mitsukiのお気楽大作戦

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朝鮮の閔妃と日本の後桜町天皇

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幕末から明治にかけての歴史資料を読んでいると、日本人がいわゆる皇国史観を持つようになったのは日清戦争の後からで、江戸時代にはほとんどの人が天皇の存在すら知らなかったと書かれていることが少なくないのですが、私はこれには首を傾げてしまいます。
その理由の一つである「御所御千度参り事件」について少し述べさせていただきます。
江戸時代の後期、智子という皇族の女性が後桜町天皇として即位します。(1762~1770)
異母弟の桃園天皇が22歳の若さで死んでしまい、その息子の英仁親王が後桃園天皇として即位するまでの代役のはずだったのですが、後桃園天皇も22歳で死んでしまい、天皇には1歳にも満たない娘の欣子内親王しかいなかったため、いくらなんでも0歳の赤ちゃんと成人男子を結婚させるわけにもいかず、閑院宮家という傍系の第六皇子祐宮師仁を年が近いという理由で婿にして光格天皇として即位させたため、上皇として天皇を支えなければならなくなってしまったのです。。
(つまりは神武天皇から絶えることなく男系の直系の子孫が天皇になってるなんてのはウソなんですねい。)
その光格天皇が17歳のとき、「御所御千度参り事件」は起きました。
天明7(1787)年6月7日、素性の知れない老人が始めたのが発端だそうですが、京都の御所の築地塀の周りを廻る「御千度(おせんど)」をする人々が現れたそうです。
7日には50人ほどの程度であったが、次第に数を増し10日には1万人もの老若男女が集まって塀の周りを廻った。その人数は、18日前後には一日7万人に達したといいます。
人々は南門にたどり着くと、銭を南門前面の敷石に投げ入れ、その向こうにある紫宸殿(ししんでん、御所の正殿)に向けて手を合わせたといいますから現代の詣と同じようなことをしたのです。
この「御所御千度参り」に集まったのは京都の人だけでは なく、噂は大阪や近国にまたたく間に広まったそうです。
暑さの厳しい頃なので、御所では築地塀の周囲の溝に、冷たい湧き水を流して、手や顔を洗えるようにしました。後桜町上皇は、3万個の和りんごを配らせましたが、昼前になくなってしまったらしいです。隣接する有栖川宮家、一条家、九条家、鷹司家も、茶や握り飯を配りました。
何故人々は御所に集まったのでしょうか。
実はこの年、江戸四大飢饉のひとつとして数え上げられている天明の大飢饉の影響で、米価が高騰し、餓死者まで出るという悲惨なことが起きていました。人々は、幕府の京都所司代や京都町奉行所に繰り返し嘆願したのですが、これらの役所はいっこうに救済策をとらなかったので代わりに天皇に詣でたのです。
光格天皇は、これを見て、すぐさま行動に移りました。
関白・鷹司輔平を 通じて、対幕府の窓口である武家伝奏に、幕府方の京都所司代 に対して窮民救済に関する申し入れをするよう、命じたといいます。
実は江戸時代には、天皇は武士のやることに口を挟んではいけないという決まりがあって、そんなことをすれば後桜町上皇も光格天皇も流罪に処せられてもおかしくはなかったのですが、それも覚悟の上だったのでしょう。
江戸の幕府は、朝廷からの申し入れを受けて、千石(15トン) の救い米放出を命じ、これを朝廷に報告します。
この頃は一揆や打ちこわしなど、民衆の不満がピークに達していましたから、さらに天皇(しかも女と子供)を敵対するのは分が悪いと考えたのではないのでしょうか。
この年の11月に挙行された大嘗祭では、光格天皇の次の御製が世上に流布し、評判となりました。

身のかひは何を祈らず朝な夕な民安かれと思うばかりぞ
(自分のことで何も祈ることはない。朝な夕なに民安くあれと思うばかりである)

じっさいのところ、江戸時代の一般市民が天皇のことをどう思っていたのかは詳しい資料が残っていないのでよくわからないのですが、天皇が民衆のことをどう思っていたのかについては、このように資料が残っています。
ですが天皇も現人神ではなく人間ですから歴代の天皇がすべてこんな立派な人だったのかどうかは不明です。
「牝鶏嘶けば国滅ぶ」という言葉があるくらいで、女性が玉座に就くのは傾国の前兆ともいわれていて、実際隣国の清は西太后の時代に、そして朝鮮では閔妃の時代に国が滅んでいます。
男性の皇位継承者が現れず、女性が天皇になって、しかも天災が起き飢饉になり民衆が反乱を起こしても国が滅びなかった日本は本当に奇跡としかいいようがありません。

