソードなのでご存知の方も多いかと思います。
むかしむかし、海の神さまの神殿、竜宮城に、豊玉姫というとても美しい姫神さまが住んでおりました。
ある日、竜宮城に輝くばかりに立派な若者が訪ねてきました。
ふたりはお互い一目惚れしてしまい、豊玉姫は父親であり海王の大綿津見神にその事を打ち明けますと
「そのお方は天照大神の御孫様にして葦原の中つ国の王、邇邇芸命の御子、火遠理命に違いない。」
と言って、大綿津見神はふたりのために盛大な結婚式を挙げます。
ふたりは毎日愉快に楽しく暮らしていましたが、ある日のこと、豊玉姫は地上に向かって大きな溜息をついている火遠理命の姿を見てしまいます。
「どうしたの溜息なんかついて。何か心配事でもあるの?」
「実は私は兄上の釣り針をなくしてしまい、それを探しにここまで来たんだ。君との楽しい暮らしでそんな事はすっかり忘れてしまっていたんだけど、今ふっと思い出してね。それで憂鬱になって溜息をついてしまったんだ。」
「なぁんだそんな事、私のしもべに頼めばすぐですわ。」
豊玉姫は海中の魚を集めて釣り針を探させるとすぐに見つかりました。
「ありがとう。これで兄上に顔向けが出来るよ。」
「それにしてもたかが釣針であなたをこんな目に遭わせるなんて非道いお義兄さまね。ちょっと懲らしめて差し上げましょう。お義兄さまが低いところに田圃を作ったらあなたは高いところに田圃を作りなさい。そしてお義兄さまが高いところに田圃を作ったらあなたは低いところに田圃を作りなさい。この海の神である私が、雨雲を自在に操ってあなたの田圃だけに稲穂が黄金色に輝き、お義兄さまの田圃には米粒一つ実らないようにしてみせるわ。」
「そんな事をしたら、兄上の国と戦争になってしまうよ。」
「その時はこの潮満珠(しおみつだま)を使いなさい。お義兄さまは兵もろとも海の藻屑となって消え失せてしまいますわ。」
「それはやり過ぎなんじゃないかな。」
「だったらこの潮乾珠(しおひるたま)を使って助けてあげればいいですわ。」
こうして、火遠理命は豊玉姫の言う通り、兄を飢えさせ、溺れさせ、助け、兄から葦原の中つ国の王位を譲り受けたのでした。
ちなみに火遠理命と豊玉姫の孫が日本の初代天皇となる神武天皇なのです。


豊玉姫が次から次へと繰り出す魔法のアイテムに目を奪われてしまいがちですが、何気に葦原の中つ国の王子が相争うよう誘導しているのに注目。
今まで邪馬台国は天照大神の孫、邇邇芸命が統治する葦原の中つ国ではないかと思ってきましたが、実はそうではなくて豊玉姫が治めている竜宮こそが邪馬台国で、葦原の中つ国は邪馬台国と敵対関係にあった狗奴国ではないのでしょうか。
狗奴国を文字通り、狗を崇拝している国とするならば、お稲荷さまを信仰している大和民族の風習と一致します。
また、魏志倭人伝によれば狗奴国の王の名は「卑呼弓弥」とあり、これは卑弓弥呼つまり「ひこみこと」の書き違いなのではないかといわれていて、邇邇芸命の別称を天津日高命(あまつひこのみこと)といいますからこれも一致します。
つまり、卑弥呼の時代には敵対関係にあった邪馬台国と狗奴国は、台与の時代にひとつに統合され、それが今の日本になったのだと考えればすべて辻褄が合うのです。
火遠理命の海幸山幸神話は、意地悪な兄神に苛められていた弟神が産土神の娘と結婚しその霊力によって王位を獲得するという展開が大国主命の因幡の白兎神話に通じるものがあり、たぶん日本に稲作を伝えた渡来人のうち、日本の気候風土を知り抜いた先住民と結び付いた集落だけが栄え、そうでない集落は滅び去った出来事が原型になっているのでしょう。
今回、豊玉姫を祀る千葉県香取市にある豊玉姫神社を訪れたのですが、ここは日本最大級の縄文時代の貝塚、良文貝塚の貝層の中にあり、境内からは香炉形顔面付土器など、非常に貴重な土器も出出しており、豊玉姫は縄文人が信仰していた神だという仮説に確信が持てたのでした。
おまけ
