mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
by sweetmitsuki
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
最新のコメント
あんつぁん ズッキーニ..
by sweetmitsuki at 05:40
八曜社さま うちでは夏..
by sweetmitsuki at 05:36
佐平次さま 糠床は何度..
by sweetmitsuki at 05:32
夏野菜。清涼感があります..
by antsuan at 20:34
盛夏!と言ったところの食..
by stanislowski at 15:33
糠漬けを始めると欠かせな..
by saheizi-inokori at 09:10
あんつぁん 今どきは、..
by sweetmitsuki at 06:16
今年は空梅雨のようでちょ..
by antsuan at 20:17
佐平次さま 掃除をして..
by sweetmitsuki at 20:36
効きそう、なんにでも。
by saheizi-inokori at 09:43
カテゴリ
フォロー中のブログ
最新のトラックバック
なぜ世界は西欧ルールに支..
from 梟通信~ホンの戯言
[大正世代の矜持]  大..
from あんつぁんの風の吹くまま
凄い! ウイリアム・カム..
from 梟通信~ホンの戯言
開戦記念日を振り返って
from あんつぁんの風の吹くまま
孫が来た
from 梟通信~ホンの戯言
8月15日は大漁だった!..
from 好都合な虚構
ある年の8月     
from 好都合な虚構
にがい歴史も知らなくちゃ..
from 梟通信~ホンの戯言
今日から一年後の今を想像する
from 帆を広げ、風は舞い込む
NHKトップランナー  ..
from 鑑 賞 記 録
ライフログ
検索
タグ
以前の記事
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

山ゆかば草むす屍

e0078674_20544972.jpgあまり知られてない話ですが、新宿から電車で1時間のロケーションにある高尾には、全長10キロメートルという国内最大級の戦時中に作られた地下壕があります。
さて、いよいよ本編の高尾紀行記です。
大東亜戦争中の1944年7月、サイパン、グアムなどマリアナ諸島の日本軍が米軍の攻撃によって壊滅し、米軍がこの島々を基地に日本本土を空爆してくる事が避けられない事態となります。
日本は本土空襲に備え武器や軍需品などの備蓄施設として地下倉庫の建設を急ぎ、ここ高尾の浅川もそのひとつに選ばれたのでした。
工事は主に朝鮮から無理矢理連れてこられた労働者によって三交代制で24時間体制で進められました。
ところが1944年の11月24日に米軍はB-29による初の本格的本土空爆を行い、当時アジア最大だった武蔵野の中島飛行機製作所が壊滅してしまいます。
そこで、急遽浅川は地下倉庫から地下工場にする事になります。
e0078674_21244953.jpg
ミッドウェーで敗けて主力空母を失い、マリアナで敗けて絶対国防圏を失い、本土空爆が本格化してもこんな所にこんな穴を掘って戦争を続けたなんて、つまりはこの戦争は国民の命を守るための戦争ではなく、軍上層部の意地や面子を守るための戦争だったという何よりの証拠でしょう。
ちなみに地下工場は完成し飛行機の製作は軌道に乗るものの、壕の中は湿気がひどく鉄はすぐに錆びてしまい実際に出来あがった飛行機のエンジンは終戦を迎える日まで10台ほどだったそうです。
考えてみればこんな状況でも日本が戦争に負ける筈がないと信じていた当時の人と、3・11まで日本の原発が絶対安全だと信じていた私たち(そして今も原発を推進しようとしている人たちが少なからずいます)は基本同じで、ニッポンは66年経っても何も変わっていないのではないのでしょうか。
[PR]

by sweetmitsuki | 2011-08-13 21:45 | 東京大空襲を忘れない | Trackback(1) | Comments(10)
トラックバックURL : http://swmitsuki.exblog.jp/tb/15272636
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Tracked from あんつぁんの風の吹くまま at 2011-08-17 19:11
タイトル : [大正世代の矜持]  大東亜戦争に青春を捧げ、高度経済成..
 大正世代といえば、私の父母の世代のことです。大東亜戦争に青春を捧げた世代でもあり、かつまた、戦後の復興と高度経済成長の原動力として、がむしゃらに働いた世代でもあります。  大正っ子は、明治の父母に育てられ、軍国主義教育とは無縁な大正デモクラシーの自由の息吹に触れて、なおかつ「自分で自分の死を納得させて」戦場に散って行ったのです。日系アメリカ人部隊・第四四二連隊の兵士も、全くおんなじ境遇で育ったといえます。そして日本で育った大正っ子と変わらぬ、毅然とした生き様を行動で現したのです。   ...... more
Commented by antsuan at 2011-08-17 19:10
日本人はいまも昔も殆ど変わっていないと思います。いや変わる必要がないといった方が正しいのかも知れません。
トラックバックいたしました。
Commented by sweetmitsuki at 2011-08-17 21:42
あんつぁん
トラックバックありがとうございます。
確かに、日本人は変わりようがないのかも知れません。

しかし零戦の話はいまだ納得出来ません。
大東亜戦争が西欧の大量消費文明に楔を打ち込むための闘いだったとしたら、機体を極限まで軽くし、それによって高い機動力と航続距離を得ることに成功した零戦こそあの戦いの主役に相応しい戦闘機だったのではないのでしょうか。
Commented by antsuan at 2011-08-18 10:10
東郷平八郎の名言「百発百中の砲一門は百発一中の砲百門に優れリ」は実際には正しいとは言えないことはお分かりと思います。つまり、百発一中の砲百門が一斉に撃った場合は、そのどれか一発が百発百中の砲に当たり、勝負は決まってしまうからです。したがって、安全を優先したり緊急事態にも対応しなければならない設備機械に関しては、高性能で壊れにくいものという条件よりも、標準の性能ですぐ修理出来るものが求められるのです。
福島第一原発の反省点はまさにここにあります。
Commented by sweetmitsuki at 2011-08-18 22:07
おっしゃる通りなのですが、福島第一原発の溶接作業は私の今の師匠が一部手掛けているので擁護させて頂きます。

