mitsukiのお気楽大作戦

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やまわろ来る来る 心を隠せよ かたく目を瞑れ

仏教でいう悟りの境地のひとつに、他者の気持ちを理解するというのがあるそうですけど、人の心を見透かすことが、必ずしも正しいこととは思えません。
「もしもし、母さん、俺オレ、実は表沙汰にできない不祥事起こしちゃって示談金が要るんだ。今からいう口座に振り込んでくれないか。」などという詐欺も、人の心理に付け入るという知恵がなければできない行為ですし、大多数の世の中の人は「それは言わない約束でしょ!」という暗黙のルールの中で生きてるものなので、本当のことをそのまま言ってしまうと、「よくぞ言ってくれた。」と称賛されるより、ハブられる可能性のほうが高いのです。
日本に古くから伝わる民話に、「覚りの怪」という奇妙な物語があります。

むかし、炭焼きをして暮らしを立ててる男がおりました。
「今年は雪が積もりそうだから、今のうちにかんじきでも作っておくか。」
かんじきというのは、雪の上を歩くのに便利な、細い木でできた履物のことです。
山に行って適当な木を探しましたが、いい頃合いの木はなかなか見つからず、材料を調達し終わったころには、もうすっかり暗くなっていました。
男は囲炉裏に火をくべると、細い枝を炙って、曲げて、足に合うように加工し始めました。
遠火でゆっくり暖めていかなければ、焦げてしまうので、根気のいる作業です。
男は懐から餅を取り出し、一緒に焼いて食べることにしました。
そこに、今までに見たこともないような化け物が現れて、囲炉裏の前に図々しく座りました。
「おっかねえなあ、なんだいこの化け物は。」男がそう思うと、化け物はすかさず
「親父よ。おっかねえなあ、なんだいこの化け物は。って思ったろ。」と言いました。
男は驚きましたが、また心の中でつぶやきました。「何者だろうこんな奴。早く出て行ってくれないかなあ。」
間髪を入れずに、化物は言います。「今、俺のこと、何者だろうこんな奴。早く出て行ってくれないかなあ。って思ったろ。」
男は「なんて恐ろしい奴なんだ。覚りって化け物がいるって聞いたことがあるけど、こいつのことなんじゃないか。」と思うと、すかさず化け物はこう言いました。「親父よ、俺のこと、覚りの化け物だと思ったろ。」
ちょうどそのころ、餅がいい塩梅に焼けてきました。
「この化け物、餅をくれっていうだろうなあ、でも、こんな化け物に大事な餅をやりたくないなあ。」
男がそう思うと、また化け物が口を開きます。「俺が餅をくれというと思ったろ。でもお前はやりたくないって思ったろ。」
言うが早いか、化け物は目の前にあった餅を全部ぺろりと平らげてしまいました。
男は悔しいよりも恐ろしくなり、「この化け物、餅だけじゃ飽き足らずに、俺まで食い殺すつもりなんじゃないのか。」
化け物は不気味な顔でにたりと笑い「今、俺がお前を食い殺すつもりでいると思ったな。」といいました。
その言葉が終るか終らない内に、火に暖めていたかんじきの木が弾けて、化け物の顔にバーンと当たりました。
「痛てて、痛てて。人間は、思いもよらねこと、考えるもんだ。おっかね、おっかね。こんな所には、居れないよ。」
そう言うと、すぐに逃げて行ってしまいました。
それからは、山に入って泊まる時には、 小屋の入口にかんじきを吊しておくようになりました。
こうすると、化物が来ないといわれているそうです。

どんべすかんこ、ねっけど。


この妖怪は、人の心が読めるようで、実は表面的な事しかわかってないのですね。
本当に人の気持ちになって考えてみれば、かんじきの木を暖めるというデリケートなことをしている最中に無駄話なんかして疎かにしたら、木が暴発するのは当たり前で、人の考えてることを言い当ててドヤ顔してないで、「おい、ボーっとしてたらかんじきにする枝が焦げちまうぞ。」ぐらいのことをいえばいいのに、先の先が読めずに痛い思いをして逃げ帰るあたりが、妖怪と呼ばれる所縁なのでしょう。
覚りに関する数多くの伝説によると、もともとこの妖怪は人里ちかくに住んでいて、里の人々のために占いなどをしていたのだそうです。
覚る、つまり、他者が何を考えているか知ることは、それほど難しいことではありません。
ただ、その先の先を読んで、自分にも他者にも有益な情報を導き出せるかというのは、かなり難しい仕事です。
つまるところ、悟って聖者になるか、覚って妖怪になるか、そこが大きな分かれ道なんじゃあないのでしょうか。
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by sweetmitsuki | 2014-08-01 06:25 | おどろけー | Trackback | Comments(6)
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Commented by saheizi-inokori at 2014-08-01 09:06
やっぱり覚りと悟りの字の違いのユエンは分からないなあ。
Commented by sweetmitsuki at 2014-08-02 03:22
佐平次さま
話題はそれますけど、日本語は「者」と「物」、つまり人間と道具に発音の区別がない言語であること。
それから「事」と「言」、つまり事象と言語を同じ発音で使う言語だということ。
「覚り」と「悟り」も、もとはひとつの言語で、仏教という外来文化の影響で、ふたつに分かれたのではないのでしょうか。
Commented by saheizi-inokori at 2014-08-08 10:57
あなたがその違いを説明する根拠を示してくださるとおっしゃるから楽しみにしてましたのに^^。
Commented by sweetmitsuki at 2014-08-09 05:45
そもそも、ゴータマ・シッダッタが広めたブッディズムと、それが中国に伝わり信仰されるようになったフォージャオと、日本人が信仰している、みほとけさまのおしえは、違うものなので、そこから説明しなければ根拠は示せないのです。
たとえば、チベットやタイなどと日本や中国の寺院は、建築様式からしてまるで異なりますし、日本のお地蔵さまが赤い前掛けや頭巾をしているのは、日本特有の信仰で、他の仏教国にはないものです。
一席設けたぐらいでは、とてもとても説明できるものではありません。
近々、もう一席用意し直します。
Commented by antsuan at 2014-08-10 22:21
この民話を米国やイスラエルの諜報機関の連中に聞かせてやりたいです。
そういえば、悟りこそ、思考抜きでこころが動くことではないでしょうか。
人のこころを読み取ろうとしても、悟った人の行動までは読み取れませんよね。
Commented by sweetmitsuki at 2014-08-12 04:29
あんつぁん
どうして聖地で殺傷沙汰や流血事件が起きるのでしょうか。
彼らの心こそ理解不能です。