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# by sweetmitsuki | 2017-04-26 04:14 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(0)

朝鮮のクッパと日本のおにぎり

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民乱の時代 秩父農民戦争と東学農民戦争
河田宏 著
原書房 刊
この本が執筆されたのが2011年のことだそうですから6年たった今、明治ブームはますます過熱しやれ教育勅語を復活させろだの憲法を明治憲法に直せだの騒々しいです。
ですが明治って本当にそんな素晴らしい時代だったのでしょうか。
日本は明治の頃農民蜂起が頻発し、その最大規模で組織的な武装蜂起だったのが秩父事件で、隣国朝鮮ではその数倍規模で東学党の乱がおきています。
こんなことを書くと「確かにそんなこともあったけど、当時は欧米列強が牙を剥いてそこまで手が回らなかったんだ。それより日本人なら祖先の偉業である明治維新を誇りに思うべきじゃないか。」といわれそうですが、グローバリズムとか新自由主義とか欧米列強が牙を剥いてるのは今も同じで、この問題は収束もしてなければ決着もついてないのです。
それと、この問題を日本と朝鮮の民族問題だとはき違えている人がいますが、それも違うと思います。
これは、真面目に働いてる大多数の人間が生活に窮しながら、僅かな人間が富を独占しているという社会の矛盾の問題なのです。
驚きなのは、まだ社会主義という概念のなかった時代に、東学党農民軍は朝鮮政府に対し、農民の自治組織である執綱所(チプカンソ)を設けることを認めさせることで和約していました。
これこそが農民革命の基礎となるものであり、村落中心の土地公有制度を実現するものでありました。(日清戦争で日本軍に潰されてしまうのですが)
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民族の問題ではないと申し上げはしましたが、同じように困窮し、同じように蜂起した農民でも、日本人と朝鮮人ではやることなすことすべて違うのでそれも驚きです。
たとえば、普段麦粥しか食べてない農民も、いざ決起すれば首謀者によって白米が配られるのですが、朝鮮人はそれを椀に盛ってスープをかけて食べるのに比べ、日本人はおにぎりにして食べます。
どうして日本人はおにぎりにするのかというと、個別の器を揃える手間を省くためと、なにより「みんなおにぎりふたつづつ。」と、食糧の分配を平等にするため。それと残りご飯を道明寺米(干し飯)にして保存しておくためなんですが、そんな理屈は抜きにして、日本人はおにぎりを食べると気分が高揚するのです。
これはもう、血のなせる業としかいいようがないのです。

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# by sweetmitsuki | 2017-04-25 04:45 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(0)

平成之教育勅語

教育勅語のなにがいけないのか、いろいろと指摘はあるようですけど、私としてはエコと省エネに対して一言も書かれてないのがいちばんの大問題だと思います。
明治時代にはそんなことはいちいち言葉に出していう必要はなかったのかもしれませんが、今の日本、天皇の命令文として自然環境への尊崇と畏怖の言葉がまったく書かれてないようじゃ八百万の神々が住まう国のバイブルとして不適切にも程があるんじゃないのでしょうか。
それともうひとつ、これは教育勅語の矯正不能な欠陥なのですが、明治時代に発せられたため明治時代の文体で書かれていて、現代の子どもには理解できないということ。
ですから誰かがわかりやすいように意訳しなければならないのですが、そんなことをすればそれはその時点で勅語ではなくなってしまうのですよ。
天皇陛下の口から直接出たものでないものを勅語とはいいません。
ですから、勅語を学校教育に取り入れたいのなら現代の言葉を使っている今上陛下の言葉の中からそれに相応しいものを探すしかないのだと思います。
たとえば、そうですねい。1995年、植樹祭のとき、美智子皇后陛下はこんな和歌を詠んでいます。

初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな

これは和歌としてとてもいいのでそれだけで教科書に載せてもいいんじゃないかと思うのですが、労働の尊さや自然の恵みに対する感謝の気持ちなど、日本人が後世に伝えたいことが短い文言の中に教育力勅語を遥かに凌ぐボリュームで込められていて、とてもいいと思います。
教育勅語のさらなる欠陥として、長すぎて覚えにくいというのがあって、覚えにくい文書の暗記は、それだけで他の勉強の学習の妨げになるのですが、皇后陛下の玉歌は短いのですぐに覚えられ、それだけでも教育勅語より秀でています。
古いものより新しいものが正しく、伝聞よりも口移しのほうがより正しいのは当たり前のことですから、明治天皇の勅語の意訳などという得体の知れないものより、正真正銘純度100%の皇后陛下の言葉を学校教育には取り入れるべきなんじゃないのでしょうか。
とはいえ、天皇は政治や教育に口を挟まないというのが戦後民主主義の大前提ですからどんなに良いことでも勅語を義務教育の教材に使ってはいけないのです。でも皇后陛下の玉歌はとてもいいので勤皇ならもう一度斉唱しましょう。