こういうローカルな遺跡を訪ねる時は、行きは最寄りの駅からタクシーで、帰りは徒歩で一時間以上というパターンなのですが、途中立ち寄った銚屋さん(詳しくはコチラ)でランチを戴きました。
銚屋弁当を注文したらブッフェに案内されたので地元で獲れた新鮮な海の幸をふんだんに使った寿司バイキングなのかと思ったら、それとは別にちゃんとお弁当も出てきて嬉しいサプライズだったのでした。
更に食後のスイーツも充実していてこれで950円は訪ねてみる価値ありで、海の幸山の幸を満喫したのでした。

# by sweetmitsuki | 2011-11-27 20:58 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)
地を這って根を結び広がる杜
邪馬台国房総半島説というのがありまして、最初に聞いた時にはなんて暴走した説なんだろうと思ったのですが、よくよく調べてみるととても興味深い事がわかりました。
魏志倭人伝によれば、邪馬台国は投馬国から水行ならば十日、陸行ならば一月とあり、投馬国を近畿地方にあった国とするならば、その通りに進めば房総半島に到達するというものです。
卑弥呼の墓の候補に挙げられている千葉県市原市にある神門古墳群を訪ねてみたのですけど、出土した土器から3世紀半ばのものと推定され、卑弥呼が死亡した時代と一致します。
そして、いちばん大きかった4号墳(残念ながら現在は消失、あるのは5号墳のみ)は全長が48メートルで「径百余歩」の大きさに該当し、とりあえずは条件をすべてクリアしているのですが、それよりも興味深いのは、この古墳は纒向型前方後円墳といって、邪馬台国があった地として最も信憑性の高い奈良県桜井市にある纒向遺跡で見られる初期の前方後円墳と同じ形をしているのです。
纒向型前方後円墳はイチジク型古墳ともいい、その名の通り上から見ると前方後円墳の前方の部分が極端に小さくイチジクのような形をしています。
そもそも前方後円墳はどうしてああいう形をしているのかというと、諸説あるのですが墳丘に上るための径にも盛り土をしたのが始まりではないかという説が現在では有力で、纒向型前方後円墳はその初期の段階の様子を顕著にあらわしているというのです。
さらに面白いのは、纒向遺跡でいちばん古い纒向石塚古墳が造られたのは3世紀前半で、房総の神門古墳が造られた時期と大きめに見積もっても50年ぐらいしか違わないのです。
つまり、歴史の教科書に書いてある「前方後円墳は畿内で発生してから徐々に地方へ伝播していった。」という通説は間違いで、ある日突然、日本各地で同時多発的に作られるようになったというのが本当で、纒向型前方後円墳は北は福島県の臼ヶ森から南は鹿児島県の端陵まで、日本列島の広範囲にわたり、いずれも3世紀の造営が確認されているのです。
魏志倭人伝によれば、倭国大乱に疲れ果てた地方豪族たちは協議の結果、ひとりの女子を王にする事で譲歩の道を模索したとあるのですが、その記載が本当でなければ3世紀、全国一斉に前方後円墳が同時多発的に作られるようになった理由を合理的に説明する事は出来ません。
しかしいくらなんでも、そんなに広範囲な地域をそんなに短期間で掌握してしまうのはかなり無理があるように思えるのですけど、これも魏志倭人伝に、倭の民は漁業と貿易を生業とする海洋民族であると書かれていて、彼らの航海技術をもってすれば可能だったのでしょう。
考えてみれば、遥か遠い魏の都まで使者を送る事が出来たのですから、日本近海を縦横無尽に駆け回れるのは当然なのでしょう。
今まで多くの古墳を見てきましたが、決まって大きな川に面した小高い丘の上にあるのが特徴で、単なる墓ではなく、きっと船で行き交う人々にとって灯台の役目を果たしていたと思うのです。
前方後円墳が海上交通の要となっていたというのも全国で一斉に作られるようになった理由の一つなのかもしれません。
# by sweetmitsuki | 2011-11-20 19:01 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)
そうです何と発見です気持ちモヤモヤ愛で繋がれたい