軍には必ず軍医がいるように、普通の軍隊には戦闘には参加せず兵器の整備を専門に行う部署があるのではないですか。
零戦がその性能をフルに発揮出来なかったのには、そのような工兵まで戦闘に加わらねばならなかった点もあると思います。

いわゆる南京事件ですが、真相はいまだ闇の中ですが軍規を取り締まる憲兵の数が圧倒的に不足していたという指摘があります。
兵隊(戦闘員)だけで戦争をしたというのが日本が敗けた大きな原因のひとつで、原子力ムラだけでエネルギー計画を行った今の現状も、同じ事がいえるのではないでしょうか。
Commented by antsuan at 2011-08-21 11:54
零戦だけではありません。不沈艦の大和や武蔵しかり、同型の空母信濃に至ってはたった一発の魚雷で沈没しています。熟練操縦士がいないと能力が発揮出来ない兵器は未完成品というべきなのです。

米兵は救急用具としてバンドエイドを持っていました。一人の衛生兵より百個のバンドエイドの方が効果があることは直ぐにおわかりでしょう。

福島第一原発では地震によって配管が破裂したことは明白です。緊急用散水冷却装置が作動したことはそれを物語っています。つまり、原子力発電装置は今なお未完成なものであるというべきなのです。

スリーマイル島の原発は事故は起こりうるという認識を持っていて事故の訓練をしていたために、かろうじて圧力容器の破壊は免れましたが、福島第一原発は想定外の訓練はしていませんでした。よって、電力復旧を優先し、ベントが遅れて手遅れになったのです。

つまり、堺屋太一が言うように「自分たちの技術」の過信が招いた事故であり、敗戦なのです。
Commented by antsuan at 2011-08-21 11:56
南京事件の眞相はすでにはっきりしています。松井石根司令官は「外国人がいっぱい見ているから日本軍の名を辱めることの無いように」と命令していますが、南京には海外の特派員のみならず多くの外国人が住んでいました。その外国人居留地に逃げ込んだ逃亡兵を数多く殺害しましたが、それを虐殺とか市民を殺害したという外国人はいなかったのです。それどころか、日本軍が来て治安がよくなったことを知って、占領後一ヶ月以内に、人口は元に戻っているのです。
虐殺があったら市民は戻るでしょうか。外国人は黙っているでしょうか。
Commented by sweetmitsuki at 2011-08-21 13:17
アメリカの主力戦闘機P51は燃費が悪く、石油が豊富なアメリカだから運用できる機体で、日本がマネ出来る兵器ではなかったと思います。
南京事件はデリケートな問題ですが、敢えて話題にしたのは日本軍はインパールでもガダルカナルでも、熟練兵でさえ遂行出来ないような無謀な計画を立てていてことごとく失敗しており、このような軍上層部の要請に応えたのが零戦であり大和であったので、零戦的モノづくりのせいで日本が敗けたというのは順番が逆だと思うのです。
Commented by sweetmitsuki at 2011-08-21 13:31
堺屋太一氏が寄稿した「零戦型ものづくりが日本を滅ぼす」が掲載されている文芸春秋10月号を本屋さんで取り寄せてもらう事にしました。
続きは2週間ほど先にお願い致します。
Commented by 田鶴 at 2014-08-20 08:17 x
制空、制海権を奪われたら到底勝ち目が無いので、普通はここらでそれなりの休戦となるはずです。しかし日本は損害もかまわず、戦い続けていた、何故なのか。何故なのか・・・・  1944.6月が実は敗戦だった。1944.7月からは終戦に向けての人員殲滅作戦が行われた。本土に残された働き盛りの人々は、南島に出征させ、全ての占領地で玉砕、生きては戻さないと、生き恥をさらすなとして、各地の将兵を本土には戻さなかった。関東軍もソ連が侵攻し、シベリアに抑留、本土には戻さなかった。原爆では、陸軍の第二中心の勢力が全滅。戦艦大和も裸で突撃し全滅。若者は特攻隊で、つまり中心兵力は全てそれなりの方法で全滅させた。勿論非戦闘員も、全土の主要都市は無差別空爆で、活動力の中心となる人々はほぼ殲滅した。これらは戦力が無く一方的にやられっぱなし、とにかく1945.8月まで戦わされた。何故なのか、その目的はただ一つ、本土から活動力のある人々を一掃した後、終戦にすることだった。終戦後に活動力のある人々を残せば、敗戦後のロシアで起きたような政権転覆が起きかねない。1944.7月からは戦争ではなく終戦に向けての一方的な有用人員整理、殲滅作戦であった。
Commented by sweetmitsuki at 2014-09-06 10:01
田鶴さま
お初にお目にかかります。コメントをありがとうございました。
日本が国民の犠牲も顧みることなく、何故勝ち目のない戦争を続けたのか。
>終戦後に活動力のある人々を残せば、政権転覆が起きかねない、有用人員整理、殲滅のための戦争であった。
成る程、そういわれてみると、そうとしか思えない節がありますが、いかんせんソースが少なすぎます。
物証となる史料をお持ちでしたらぜひ教えてください。
<< 時代は変わる色褪せてゆく だけ... 夏草や兵どもが夢の痕 >>