初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな

日本人は戦争をしてはいけません。日本人は戦争をしてはいけません。他の国のように軍隊をもってもいけません。皇后陛下の勅語に逆らう奴は不敬罪で取り締まるべきです。
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# by sweetmitsuki | 2017-04-09 15:37 | Trackback | Comments(5)

秩父農民戦争

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おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ! 秩父事件を歩く
街と暮らし社 刊
筒井作蔵 著

遺跡を見に秩父に行ったとき(豊富な地下資源を産出したので広範囲にわたり大規模な古代遺跡があります)いろんなところで「秩父事件碑」なるものを見かけたので秩父で何か大規模な事件があったということは知っていました。
それで、本屋さんでこの本を見て、これのことか。と思い早速購入しました。
簡単にいうと、明治時代に起きた困窮民による武装蜂起なんですが、それがただの暴動ではなく農民戦争と呼ばれているのは困窮民たちがちゃんとした軍事組織と厳重な軍規を持っていたから。
戦争といっても彼らの要求は独立や自治ではなく高利貸しに対する債務の据え置き、賦払いの要求なんですが、話し合いによる決着がつかなかった場合、合薬をもって殺害すること、該件張本人が捕縛あいなり抑留されたら合薬破裂をもって警察を破壊し抑留人を救い出すことがあらかじめ話し合いで決められていました。
そして、この目的を達成するための軍資金の調達が行われ、その借用書が今も残っています。
じっさい、この事件は警察には勝ったものの軍隊によって鎮圧され首謀者らは信州に敗退するのですが、その先々で炊き出し(ろくなもの食べてません)の際、ちゃんと代金を支払っています。
そして軍規は相当に厳しく、私怨で人殺しをしたら即斬、婦女を姦したら即斬、金円その他を盗んだら即斬と決められていました。
「おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ」は農民組織化のスローガンでしたが、被弾した腕を医師により切断されその腕を枕に死んでいったなど、内容はかなりバイオレンス。
そして闘いが終わると、官によるさらなる暴挙が始まるというひどい結末。
それでも、圧政には暴力をもって立ち向かうしか道がなかったのでしょうか。
考えさせられてしまいます。

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# by sweetmitsuki | 2017-04-04 00:29 | Trackback | Comments(2)

桜咲き筍生えて燕来る

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さてさて、桜の季節となりました。
こちらではまだ五分咲きといった程度ですが、せっかくですので満開の桜をと思い、どうしてだかわかりませんがいつもいつもより早く咲く桜の下で一枚撮ってきました。
春というのはまだ凍てつくような寒い日が続く中、ほんの小さな陽だまりの中で名もない雑草が健気にも小さい花を咲かせているのがいちばん素敵で、桜が咲くようになって浮かれているのはお子ちゃまでちゅねー。なんてちょっと馬鹿にしていた私ですが、それでもやっぱし桜が咲くと見惚れてしまいます。
それともうひとつ、桜は軍国主義を象徴する花でもあるので、みんなが一斉に同じ方向を向いてるのを見ると、なにかまやかされているような気分になってしまうのですが、まあ春なんだからいいんじゃないでしょうか。

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やってきたのは桜前線だけではなく、燕も巣作りにやってきました。
燕というのはけっこうズルい鳥で、軒先に巣を作るのはそこがカラスなどの天敵に襲われない安全な場所だということを知ってるからで、こうしてカメラを向けても逃げようともしません。
自分たちの都合で勝手に日本にやってきて糞などで人に迷惑をかけているのにもかかわらず守り神のような図々しい態度を取っているのを見るとちょっと憎らしくもあるのですが、春なんだからしょうがありません。
本当に、春が来ると浮かれてしまうのは仕方のないことなんです。
まだ春は始まったばかり。これからもっと浮かれてしまうのでしょうが、それも仕方のないことですね。


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# by sweetmitsuki | 2017-04-02 20:01 | ぬくぬく引きこもり記 | Trackback | Comments(2)