埼玉県・東松山市の高坂神社周辺で卑弥呼の鏡と伝えられる三角縁神獣鏡が発見されたとのニュースを聞き、早速行ってまいりました。
実は私は邪馬台国とは古代の中国人の想像上の理想郷に過ぎず実在しないと思っていたのですが、こうして物証が発掘されると、やっぱし肯かざるを得ません。
今回出土した三角縁神獣鏡は古代中国の魏王朝から卑弥呼に贈られた鏡で、埼玉地方の有力者がヤマト王権に貢ぎ物をし、その返礼として受け取ったものと考えられていて、本当なら3世紀の埼玉は邪馬台国と強い結びつきがあった事が証明されます。
三角縁神獣鏡とは実用品としての鏡ではなく死者を守護するための葬具で、畿内を中心に500枚以上が出土しているのですが、舶載鏡(中国で作られた鏡)なのか倣製鏡(日本で作られた鏡)なのかについては議論が分かれるところで、未だ結論は出ていません。
舶載鏡だという理由については
・「魏志倭人伝」に魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したとする記述がある
・当時の日本には青銅器を作る技術がなかった
・三角縁神獣鏡には漢字が刻まれている
というものですが、倣製鏡だという理由として
・発掘された三角縁神獣鏡は500枚以上で魏志倭人伝の記述より遥かに多い
・中国本土では三角縁神獣鏡は一枚も見つかっていない
というものですが、よく考えてみれば魏(中国)の皇帝が倭人と呼んで蔑んでいた国に対し、自国では使わない宝器をわざわざ作って寄越すというのは変なので、倣製鏡説に軍配が上がるような気がします。
しかしそうなると邪馬台国の人は漢文が読め、青銅器を作る技術があった事になりますが、もしも邪馬台国が本当に実在したのなら、それは不思議でもなんでもないと思います。
3世紀の中国は「三国志」に描かれているような戦乱の時代でした。
国を滅ぼされ故郷を失った人びとは、ある者は青銅器を、ある者は陶磁器を、そしてある者は稲籾を、手に持てるだけの財産を手に、粗末な筏船に乗り、遥かなる海へあてのない旅に出航したのでしょう。
彼らを見送った人は「あの人たちはきっと、争いのない平和な国に辿り着いたに違いない。」と夢を託し、邪馬台国という空想上の楽園を創り上げたのではないのでしょうか。
私が邪馬台国は実在しないと思っていたのもそういう理由で、「古事記」と「魏志倭人伝」がよく似ているのは遣唐使船で学んだ留学僧が「魏志倭人伝」を熟読していたからで、8世紀の日本人が理想としていた国造りのお手本は、唐の首都長安ではなくて幻の国、邪馬台国だったのでしょう。
ですが3世紀の中国のボートピープルが本当に東の果ての海の小さな島の国、邪馬台国に実際に辿り着いていたのだとしたら、彼らが漢文を読み青銅器を作る技術を持っていたとしても辻褄が合います。
ところで卑弥呼は超能力者だったという伝説があり、ファンタジーの題材としては面白く、私もそういうのは嫌いじゃありませんけれども、子供向けの学習雑誌にまでそういう事を書くのはどうかと思います。
「魏志倭人伝」によると邪馬台国は30人ほどの族長による連邦国家でした。
族長たちの中には日本の先住民もいたでしょうし海外からの移住者もいたでしょう。
彼らはもちろん平和を望んでいましたが、しょーもない男の性で、事ある毎に「いちばん偉いのは俺様だ。」といっていがみ合っていたのではないのでしょうか。
そんな彼らを諭すため、女性である卑弥呼が女王となり、平和に導いたに違いありません。
実在の卑弥呼は超人的な能力を持った近寄り難い存在ではなく、人間的な魅力に溢れた親しみやすい女性だったのでしょう。

おまけ
東松山に行ったら焼きとりを食べない訳にはいきませんね。
鶏ではなく豚肉を味噌だれをつけていただくのが東松山流。
ジューシーな肉汁たっぷしで卑弥呼もビックリの美味しさ。
