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mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
by sweetmitsuki
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上円下方墳の謎

上円下方墳の謎_e0078674_20322057.jpg東京・府中の甲州街道沿いにある武蔵府中熊野神社古墳に行って来ました。(詳しくはコチラ)上円下方墳という、ちょっと聞き慣れない形の古墳です。
古墳というと、誰もが航空写真で見るとカギ穴のような形をしている前方後円墳を思い浮かべ、それは古代の、天皇の墓だと思っていらっしゃるのではないでしょうか。
ところが、歴代天皇の中で埋葬された場所がハッキリしているのは天智天皇からで(詳しくはコチラ)、世界一大きな墳墓として知られる仁徳天皇陵(詳しくはコチラ)にしても、「『日本書紀』に仁徳天皇は、大きな墓に埋葬されたと書いてあるからそうだろう。」と、いう非常に不確かな理由で仁徳天皇陵と呼ばれているに過ぎません。
奈良時代に入ると、仏教の影響で天皇の遺体は火葬されるようになり、古墳は作られなくなりますから、全国に15万基以上ある古墳のうち、誰が眠っているのか分かっているものは、ホンの片手で数えられる位しかありません。
さて、明治に入ると、天皇は再び古墳に埋葬されるようになります。(古くないのでこの呼び名は間違ってますけど 詳しくはコチラ
上円下方墳の謎_e0078674_20332845.jpg残念ながら前方後円墳ではなく天智天皇陵に倣ってここと同じく上円下方墳です。
前後が上下になった分、コンパクトなデザインになってます。
余談ですが、このお墓の形は明治時代のエラい人たちの間でちょっとしたブームだったようで、例えば初代総理大臣の伊藤博文のお墓もこんな形をしています。(詳しくはコチラ
前方後円墳は、初期のものは「方」の部分が長く、カギ穴式と呼ばれているのですが(詳しくはコチラ)時代を経るにつれてだんだん短くなっていき、ホタテ貝式と呼ばれるようになり、遂には円と方が合体して上円下方墳になります。
上円下方墳の謎_e0078674_20365411.jpgところが不思議な事に、天皇の正式な墳墓として形式が定まった上円下方墳が最初に作られたのは、大和朝廷の都があった機内ではなく関東で、ここ武蔵府中熊野神社古墳が最も古い上円下方墳として知られています。
関東でこの時代に古墳の造営を変えるほどの何か事件が起こったのでしょうか。今のところ何も分かっていません。
古代史は謎だらけです。

by sweetmitsuki | 2008-03-05 05:45 | 古代史でポン | Trackback | Comments(1)
Commented at 2008-03-30 15:13
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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