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mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
by sweetmitsuki
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日本人が知らないBUSHIDOH

日本人が知らないBUSHIDOH_e0078674_4554854.jpg前回紹介させていただいた小豆を磨ぐ妖怪の話ですが、ラフカディオ・ハーンが蒐集した日本の怪談の中にも収録されており、ろくろ首やのっぺらぼうと並び国際的にも有名な妖怪なのだそうです。
ハーンの作品は最初、英語で書かれニューヨークの出版社から発表され、本格的に日本語に翻訳・紹介されたのは大正末期からで、ハーンが生きていた時代の日本では知られていません。
当時の日本は明治維新を迎え文明開化に沸き立っており、日本人が欧米列強に恥ずべきものとして隠ぺいしようとしていた古い伝統や文化・風習・慣例を海外に紹介しようとしていた外国人の存在など知らなくて当然だったのかもしれませんね。
さて、今回は何がいいたいのかというと、妖怪変化の話ではなく表題にもあるように武士道のお話です。
ハーンが武士というものをどのように捉えていたのか、秋田県に伝わる怪談話の中からご紹介します。

むかし、佐竹様が水戸から久保田に移られた時、茂木百騎と言われる武士団の中に、妹尾五郎兵衛兼忠という青年武士もいて、横手に住居(すまい)することになった。
ある朝のこと。
「今日がら 朝まの勤めだど。遅れれば武士の恥だ」
五郎兵衛あわてて起きて、身支度をすると急いで家を飛び出た。
「ありゃ、おかしなや。誰も歩いてね」
五郎兵衛は時刻を間違え、家を早く出てしまったのに気づいた。
蛇の崎橋まで来たら、向こうの方から赤子(ぼんぼこ)抱いた女が歩いて来る。
「こんたに朝早くがら何したべ」
知らんぷりして通りすぎようとしたら、女の人は五郎兵衛の顔を見て、
「申しわけねす。してあっこの間(少しの間)、この童こどご、抱えででたんせ」赤子を差しだした。
「誰か通る人えねがや」あたりを見ても人っこ一人通らない。
五郎兵衛、仕方なくごつい手で赤ん坊を受け取って抱いた。
女は軽く辞儀すると急いで歩いたかと思ったら姿が消えて見えなくなった。


女子供に優しいのが武士としての必須条件らしいのですが柳生但馬や宮本武蔵が女性に優しかったという話はあまり聞きません。
そればかりか、修行の妨げになるといって武士は女人を疎んじてたような気がしますが、細かい事は置いといて次に行きましょう。
 
赤子は泣きもしないで静かに抱かれていたが、ずーんずーんと大きくなっていく。
「何じょしたべ(どうしたんだろう)」
赤子を見ても 小さいまま静かにしている。
「おがしなや」しばらく赤子を見て思案していた。そして考えついた。
身体中がザワーッとして冷や汗が流れた。
「んだ、大きくなってるなでねえっ。目方こ増えてるなだ。
七、八百匁の赤子だと思ってえだば、今なば五貫目ぐれあるな」
五郎兵衛が気づいてからも目方は増え続けて、
三十貫、四十貫、五十貫と重くなる。
「重でなゃ。重でじゃ」赤子を見たら両眼カーッと開いでにらみつける。
「怪しい女ごに、怪しい赤子、油断されね」


妖怪に騙されていたと気付いてもなお、約束は守り通すのが武士というものだそうです。
単にお人好しと言ってしまえばそれまでですが、愚直に信念を貫くのが大事なのでしょう。

「手もげるじゃ(手が抜けそうだ)なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ」
五郎兵衛が思わず念仏を唱えると、赤子はたちどころに軽くなり、女の人が忽然とあらわれた。
 

さすがに自分の力ではどうしようもなくなると、神頼みをするところがポイント。
武士のくせに他力本願なんてカッコ悪いと、現代人の感覚でいえば思えるかもしれませんが、ここが大事なところなので覚えておいてください。

「兼忠殿。私は産土(うぶすな)の神。
たった今氏子さ大変だ事おきて行って来たす。
これは、さっとだども(ほんの僅かだけれど)お礼だす」
と財布を差しだした。
五郎兵衛は断って、赤子を手渡した。
「そしたら兼忠殿に力を授けます。武士には力が一番大切だす」
と言うと、産土の神は消えてしまった。
お城の勤めを終え、五郎兵衛が顔を洗っていつもの手ぬぐいをしぼったら、手の中でちぎれてしまった。
新しい手ぬぐいに替えてもバサバサにちぎれてしまう。
産土の神は約束どおり、五郎兵衛に大力を授けていた。

とっぴんぱらりのぷう


日本人が知らないBUSHIDOH_e0078674_456154.jpg神が念仏によって助けられるという矛盾したお話ですが、神仏習合の日本人にはそんな事はどうでもいいのでしょう。
ハーンは本名をパトリック・ラフカディオ・ハーンといい、ラフカディオはミドルネームで、ファーストネームはアイルランドの守護聖人・聖パトリックに因んでいるのですが、ハーンはキリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったそうです。
ハーンが愛し、その存在を信じた神様とは、氏子とともに土埃にまみれ額に汗し、苦しみ喜びを分かち合う人間臭い神様だったに相違ありません。
ハーンは日本を美化しすぎていると批判の声もありますが、武士はかくあるべしと描いたハーンの理想は評価できるのではないのでしょうか。

by sweetmitsuki | 2009-11-26 20:28 | おどろけー | Trackback | Comments(5)
Commented by saheizi-inokori at 2009-11-27 10:40
子どもの頃読んだ時にはアカンボが大きくなるのがなんとなく恐ろしかったことしか記憶にありません。
おとなになっても民話は読むべしですね。
Commented by antsuan at 2009-11-27 12:15
秋田生まれですが、このお話は知りませんでした。
母も怖かったのかな。(笑)
Commented by saheizi-inokori at 2009-11-27 22:29
今日書いた「ホントの話」にハーンの「常識」という噺が引用してありました。
ハーンを読んでみたくなりました。
Commented by sweetmitsuki at 2009-11-28 05:12
佐平次さま
重くなる赤子は産気づいた氏子の陣痛の苦しみなのだそうです。
「常識」は、いかにも呉智英が好きそうなお話ですね。
私も呉智英を読んでみたくなりました。
Commented by sweetmitsuki at 2009-11-28 05:18
あんつぁん
妹尾五郎兵衛兼忠は秋田に実在したとされる人物で、横手公園本丸跡の秋田神社前には碑が建っているそうです。
あんつぁんも秋田の人でしたね。なんとなく五郎兵衛に雰囲気が似てると思いました。
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