mitsukiのお気楽大作戦

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平成之教育勅語

教育勅語のなにがいけないのか、いろいろと指摘はあるようですけど、私としてはエコと省エネに対して一言も書かれてないのがいちばんの大問題だと思います。
明治時代にはそんなことはいちいち言葉に出していう必要はなかったのかもしれませんが、今の日本、天皇の命令文として自然環境への尊崇と畏怖の言葉がまったく書かれてないようじゃ八百万の神々が住まう国のバイブルとして不適切にも程があるんじゃないのでしょうか。
それともうひとつ、これは教育勅語の矯正不能な欠陥なのですが、明治時代に発せられたため明治時代の文体で書かれていて、現代の子どもには理解できないということ。
ですから誰かがわかりやすいように意訳しなければならないのですが、そんなことをすればそれはその時点で勅語ではなくなってしまうのですよ。
天皇陛下の口から直接出たものでないものを勅語とはいいません。
ですから、勅語を学校教育に取り入れたいのなら現代の言葉を使っている今上陛下の言葉の中からそれに相応しいものを探すしかないのだと思います。
たとえば、そうですねい。1995年、植樹祭のとき、美智子皇后陛下はこんな和歌を詠んでいます。

初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな

これは和歌としてとてもいいのでそれだけで教科書に載せてもいいんじゃないかと思うのですが、労働の尊さや自然の恵みに対する感謝の気持ちなど、日本人が後世に伝えたいことが短い文言の中に教育力勅語を遥かに凌ぐボリュームで込められていて、とてもいいと思います。
教育勅語のさらなる欠陥として、長すぎて覚えにくいというのがあって、覚えにくい文書の暗記は、それだけで他の勉強の学習の妨げになるのですが、皇后陛下の玉歌は短いのですぐに覚えられ、それだけでも教育勅語より秀でています。
古いものより新しいものが正しく、伝聞よりも口移しのほうがより正しいのは当たり前のことですから、明治天皇の勅語の意訳などという得体の知れないものより、正真正銘純度100%の皇后陛下の言葉を学校教育には取り入れるべきなんじゃないのでしょうか。
とはいえ、天皇は政治や教育に口を挟まないというのが戦後民主主義の大前提ですからどんなに良いことでも勅語を義務教育の教材に使ってはいけないのです。でも皇后陛下の玉歌はとてもいいので勤皇ならもう一度斉唱しましょう。

初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子供らに戦(いくさ)あらすな

日本人は戦争をしてはいけません。日本人は戦争をしてはいけません。他の国のように軍隊をもってもいけません。皇后陛下の勅語に逆らう奴は不敬罪で取り締まるべきです。
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by sweetmitsuki | 2017-04-09 15:37 | Trackback | Comments(5)

秩父農民戦争

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おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ! 秩父事件を歩く
街と暮らし社 刊
筒井作蔵 著

遺跡を見に秩父に行ったとき(豊富な地下資源を産出したので広範囲にわたり大規模な古代遺跡があります)いろんなところで「秩父事件碑」なるものを見かけたので秩父で何か大規模な事件があったということは知っていました。
それで、本屋さんでこの本を見て、これのことか。と思い早速購入しました。
簡単にいうと、明治時代に起きた困窮民による武装蜂起なんですが、それがただの暴動ではなく農民戦争と呼ばれているのは困窮民たちがちゃんとした軍事組織と厳重な軍規を持っていたから。
戦争といっても彼らの要求は独立や自治ではなく高利貸しに対する債務の据え置き、賦払いの要求なんですが、話し合いによる決着がつかなかった場合、合薬をもって殺害すること、該件張本人が捕縛あいなり抑留されたら合薬破裂をもって警察を破壊し抑留人を救い出すことがあらかじめ話し合いで決められていました。
そして、この目的を達成するための軍資金の調達が行われ、その借用書が今も残っています。
じっさい、この事件は警察には勝ったものの軍隊によって鎮圧され首謀者らは信州に敗退するのですが、その先々で炊き出し(ろくなもの食べてません)の際、ちゃんと代金を支払っています。
そして軍規は相当に厳しく、私怨で人殺しをしたら即斬、婦女を姦したら即斬、金円その他を盗んだら即斬と決められていました。
「おそれながら天朝様に敵対するから加勢しろ」は農民組織化のスローガンでしたが、被弾した腕を医師により切断されその腕を枕に死んでいったなど、内容はかなりバイオレンス。
そして闘いが終わると、官によるさらなる暴挙が始まるというひどい結末。
それでも、圧政には暴力をもって立ち向かうしか道がなかったのでしょうか。
考えさせられてしまいます。

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by sweetmitsuki | 2017-04-04 00:29 | Trackback | Comments(2)

それでもそれでもやらねばならぬ

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C県の出張から帰ってきました。
疲れましたよ本当に。
でも年内これで仕事は終わりじゃないのです。
今年の仕事はまだまだ続くのです。
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by sweetmitsuki | 2016-12-26 05:51 | Trackback | Comments(2)

