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mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
by sweetmitsuki
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国譲り神話

国譲り神話_e0078674_1881925.jpg古代史最大の謎といわれている国譲り神話にゆかりの深い、鹿島神宮と香取神宮を訪ねてきました。
明治になるまで「神宮」と称せられていたのは鹿島神宮と香取神宮と伊勢神宮だけで、それだけ社格の高い特別な存在です。
JR東京駅から高速バスでひとっ跳び、千葉方面の神社仏閣は駅から遠く、徒歩で30分以上歩かされる苦行を強いられるのが常なのですが、今回はそれがなく快適な旅でした。
さて、国譲り神話についておさらいしておきます。

高天原で乱暴狼藉の限りを尽くしたスサノオ(素戔嗚)は下界に追放されるのですが、そこで国づくりに励み、六世の孫のオオクニヌシ(大国主)の頃になると高天原の神々ですら羨むようなステキな国が出来上がります。
それを見たアマテラス(天照)は「地上は天つ神によって支配されるべきだわ。」といって突然、地上征服計画を打ち立てます。
最初のうちは話し合いで解決しようとするのですが、オオクニヌシによって懐柔されことごとく失敗しました。
そこで、タケミカズチ(建御雷)とフツヌシ(経津主)が遣わされ力づくで国譲りを求めると、オオクニヌシは「自分の一存ではそれは決められない。二人の息子に決めさせる。」といいました。
息子のコトシロヌシ(事代主)は国譲りを承諾しますが、もう一人の息子タケミナカタ(建御名方)は首を縦に振らずタケミカズチに戦いを挑みます。ちなみに、この戦いが日本における相撲のルーツといわれています。
勝負はタケミカズチに軍配が上がり、タケミナカタは諏訪大社の神として祀られることで国譲りに同意します。
そしてオオクニヌシは出雲大社に、コトシロヌシは美保神社に祀られるという交換条件で国譲りが行われたのでした。


この神話の特異な点は、地上の統治者としてまったく落ち度のないオオクニヌシからアマテラスが何の理由もなしに国を簒奪していること。
日本における天皇の統治を正当化するための神話に、それとは真逆のことが書かれているのです。
もともと日本神話にはアクションシーンが少なく、荒ぶる男神を女神が智慧と祈祷で鎮めるというのがほとんどで、ヤマトタケルがクマソ征伐のさい女装したのも、敵を欺くためではなく女装することによって女神の持つパワーを引き出そうとしたのではないかといわれているのですが、ここだけ男神VS男神のガチバトルが展開されているのも特異です。
そして最大の謎は、そのタケミカズチとフツヌシを祀る鹿島神宮と香取神宮がどうして出雲でもなければ九州でもなく、ましてや機内でもないここ関東の東の果て、千葉県と茨城県にあるのかということです。

国譲り神話_e0078674_19101691.jpg
(鹿島神宮の要石。銀色の粒は小銭、お賽銭のつもりなのでしょうが聖域の景観を損ねるのでこういうことはやめてもらいたいものです。) 

ところで天つ神と出雲神の双方に、それぞれ「タケ~」という神と「~ヌシ」という神が登場しているのに気づかれましたでしょうか。
この神話はあくまで中立的な立場から、天つ神と出雲神を対等に描いているのがよくわかります。
天つ神のタケミカヅチは、イザナギに殺された火の神カグツチの血から生まれた神で戦争の神であると同時に鉄の神でもあります。
そして出雲神のタケミナカタの母、ヌナカワヒメはカグツチを産んだイザナミの嘔吐から生まれた神カナヤゴと同一神とされていて、やはりタケミナカタも鉄の神です。
国譲り神話_e0078674_2023492.jpg
(こちらは香取神宮の要石。鹿島のが凹なのに香取のは凸なのが特徴。)
製鉄技術は大陸から渡来人によってもたらされたというのが今までの定説でしたが、近年、これを疑問視する説が続々と挙げられています。
というのも、鉄はほかの金属よりも溶融する温度が低く、純度の高い砂鉄を多く含んだ砂浜で土器を焼くための炉を設け火を焚いた場合、自然に砂鉄から還元された鉄が得られることがあり、実際に岩手県の縄文遺跡からは3600年前頃のカキ殻の付着した鉄滓が出土していて、縄文人は鉄を利用した鏃や釣り針を使っていた可能性があるというのです。
そして千葉県は良質な砂鉄を多く産出しますから、千葉の縄文人が鉄器を発明していたとしてもおかしくはありません。
鉄器は農具として便利なだけではなく強力な武器にもなりますから、鉄器を手にした集落は、強大な軍事国家へと発展していったでしょう。
日本に三社しかない神宮の称号をもつ特別に格式の高い社が隣接して二つもあるということは、ここにかつて神話でいうところの高天原、すなわち魏志倭人伝に登場する倭国の首都、邪馬台国があったからと考えるのは、発想が飛躍しすぎてますでしょうか?

おまけ
国譲り神話_e0078674_20301758.jpg

御手洗の泉でいただいた鮎の塩焼き。
古代米のおにぎりがついて400円でした。

by sweetmitsuki | 2012-05-19 19:06 | 古代史でポン | Trackback | Comments(2)
Commented by saheizi-inokori at 2012-05-20 22:13
千葉にいた頃、何回かいきました(どちらも)。
でも何も考えずにてをあわせただけでした。
せっかく行ったのにね。
Commented by sweetmitsuki at 2012-05-21 06:31
佐平次さま
鹿島神宮から香取神宮へは電車で行ったのですが、佐原の景観形成地区は震災によるダメージが大きく、多くの建物が修復中でした。
それでも梲を揚げる職人さんの仕事ぶりなど、めったには見れない光景に遭遇できました。
佐原には八坂神社があって、山車で賑わう盛大な祭りが香取神宮よりもむしろ有名で、それも意外でした。
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