カゴいっぱいの春

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野原一面にツクシが咲いてるのを最近見かけなくなりました。
ツクシは春の野原にどこででも咲いてるありふれた草なのにどうしてなんでしょう。
ツクシは袴を取るのが面倒で10本もあれば十分なので真面目に捜す気がないのかもしれません。
それでも、別用で郊外に出掛けたとき野原いっぱいのツクシを見かけることがあるのですが、そういう時に限って車で移動中だったり、その別用が押してて時間がなかったりで、その日の晩の食卓にツクシごはん、ツクシの天ぷら、ツクシの卵とじといったツクシ尽くしのメニューが並ぶことはありません。
ツクシが咲く季節はまだかなり肌寒く、野原の花もまだまばらで土全体が黒っぽく、お世辞にも美しいとはいえないのも、春の野原に行こうという気になれない理由なのかもしれません。
ですが今年もカゴ(物凄く小さいカゴですけど)いっぱいのツクシを摘んで、鍋(物凄く小さい鍋ですけど)いっぱいに煮込んで定番の卵とじにして頂きました。
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# by sweetmitsuki | 2017-03-18 18:50 | 原始人ごっこ | Trackback | Comments(4)

日本ヨイ国神ノ国

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日本人が教えたい新しい世界史
宮脇淳子 著
徳間書店 刊
なぜ日本人は満州や朝鮮、台湾に対して自虐史観と呼ばれる特別な感情を抱くのでしょうか。
それは、戦争に負けたから自然にそう思うのではなく、またそのように感じるのが道義的に正しいというわけでもなく、こうした考えは日本人特有のものなんだそうです。
この本によると、それは日本書紀の影響を受けているからで、実は私も以前から日本人の戦争嫌い&平和好きは日本書紀や古事記のせいだと思っていたので、これで自分の考えに確信を持つことができました。
さて、本書について感想を述べる前に、私がどうして日本書紀や古事記のせいで日本人が戦争嫌いで平和好きなのかそう思うのかについて述べさせていただきます。
日本書紀に登場する重要な人物(神様)といえば日本武尊(ヤマトタケル)が有名ですが実はこの神様、日本書紀はともかく古事記ではひどい書かれ方をされているのです。
子どものころから手のつけられない乱暴者で手を焼いた父親の景行天皇から「戦争で死ねばよい。」とばかりに敵地に行かされ、敵と戦うときにも正々堂々とはやらずに女に化けたり武器をすり替えたりと卑怯な手を使い、挙句に慢心して自ら宝剣を手放し、それが致命傷となって遂には故郷の地を踏むことなく惨めに朽ち果てるのです。
本書では、古事記は日本書紀をもとに作られたとしていますけどそれはまた別の話としてもう一人、日本書紀というか日本史の中でも最も重要な人物の一人である聖徳太子について述べてみたいと思います。
つい最近まで、聖徳太子は実在の人物であると思われていたのですが、日本書紀が創作した架空の人物であるという考えが現在では主流で、要は日本武尊と同じく神様だと考えられているようです。
その神様が何をしたのかというと、日本で最初に憲法を作り、その憲法の第一条に「和を以て貴しと為し」と平和主義を掲げ、さらには「忤ふること無きを宗とせよ」と戦争放棄まで謳っているのです。
神話であり正史でもある国の文書に、軍人がボロカスに描かれ、平和主義者が聖者として讃えられていれば誰だってそれが正しいと思うはずです。
ところが、本書では日本書紀のこのような記述は真実ではなく、日本書紀という歴史書が作られた経緯について考えてみる必要があるというのです。
日本書紀が作られた時代、アジアは大激動期でした。幾世代にも亘る戦乱があり、幾つもの都市が焦土と化し廃滅し、数えきれないぐらいの人が命を失いました。
戦禍を逃れた人々は、着の身着のままの姿で、一掴みの種籾を懐に抱き笹の葉のような小舟に乗り嵐に晒され荒波に揉まれながら海の彼方へ辿り着いたのでしょう。
そして、その地を新しい故郷と定め、二度と戦争に苦しめられることなく平和に暮らしていこうと決心したに違いありません。
だからこそ日本書紀には徹底して武力への嫌悪が綴られているのです。
天皇が万世一系だなんて嘘っぱちだ。という人がいますが、天智天皇あるいは天武天皇以降の皇室が滅びることなく現在まで続いていることに意義を唱える人はいないでしょうから、皇紀二千六百余年とはいかなくても控えめに見積もって千年以上皇室が続いていることに変わりはなく、これは世界でも例がないことです。
実はこの本、最初から読まずにとりあえず日本書記にについて取り上げられている章を読んだだけなのですが、それだけでなんだか胸の中で燻ぶってたものが晴れたような、とても爽やかな気分になれたのでした。

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# by sweetmitsuki | 2017-02-15 20:59 | おどろけー | Trackback | Comments(8)