きっと終幕は大団円 拍手の合間に

ブログ仲間の佐平次さんが、文藝春秋の芥川賞発表号に掲載されている小山田浩子氏の作品「穴」が面白いというので読んでみました。
冒頭を読んで「こういう緻密な描写は優れた観察眼がないと書けないわね。」などと思っていたんですけど、中盤になって「???」になってしまいました。
というのも、作品に登場する昆虫(かなりたくさん出てきます)の描写が、観察によるものではなく作者の完全な想像によるものだからです。
私は家庭菜園をやっているので昆虫のことは少し知ってるつもりですが、たとえば蠅は、不潔な生き物に思えて本人はいたってきれい好きで、小林一茶が「やれ打つな蝿が手をすり足をする」と詠んだように常に身繕いをしているもので、冬なら話は違いますけど夏の蠅が死んだように動かないなんて、絶対にありえない話です。
それなのに、この蝿がいんちきでちゃちな作り物には見えず、むしろ自分の知ってる蝿とは違う、異界から来た得体の知れない不気味な怪物に見えてきて、そうなるとこの作品の舞台である、一見して何の変哲もないただの田舎町が、魔境のように思えてきてゾクゾクしてきました。
そして、主人公が不思議な生き物を追いかけて穴に落ちる件で義兄から「何だい、お嫁さんは不思議の国のアリスなの?」と笑われるのですが、たしかにこの作品の下敷きには「不思議の国のアリス」があり、それは間違いないんですけど、もっと何か別の、日本人なら誰でも知ってる有名な話が下敷きになってるんじゃないのかと思えてきまして、それが何かわからず、わからないから気にかかって、しばらく頁を閉じて考えてみたのですが結局わからず、最後まで読み終わってはじめて気が付きました。
この作品は「となりのトトロ」のオマージュじゃないですか。
較べれば比べるほどこの作品は最初から最後まで話の展開が「となりのトトロ」にそっくしです。
しかもそれは偶然似てしまったのではなく、意図的にわかってやってるんだと思う件があります。
作品の最後に主人公は自電車で蝉の死骸をわざと踏み潰すのですが、どうして死んでるとはいえそんな残酷なことをするのか、最初は理解できませんでした。
ですがそのように解釈すれば、彼女は子どものころ見たアニメやゲームのヒロインになってマシンを操り魔界の怪物を退治したんだ。という風に納得がいくのです。
この作品が、いわゆるパロディの類ではなく、文学作品として高く評価されたのは、作者自身の、覇気のなさというか欲のなさというか、この作品を発表して有名になろうとか金儲けがしたいとか賞を獲ろうとかいう気概がまったく感じられず、それどころか自己主張しようという気すら窺えないというところが大きいんじゃないのかと思います。
少なくとも私にはその力の抜け具合が好印象でした。
結局義兄のタカちゃんが、何者だったのかは最後まで触れられませんが、きっと、作者の胸の内には答えがちゃんと用意してあるのでしょう。
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by sweetmitsuki | 2014-02-17 20:14 | Trackback | Comments(6)

ああ神様

佐平次さまのブログで「ふしぎなキリスト教」(橋爪大三郎×大澤真幸著、講談社現代新書刊)という本を紹介していたので読んでみたのですがとても面白いです。
日本人が信仰している神様とキリスト教徒が信仰している神様(ゴッド)はぜんぜん違うもので、それはイスラエルという土地がエジプトとメソポタミアという両大国に挟まれ翻弄されてきたからで、島国で安全だった日本とはまるで正反対だったからとか、とても分かりやすく書いてあります。
この本を読むと自分の考えが変わりそうなので、変わらないうちに神様について書いておきます。

すべての人間は神様を信じていると思います。
「私は神様なんか信じない。」「私は無神論者だ。」と言ってる人だってそれは脳の表面的な部分でそう考えてるだけで、脳の深層部では神様を信じてるんですね。
それはどうしてか今から説明します。
すべての人間は働いて仕事をして生きています。
中には働かないで遊んで暮らしてる人もいるかもしれませんが、そういうのは無視します。
そして、働いてるのは人間に限ったことではなく、たとえば猫だってネズミを捕って働いています。
飼い猫はネズミを捕って人間に養ってもらっていますが、野生の猫だってネズミを捕ってそれを餌にして生きてるのですから働いてることになります。
つまり、すべての生き物は働いて生きてるのです。
中には働かないで遊んで暮らしてる猫もいるかもしれませんが、そういうのは無視します。
話を分かりやすくするために、ネズミを捕る仕事をしている人がいるということにしましょう。
その人が、ある日たまたま偶然に、いつもよりたくさんのネズミを捕えることができたとしましょう。
これはネズミ捕りに限った話ではなく、同じ仕事を毎日毎日何年も何十年も続けていれば、実力以上の果報が得られる日がたまたま偶然訪れるということはあるものなのです。
私は猫じゃないので猫のことはよくわかりませんが、猫だってネズミを毎日捕えていれば、たまたま偶然いつもよりたくさんのネズミが捕えられる日はあるでしょう。
そんな日は「今日はついてるな。何時もこうだといいのに。」と思うんじゃないのでしょうか。
ここまでは人間も猫も同じなのですが、人間は「どうすればこんな日が毎日続くんだろう。」と、真剣に考えるのです。
おそらく猫はそこまで真剣にものを考えないでしょう。
偶然はあくまで偶然なのですからどんなことをしたって偶然は偶然にしか起こらないのですから、いくら考えたとしても偶然が毎日続く方法は見つからないはずなのですが、それでもそう考えてしまうのが人間なのです。
つまり、人間は猫よりも馬鹿だということになりますが、それは人間は猫よりも知能が低いからではなくて、逆に知能が高いからそう考えてしまうのです。
その結果、神様といういるはずのないものを創り出し、それが信仰に繋がるのだと思うのです。
こんな風に書くとミもフタもないですけど、本を読み終えた後で考えが変わるかもしれないので、とりあえず読む前の今の考えを書いときます。
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by sweetmitsuki | 2012-08-06 06:39 | Trackback(1) | Comments(4)

