カテゴリ:古代史でポン( 51 )

高天原に神留坐す

e0078674_27822.jpg天皇の話が続きましたので、日本神話における天皇の記述を、もう一度読み直してみました。
皇祖神、天照大神の子がアメノオシホミミ、その子が(天孫)ニニギ、その子がホオリノミコト(山幸彦)、その子がウガヤフキアエズ、その子がイワレビコ(神武天皇)です。
このように書くと、やっぱし皇室は男系なんだな。と、思ってしまいますけど、私はそうは思いません。
何故なら、アメノオシホミミの母は、先に述べたとおり天つ神、天照大神です。
そしてニニギの母は、別天つ神(ことあまつかみ、宇宙創造の神)タカミムスビの子、栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)、ホオリノミコトの母は山つ神、オオヤマツミの子、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、ウガヤフキアエズの母は海つ神、ワダツミの子、豊玉姫(とよたまひめ)、神武天皇の母は豊玉姫の妹、玉依姫(たまよりひめ)です。
記紀のこの記述によれば、現人神は、単に太陽の神の子孫というだけではなく、海の神、山の神、宇宙の神の混血児だということになります。これは、いったい何を意味するのでしょうか。
日本列島は狭いようで南北に細長く、暑い地方もあれば寒い地方もあります。険しい山脈もあれば、深い海峡もあります。そのようなバラエティに富んだ自然環境の中で、人びとは自分たちの気候風土にあった生活を営み、独特の文化を築き上げ、多彩な宗教を信仰し、あまたの神を奉じてきました。
その人々が、より深い交流を求め、そして何より、決して争わぬよう互いに誓い合うため、ひとつの国を作ったとき、自ずとこの神話は生まれたのではないのでしょうか。
ある地方では、太陽が神として崇められていました。そしてまた、ある地方では山が神として篤く信仰されていました。海を神として祀る地方もありました。
それらの神々を信仰する人びとが、血で血を洗う争いを繰り返し、炎の雨を降らせ、大地を焦がし、勝ち抜いた覇者が敗者を制圧したのではなく、大地は焼き尽くされることなく緑のまま、海は血で染まることなく青いまま、男と女が体を交わし、子を成すようにして、この国は生まれたのだ。そんなメッセージが、この神話には込められているのではないのでしょうか。
私は子どものころ、「古事記」を読んで、イザナミが「私の体には凹んだところがあるの。」イザナギは「それは奇遇だね。僕の体には凸んだところがあるんだ。君の凹に僕の凸を挿し入れてみるといいんじゃないかな。」
「それは素晴らしいアイデアだわ。是非そうしましょう。」
という話が、とてもエッチで恥ずかしくて嫌だったのですが、なにも恥ずかしがる必要はなかったのです。
世界中の神話に、そのような事は書いてはあるのですが、ここまでダイレクトに描写されてるのは、おそらく日本がいちばんでしょう。
日本はそのことを、世界に誇っていいのです。
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by sweetmitsuki | 2015-11-07 03:11 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)

お鍋の中からボワッとインチキおじさん登場

e0078674_6123033.jpg最近、ちょっとした縄文ブームだそうで、縄文人の暮らしを見つめ直そうとかよく聞きますけれど、縄文人がどんな暮らしをしてたかなんて、実際のところ、何もわかってはいないのです。
たとえば縄文人は竪穴式住居に住んでいましたが、これはただの掘っ立て小屋ではなく、わざわざ地面を深く掘り下げて床を半地下にして、その上に家を建てて暮らしていたのです。
通説では、縄文人には床や壁を作る技術がなかったといわれてますが、実際には高床式の建造物が縄文遺跡から見つかっていますし、だいたい、戦後の焼け野原となった日本に最初のころ作られたバラックはみんな掘っ立て小屋で、誰も竪穴式住居など作りませんでしたでしょう。
つまり、縄文人は技術がなかったのではなく、匠の技を駆使してわざわざ床を竪穴式にしていたのです。
竪穴式住居は、雨が降ったら浸水するでしょうし、どうして縄文人が竪穴式住居に住んだのか、まったくわかりません。
夏は涼しく、冬は暖かかったのではないかという説もありますが、そうであるなら現在にもその意匠が受け継がれても良いはずで、今どき誰も竪穴式住居に住まないところを見ると、そういう利点があったとは思えません。
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縄文時代とは、日本にだけ与えられた時代区分で、世界史では石器時代と呼んでいるのですけど、縄文人はその石器にもこだわっています。
縄文人は主に、緑色凝灰岩や緑泥片岩などの石を使って石器を作りました。
これらの石は割れると鋭い形になるため、加工がしやすかったのですが、逆にいえば割れやすいということはそれだけ損耗に弱いということで、使い勝手は決して良くなかったに違いありません。
それなのにどうしてこれらの石を選んだのか、通説によると縄文人には硬い石を加工する技術がなかったといわれてきましたが、実際には縄文遺跡から加工が施された翡翠の装飾品が出土しているので、この説は間違いなのです。
それに、木を伐り倒すのに使ったと思われる磨製石斧には、硬い火成岩の輝緑岩が使われていたのです。
さて、緑色凝灰岩、緑泥片岩、翡翠、輝緑岩、これらの石に共通する特徴とはなんでしょう。
読んで字の如く、緑色をしているということ。
つまり、縄文人は硬さではなく色で石器に使う石を選んでいたのです。
こんなことをいうと、黒曜石は黒いじゃないかといわれそうですが、黒曜石だってよく見れば深い緑色をしています。
縄文人は黒曜石で石器を作ったというのも、教科書に書いてある間違えやすい縄文時代認識のひとつで、黒曜石は長野県の和田峠など、限られたところでしか採れませんから、鏃などの消耗品にはもったいなく、多くは頁岩が使われていました。
そしてもちろん頁岩も、緑色をしています。
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そんな謎だらけの縄文時代に、一石を投じているのがこの本。