信仰は儚き人間のために


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職場や家の中に篭っていると、いつまでも寒い日が続いて春なんか来ないんじゃないかと思ってしまいますけど、外に出てみればもう桜が咲いています。(河津桜ですけど)季節は確実に春に向かっているのですね。
コンビニに立ち寄ったら、お弁当のコーナーに「2月12日は初午なのでお稲荷さんを食べて運気を向上させましょう。」とか書いてあって私が子どものころにはそんなことやった記憶がないのですけど、古くから日本に伝わる伝統的な行事なんだそうです。
今初めて見せられたものを、昔からある日本の文化だといわれてもいまいちピンとこないのですけど、日本人というのはこういうのが好きなようで、節分の恵方巻きと並んで、定着しつつあるみたいです。
恵方巻きも、元々は遊郭の客が娼妓に無理強いしたエッチな遊びが起源なんだそうで、ちょっと日本の伝統文化と呼ぶには品がなさすぎます。(太巻きは美味しいので食べますけど)
しょうもない日本の伝統文化といえば、2月11日は建国記念の日ですけど、この日は神武天皇が即位した日だといわれているのですが、神武天皇は橿原を侵略したとき、忍坂を支配していた土蜘蛛と呼ばれる先住民族を率いていたヤソタケルに対し、偽りの酒宴を開き、油断させたところを配膳人に扮していた兵士に刀を抜かせて襲わせるという、とてもとても卑怯なことをしているのです。
敵対する相手に対しては、表では友好的な態度を偽っておきながら裏ではとことん非情な姿勢を貫き、宣戦布告もなしに奇襲による騙まし討ちをするというのが日本に古くから伝わる伝統文化なんでしょうか。
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それはそれとして初午なのでチーズ稲荷を作ってみました。
油揚げにとろけるチーズを詰めただけという超簡単料理。
袋を閉じるときに串の代わりにパスタを使うとそのまま食べられます。
オーブントースターで焼いたほうが簡単ですけど、焦げ目がないと物足りないので金網で焼いてみました。
ちょっと焦げすぎちゃいましたけど。

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# by sweetmitsuki | 2017-02-13 05:07 | おどろけー | Trackback | Comments(4)

谷間の春は花が咲いてる


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冬は寒いのでどこにも行く気になれないのですけど、運転免許証の更新をしなければならないので、ついでに近くの森まで出掛けてきました。
今年は暖かだったのか、白梅も紅梅も見ごろを迎えていたのですが、今の季節に映えるのは蝋梅でしょう。
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渡り鳥は人間を怖れないのか、近くまで寄ってカメラを向けても逃げようとしません。
花の蜜を吸っているのか花に集まる虫を狙っているのかわかりませんでしたけど、枝から枝へ忙しそうに飛び歩き、周囲にいる人間なんて意に介さないようでした。この鳥も、春になったらどこかへ飛んで行ってしまうので、こうして目に留めておけるのも今の季節だけです。
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そして、節分の時期の今頃に見ごろを迎えるのは、何といってもセツブンソウですね。
ただ、この花にはトリカブトと基本同じ毒があるので決して口に含んではいけません。
基本、保護区にしか咲いてませんから、摘むこと自体タブーなんですけど。

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# by sweetmitsuki | 2017-01-30 20:00 | お出かけドリフト | Trackback | Comments(4)

ダイヤモンドは見られなかったよ

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一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、四月はしがない、五月は後手になる、六月はろくでもない、七月は退く、八月は罰が当たる、九月は窮する、十月は途方に暮れる、十一月はいちいち煩わしい、十二月は自由にならない、などと申しまして月日の経つのは早いもので2017年ももうひと月が過ぎようとしています。
まだまだ寒い日が続きますがそれでも太陽は一日毎に長くなり花も咲き始め、季節は確実に春へと進んでいることが実感させられます。
今年もダイヤモンド富士を見に、荻窪タウンセブンの屋上に行ってきました。
ダイヤモンド富士は、富士山に近い地域なら数日に亘って見ることができるのですが、荻窪ぐらい遠くなると一日しか見ることができません。
そしてその日は1月25日ぐらいなので今日はまだ早いのですが、それでも夕暮れ時にのんびりと夕日を眺めてられるのは日曜だけなので今日見るしかないのです。
そしてこの光景である。
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ダイヤモンドになってないだけではなく雲に阻まれて富士の山峰すら見えません。
これではただの落日です。
まあ、一年に一度(正確には十二月上旬にも見られるので二度)のことでその日雲一つない晴天に恵まれるという保証はどこにもないのですからこういう年もあるのです。


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# by sweetmitsuki | 2017-01-22 20:06 | お出かけドリフト | Trackback | Comments(4)