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3月の、菜の花の咲く事に降る長雨を菜種梅雨といいますけど、なんだか去年の秋からずうぅっと雨が降ってるような気がします。
おかげで遠出する気になれないのですが、探せば近場にも興味深い縄文遺跡の一つや二つ、あるものなので行って来ました。 京王線上北沢駅と京王井の頭線浜田山駅のちょうど中間あたりにある下高井戸塚山遺跡は遺跡のほぼ全体がそのままの形で残されている都内でも数少ない遺跡で、コンクリート製の復元住居が展示されているほか、発掘された土器や石器のレプリカ(本物は杉並区立郷土博物館に展示)を見る事が出来ます。 縄文式土器といえば世界で最も古い土器で、仮に、「たまたま最古の一例が日本で発見されているだけで発祥は東アジアの某国である。」という曖昧な説を受け入れたとしても、その歴史は人類史上抜きんでていて、およそ今から一万六千年前に作られ、次いで土器が作られるようになった古代メソポタミア地域より、控えめに見積もっても四千年以上古いという途轍もないものです。 そんなすごい発明をした縄文人ですが、文明の方は大したことはなく、農耕を知りませんでした。 では、土器を使って何を食べていたのかというと、そのままでは硬かったり苦くて食べられない、木の実や草の根、葉っぱなどを煮炊きしていたそうです。 それでは、土器を持っていなかった他の古代文明人は何を食べていたのかというと、パンを食べていたそうです。 収穫した麦を石臼で挽いて、水で捏ねて炉で焼く、なるほど、それなら土器は要りません。 つまり、縄文人は土器があったから農耕を必要とせず、他の古代文明人は農耕を行っていたから土器を必要としなかったのです。 ところで、土器というものは粘土が焼かれることにより変成して、再び水に浸けても土くれには還らないという事を知っていなければ作れるものではありません。 ですから、最初から土器が煮炊き用の調理器具として作られたというのは、かなり無理があると思うのですが、こんな仮説があります。 植物の蔓を編んで作った籠に、虫やゴミが入らないよう内側から粘土で隙間を塞いでおいたところ、たまたま火事に遭って燃えてしまい、粘土の殻だけが残った。 ためしにそれで水をすくってみるとこぼれず、更には火にかけても燃えないので、それで煮炊きをするようになったというのです。 これが本当なら、縄文式土器になぜ縄文があるのか、何であんな奇妙奇天烈な形をしてるのか合点がいきます。 つまりは土器文化の前に、それより遥かに歴史の長い編み籠文化があって、縄文式土器は、粘土で編み籠を模したものなのです。 ですから、編み目模様が付いてないと、何となくそれっぽくない気がしたのでしょう。 コンビニのお弁当に、薄いプラスチックで出来た緑色のギザギザが挟んであるのと要は同じです。 あれは昔は笹で出来ていて殺菌作用があり、お弁当の仕切りには最適だったのですが、プラスチックでは本来の用途には使えないのに使い続けているようなものです。 もっとも、最近ではワサビ抽出成分を配合したハイテク緑ギザギザもあるそうなので侮れませんけど。 結局のところ、私たち日本人は、外来の合理的な文明を受け入れながらも、根底では日本人自身すら理解不能な、縄文人の衝動から逃れる事は出来ないのではないのでしょうか。 もっとも有名な縄文式土器のひとつ、阿玉台式土器。 口縁が「U」の字型に内側に曲がり、扇形の突起があるのが特徴。 下高井戸塚山遺跡出土。
by sweetmitsuki
| 2010-03-07 17:25
| 古代史でポン
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Comments(10)
>火事に遭って燃えてしまい、粘土の殻だけが残った。
で、定説がどうなのか私は知りませんが、縄文人はデザイナーとして極めて優秀だったということは言えるのでしょうか?火炎土器と言えば、中学生のころあった新潟国体で使用された聖火台が火炎土器を模したものであったのを思い出しました。
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sweetmitsuki at 2010-03-08 05:51
umeさま
縄文式土器といえば誰もが火焔土器を想像しますが、新潟県長岡市の馬高遺跡で初めて出土し、信濃川流域の新潟県、長野県北部の他は、阿賀野川流域でしか見られない特異なものです。 それでも縄文式土器には紹介した画像のように、口縁が現在の陶器のように平らではなく、突起なり把手状の装飾が施されているのが普通で、それはもちろん優れたデザイン(アート)ですけど、何の実用目的もなく作られたとは思えないのです。
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saheizi-inokori at 2010-03-08 10:33
私は先日読んだ小林先生の、結果としてデザインになっているけれどそれとは違う意味のあるものだった、それは実用性とはちょっと違う御霊信仰に通じるようなものではなかったか(正確な表現は忘れましたが)という説に魅力を感じます。
宮本常一の「日本文化の形成」という本を読んでいます。 もっと何か縄文人の生活と心を知るヒントが書いてある本をご存じだったら教えてください。
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saheizi-inokori at 2010-03-08 10:35
土器の発見についての sweetmitsuki 説には説得力がありますね。
焼き豚のおいしさを知った人類みたいなものですか^^。
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antsuan at 2010-03-08 11:50
土器という保存設備があれば、農耕なんて必要なかったというのも十分頷ける話です。
必要は発明の母ですから、貿易のために船を考案するぐらいは古代人の技術でもそんなに難しいことではなかったと思います。 となると、日本は、古代から土器あるいは土器を作るためのセラミックの産地として栄え、貿易も活発だったことは容易に想像出来ますね。 もうひとつ、土器を世界最初に使っていたのが日本人だとしたら、「日本のことば」も海の向こうから伝わってきたのではなく、日本列島で発祥したと考えてもなんら不思議ではないですね。
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sweetmitsuki at 2010-03-08 21:37
佐平次さま
小林先生の「縄文の思考」は私も読ませていただきました。 縄文式土器の形について「現代人には理解不能なナニカ」を表していたとおっしゃっていましたが、それは何かのきっかけがあれば、その末裔である私たちにも理解出来うるものではないかと思うのです。 縄文人の生活と心とはちょっと違いますが、縄文式土器については「甲野勇著 縄文土器のはなし 学生社刊」が詳しいです。 海外の先史時代の土器との比較例とか、かなり緻密な事が述べられています。
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sweetmitsuki at 2010-03-08 21:59
あんつぁん
縄文人は外洋を航行可能な船舶を駆使して活発な交易を行っていた事は間違いなく、ロシア、中国からは鏃の原料となる日本産の黒曜石が、縄文式土器は沖縄にとどまらず台湾、フィリピン以南の南洋諸島でも発掘されているそうです。 日本の言葉(文字)については、縄文式土器の文様がそれだったのではないかという説もあり、興味は尽きません。
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sweetmitsuki at 2010-03-09 06:01
あんつぁん
縄文人は犬と生活を共にしていましたが、その犬は野生のニホンオオカミを飼い馴らしたのではなく、大陸産の畜養犬とDNAが一致するそうです。 その頃から人類はことばを話していたのかどうかは分かりませんが、人と人、人と犬の間に意思の疎通があったのは確かなようです。 人は人だけの知恵で進化したのではなく、矮小なオオカミと裸のサル助け合いながら生活を共にしているうちに、それぞれ犬と人に進化したのではないかと、そんな空論を思い浮かべる事があります。
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saheizi-inokori at 2010-03-09 09:42
ありがとう。
それから前に田園調布は東急・五島が開発したと書いたことがありますが、勘違いで渋沢栄一のようです。
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sweetmitsuki at 2010-03-10 17:55
私も「日本文化の形成」、今度書店にて探してみます。
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