生憎のお天気だったのでバイクではなく電車で出かけたので、ビールも一緒にいただいてしまいました。
# by sweetmitsuki | 2011-11-06 19:12 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)
侵略攻略計画成功
東京・世田谷にある野毛大塚古墳に行って来ました。
あまり知られてない話ですが、世田谷区は古墳の宝庫で、多摩川流域に大小様々な古墳群が並んでいます。
古墳時代の日本はどんな時代だったのかというと、争いの絶えない戦乱の時代だったという説と、飲んで踊ってみんな仲良く楽しく暮らしていたという説があって私は後者の説を支持しています。
古墳時代戦国説というのは、日本の国家樹立は諸外国に比べて不自然なくらいに短期間で行われているため皇国史観に過ぎず、国家として成り立っていたのは畿内のみで地方は群雄割拠していたのではないかというものなのですが、もしそうだとしたら北は東北から南は九州まで、地方の豪族たちはほとんどが前方後円墳という同じ形をした古墳に埋葬されている事への説明がつきません。
古代朝鮮では百済のものは横穴式石室、新羅のものは積石木槨墳、伽耶のものは竪穴式石室と、明確に分かれているというのに。
さて、前方後円墳は外観の違いを除けば構造的には竪穴式石室を備えていて、そのため前方後円墳を築いた人びとは古代朝鮮の伽耶から来たのではないかという説があって、どうもこちらのほうが正しいような気がするのです。
では、伽耶から来た侵略者は、どのようにして短期間で日本を征服していったのでしょうか。
「日本書紀」によるとヤマトの戦士タケルはクマソ征伐の折、正々堂々とは戦わず女装してクマソにお酒を飲ませ、酔わせてから退治するというやり方で勝っています。
実はこの作戦にこそ、日本攻略計画の全貌が隠されているのではないのでしょうか。
日本で稲作が始まったのは、稲は多収穫で安定した生活が見込めるからというのがいちばんの理由ですが、それ以外にもお米からは美味しいお酒が作れるからというのも大きな魅力の一つだったに違いありません。
ところで当時のお酒は、口噛み酒といって蒸したご飯を良く噛んで唾液と混ぜ合わせ吐き出したものを発酵させるという工程で作られていました。
口噛み酒は現代でも、東南アジアから環太平洋地域、中南米大陸まで広い範囲で作られているのですが、この酒を作るのは決まって女性で、男が醸した口噛み酒というのは聞いた事がありません。
「古事記」でもお酒を醸すのはコノハナサクヤ姫やクシナダ姫といった女神ばかりで男神はいません。
男性のほうが咀嚼力があるのでこの作業には向いてるような気がするのですがそういう問題ではなく、男が噛んで吐き出したものなど誰も飲まないに決まっています。
伽耶から来た人びとも、日本の先住民が自ら進んで稲作を行うよう、宴を催して口噛み酒を振る舞ったのでしょう。
ところが残念な事に先発隊には女性がおらず、仕方がないのでやむなく女装して酒を醸したのではないのでしょうか。
やがて麹が発見され酒造りは女性から男性の仕事となり口噛み酒もその存在は忘れ去られてしまいましたが、男が女装して酒を醸した宴はインパクトが強く、いつまでも記憶に残り語り継がれたため、このような神話が生まれたのでしょう。
古墳から出土する武器類はほとんどが装飾過多で実際の戦闘で使えるものではなく儀礼用だそうです。
戦争をするとなるとたくさんの武器が必要でそのための金属を調達するのに鉱山を乱掘しなければならず、そんな事をすればたちまちに鉱毒が溢れ出て稲作が出来なくなってしまいます。
日本が短期間で国家を樹立出来たのは、日本を征服した侵略者が勇猛な戦士ではなく、女装したMCだったからなのではないのでしょうか。
# by sweetmitsuki | 2011-11-02 17:21 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)
< 前のページ 次のページ >