月と蛇と縄文人―シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観
大島 直行著
寿郎社刊


表紙のセンスの良さに釣られて思わず買ってしまいました。
著者によれば、縄文人の「こころ」は、考古学で理解しようとするのはもう限界で、心理学や哲学といった、別分野の学問の力が必要なのだそうです。
どうして土器や土偶は妙ちくりんな形をしているのか?
どうして縄文人は竪穴式住居に住んだのか?
どうして石器は緑色なのか?
本書にはそれらの謎に、答えが載っています。
ですが、本を紹介しておいてこういうことをいうのは誠に申し訳ないのですけど、縄文土器は鍋ではない、などと、あまりにもあんまりなことが書いてあって、私はこの本に書いてある答えがほとんど信じられません。
著者自身、仮に私のいうことが間違っていたとしても、こういう視点で縄文時代を見ることが大事なのだと書いてますしね。
信じる信じないは読んだ人次第ですが、読んでみて面白いことだけは保証できます。
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by sweetmitsuki | 2014-11-14 06:30 | 古代史でポン | Trackback | Comments(0)

誤解してる人のための縄文講座

e0078674_2055257.jpg縄文時代のことをまったく知らない人でも、火焔土器と遮光器土偶は教科書に載ってる写真で見たことがあると思います。
ですが火焔土器と遮光器土偶はあまりにも有名なために、逆に縄文時代について多くの人に誤ったイメージを与えてしまっているのではないのでしょうか。
まず、縄文人は火焔土器を使って煮炊きをしていたという誤解。
確かに、教科書に書いてある「縄文土器は世界最古の土器である。」という文章と火焔土器の写真しか見せられなければ、誰でもそう考えるのが普通でしょう。
ですが火焔土器は呪具であって実用品ではありません。
あのゴチャゴチャした形は、どう考えても炊事には向かず、本当は煮炊きにはもっとちゃんとした形の土器を使っていたのですが、教科書にはそうは書いてないのですから仕方ありません。
それに、縄文人のすべてが火焔土器を使っていたのではなく、新潟県などの限られた地域でしか発見されていなくて、縄文時代に格差という言葉を使うのを訝しがる人もいるとは思いますが、火焔土器は一部の限られた人しか持つことの出来ないものであったようです。
そして、遮光器土偶ですが、土偶は土器と違って実用品でないことが一目瞭然なので誤解も少ないのでしょうけど、用途がわからないぶん別の意味で誤解している人も多いのではないのでしょうか。
遮光器土偶も、青森県などの一部の地域でしか見つかっていなくて、すべての縄文人が持っていたわけではありません。
そして、青森県木造駅の遮光器土偶のレプリカが有名なので、土偶は巨大なものだと勘違いしてしまいそうですが、ほとんどの土偶は、わずか10センチ程度の、手の平に隠れてしまうくらいの小さなものです。
国宝に指定されている縄文のビーナスなど、本当に土偶を見たことのある人は、土偶はもっと大きいと思うかも知れませんが、あれは例外的に大きなもので、ここでも格差という言葉を使わなくてはいけないのですが、縄文時代にも大きな土偶を持っている人と小さな土偶しか持てない人がいたのです。
土偶はたいていが裸ですが、縄文人が裸族だったわけでも裸婦信仰があったわけでもなく、裸のまま使っていたのではなくて上から衣装を着せていたのではないのでしょうか。
海外から入ってきた宗教では、仏像などのように衣装と躯体は一緒に作られているものなのですが、日本に古くからある神さまの像は、衣装が別に作られていて、人間と同じように夏は涼しいように薄着に、冬は暖かいように厚着に着せ替えるのが普通なのです。
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海外で暮らす人なら、万能である神が暑がったり寒がったりするはずがないと思うのでしょうけど、縄文人はそうは思わなかったのでしょうね。
そしてそれは縄文人だけではなく、現代で暮らす日本人も同じで、街のいたる所に建てられているお地蔵さまやお稲荷さま、そして天神さまのお使いである牛、庚申さまのお使いである猿も、やっぱし人間と同じものを着ているのです。
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誰が何の目的で、どうしてお地蔵さまやお稲荷さまの衣装を着せ替えるのかはわかりません。
それにあれにはちゃんとした作法があるというわけではないらしく、どの像を見ても着せ替えている人のセンスなのでしょうか、微妙に違います。
多くの人は、縄文人と現代人はまったく考え方が違うと考えているようですが、あんがい大した違いはないのかも知れません。
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by sweetmitsuki | 2014-10-19 21:28 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)