教科書に書いてある事だけじゃわからない

「日本は沖縄を差別している」というコメントを半月ほど前に戴きまして、即答出来なくて、あれこれ考えてはみたのですが考えがまとまりませんで、それでも何時までも保留にしたままでは失礼なので今答えられる範囲内で、私なりの意見を述べたいと思います。

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by sweetmitsuki | 2010-09-02 21:13 | Trackback | Comments(2)

ブログは仲良く楽しく平和に

タイトルとは裏腹に、かえって険悪な雰囲気を醸し出してしまいそうな内容なんですけど、これ書かない事には前に進む事もあとに戻る事も出来ないんで。

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by sweetmitsuki | 2010-03-12 21:41 | Trackback | Comments(2)

サクラサク

e0078674_20402036.jpg友人のお子さんのもとへ、桜咲くの吉報が届いたのでブログを再開します。
まずは天神さま、ありがとうございました。
そして、合格おめでとうございます。
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by sweetmitsuki | 2008-02-28 20:40 | Trackback | Comments(10)

お知らせ

e0078674_20422584.jpg最近ではあまりやる人がいないようですが、神仏に祈願するとき、願いが叶うまでの間、自分の一番好きなものを断つという習わしが古くからありますね。
以前にもちょっとお伝えしましたが、私の友人のお子さんが高校受験でいよいよラストスパートなので、私にも何か出来る事がないか考えた末、合格の知らせを聞くまでブログ断ちをすることにしました。
本当はこういう事は声高らかに宣言してするものではなく、むしろ黙ってやるものなのですが、更新が途絶えて何かあったんじゃないかと心配されても恐縮なので。
それでは皆さま、春までごきげんよう。
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by sweetmitsuki | 2008-01-13 19:40 | Trackback | Comments(1)

木綿のハンカチーフ

e0078674_19115526.jpgバイクではなく電車で移動する機会が増えたせいで、めっきり読書量が増えました。
最近読んだのは姜尚中著、『愛国の作法』(朝日新書刊)
今いちばんハマってる作家です。
この人の何が好きかって、情に頼らず論だけで自説を展開している所。例えば別著『ニッポン・サバイバル』(集英社新書)では、職場における男女差別(不平等)が何故いけないのか、という問題について、フェミニストとしてではなく経済学者として、「国が男女とも同額の教育費を負担しているのだから、同じように活躍させないと採算が合わない」と指摘しています。
そんな著者が唯一感情を顕にしていて面白かったのが、現職総理大臣の安部さんを名前で呼ばずに『美しい国へ』の著者、と回りくどい書き方をしていた点。よっぽど嫌いなんだなぁ、と思いつつもストレートに悪口を書かず、慇懃無礼に振舞う辺り、彼らしくて笑えました。
e0078674_21144288.jpg姜尚中は『美しい国へ』の著者ら自称愛国者を、郷土愛と祖国愛をすり替えている、と痛烈に批判しているのですが、私が思うに、郷土愛というのは多くの民謡のうたい文句に普通に見られるような、牧歌的で健全で、自然なものであるのに対し、祖国愛というのは、最近椎名林檎さんがカヴァーして再び有名になった、太田裕美さんのヒット曲、『木綿のハンカチーフ』の歌詞に、「恋人よ 君を忘れて変わってく僕を許して 毎日愉快に過ごす街角 僕は帰れない」とあるような、何処か後ろめたいものを伴っているように感じるのです。
アジア諸国を侮蔑し、日本の優秀さに心酔している一部の自称愛国者たちは、「今も素顔で 口紅もつけないままか 見間違うようなスーツ着た僕の写真見てくれ」と歌われている男に何処か似ています。
この歌がヒットした時代を経たおかげで、私たちの暮らしはとても豊かで便利なものになりました。
でも、大切なものをたくさん失い、環境破壊など困難な問題を現在に残したのも事実です。
そう考えると、今、わが国が正しい方向へ進んでいるとは、決していえないでしょう。
その事に目を背け、無条件で愛国心を謳うのは、まさに「都会の絵の具に染まる」のに等しいのかも知れませんね。
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by sweetmitsuki | 2007-04-03 21:18 | Trackback | Comments(10)