信じたものは都合のいい妄想を 繰り返し映し出す鏡

e0078674_2039109.jpgなぜ八幡神社が日本で一番多いのか
幻冬舎新書刊
島田 裕巳著(Amazonはコチラ

結論から先に申しあげますと、とても面白い内容でした。
でも、天皇は万世一系ですとか現人神ですとか、そういう根拠のないファンタジーを無邪気に信じてる人達には、むしろ不愉快な内容なんじゃないかな。
著者は世田谷区の経堂に住んでいるのですが、地元の氏神は世田谷八幡で、すぐ北には勝利八幡神社があり、下北沢には北澤八幡神社が、小田急線には代々木八幡という名の駅もあって、京王線には八幡山という駅もあり、いたるところ八幡神社だらけなんだそうです。
どうして八幡神社が、こんなにもたくさんあるのかというと、それは本書では明確には答えていないのですが、私が思うに、八幡神社がビジネスとしてのチェーン展開に成功したからなのではないのでしょうか。
八幡神とは、記紀に登場する応神天皇のことなのですけど、実は記紀には名前が出てくるだけで、何をした人なのか書いてありません。
これが実は重要な要素で、権威を誇示すると同時に出自を隠蔽することで、ナショナリズムの形成条件の「民族」という概念を無から作り上げているんです。
これがヤマトタケルのように、どこで何をしたのか明確に書かれているとこうはいきません。
どうしても事件の起きた地域に信仰が集中してしまいます。
応神天皇のように何も書いてなければ、誰もが頭の中に描いている「古き良き時代」という郷愁を共有させることができるのです。
摂社が多くてどこに本社があるのかわからないというのも、ポイント高いです。
アマテラスを祀る伊勢神宮のように、本社の存在感が卓越し過ぎていると、摂社のありがたみが薄れてしまうんです。
カリスマ店長が自ら麺を茹でている伝説のラーメン店と、全国制覇を狙っている大手チェーン店の違い、とでもいっておきましょうか。
e0078674_21295796.jpg自民党の安倍総裁が「日本を取り戻す」というスローガンを掲げていますけど、これも同じようなセオリーを抑えてているんですよね。
強い日本を作る、豊かな日本を作る、 そして日本人が日本に生まれたことに幸せを感じる、そういう日本を作るとはいいますけど、そんな日本は過去には存在せず、彼らにとって都合のいい妄想を 繰り返し映し出す鏡に過ぎないのです。
戦前の人たちは内鮮一体という虚構を本気で信じて侵略戦争をしましたから、信仰というものは侮れません。
多くの人は、祭神が誰かなど意識しないで神社をお参りしているのでしょう。
それでも、やっぱし神社には地域性というものがあって、たとえばどうして奈良公園には鹿がいるのか?沖縄にも神社はあってそれはほとんどが熊野神社なのは何故なのか?天皇以外にも現人神がいる?など、地方によって神さまに違いがあったほうが面白可笑しくていい多様性に満ちた豊潤な文化が築けると思うのです。
とにかく、知らなかったソースが満載の一冊。
日本人なら座して読むべし。
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by sweetmitsuki | 2014-04-19 20:45 | 古代史でポン | Trackback | Comments(13)

夜走らす船や子ぬ方星目当てぃ 我ぬ生ちぇる親や我ぬどぅ目当てぃ

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ひな祭りの源流は、意外なことに沖縄のサンガチャー(三月祭り)にあるのだそうです。
ひな祭りにひな人形を飾るようになったのは江戸時代中期のことで、そんなに古いものではなく、それまではハマグリを食べたり草餅を食べたりしていたそうです。
ハマグリは2枚の貝がぴったりと合い、他の貝殻とは合わないので、夫婦和合の象徴とされたというのは、後からつけられた縁起担ぎで、本当の理由はもっと他にあるようなのです。
古代の日本では、乱獲による絶滅を防ぐため、ハマグリは決められた季節にしか獲ってはいけないというルールがあったらしく、種子島には生活苦からそのタブーを破ったものが海神の怒りに触れ溺れ死んだという悲しい民話があります。
草餅を食べるのも、草餅に用いるヨモギは、春にならないと生えてこないので春にしか食べられないのですが、草餅が無病息災に霊験ありというのも、草餅には科学では解明できない不思議な力が秘められてるというわけではなく、ヨモギには薬効があるというのは科学的にも立証されていて、滋養強壮に良いのからなのです。
沖縄では、美味しくて健康にも良い食べ物を命薬(ヌチグスイ)というのですが、これに相当する言葉が本州にはないというのも、考えてみればおかしなことです。
春の初めに女性に御馳走を振舞うという行事は、沖縄に限らず、欧州のワルプルギス祭りのように、儒教や仏教やキリスト教のような教条主義的な宗教が興る前の原始社会では、世界中で行われていたのです。
沖縄と本州は文化が違うといわれていますけど、関東在住の私から見れば、畿内のほうが別文化だと思うのです。
奈良や京の、碁盤の目のように整然とした街並みは、便利で合理的で知性的なのでしょうけど、息が詰まりそうで、窮屈で退屈です。
山は山なり、谷は谷なりに道が通っているのは不便ですが、そこでの暮らしは快適で、毎日が新しい発見に満ちています。
自然は自然のままで、できる限り壊したりしないほうがいいのです。
私が「沖縄は亜民族」という言葉に憮然とするのはそこにあって、亜民族なのは畿内に征服王朝を築いた天皇の一族で、縄文の文化を受け継ぐ蝦夷や沖縄のほうが本当の日本民族だと私は思うのです。
ひな祭りに欠かせない、ちらし寿司に使う具材は、タケノコやレンコン、シイタケにナノハナなど、畑で採れるものではなく野山で採れるものばかりで、農耕が始まる前、稲作が始まる前、天皇による支配が始まる前からひな祭りの行事はあったのでしょう。
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by sweetmitsuki | 2014-03-03 10:12 | 古代史でポン | Trackback | Comments(10)

科学の限界を超えて私は来たんだよ

e0078674_4435695.jpg日本は古代から中国の律令体制を朝鮮経由で学び仏教や儒教を取り入れてきましたから、日本の文化は中国の模倣ということになるのですけど、現実問題として日本人と中国人って、全然似てないんですよね。
それはどっちが優れていてどっちが劣ってるかとかいう問題ではなく、倫理観や道徳がどうとかいう大袈裟なものでもなくって、もっと身近な、日常的な生活習慣がまったく違うんです。
たとえば日本の童話に「おむすびころりん」というお話があって、おじいさんが野良仕事に出かけてお昼にお弁当のおにぎりを食べるというシーンがあるんですけど、これが中国ではアリエナイお話なんですね。
何故かというと、野良仕事といってもそんなに遠くに行くわけじゃないんだし、そもそも彼らには冷えたご飯を食べるという習慣がありませんから、いったん家に帰ってお昼ご飯を食べるのが常識で、わざわざ携帯食を用意して、外で食事をする日本人が信じらんないんだそうです。
別にお弁当は日本固有の文化というわけではありませんが、英BBCが日本の市井のごく一般的な幼稚園児を持つ普通のお母さんが作ったお弁当を見て感動し、わざわざ取材に訪れて特集を組んだそうですから(詳しくはコチラ)、やっぱし日本のお弁当文化は特殊なものといわざるを得ません。
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この文化がどこからきたのかというと、日本人はもともと海洋民族で、船の上で食事をすることが多かったころの名残なのではないかと私は想像しています。
日本の縄文式土器とまったく同じものが米大陸や太平洋諸島からも出土していますし(詳しくはコチラ)、神話においても「失われた釣り針神話」(詳しくはコチラ)や、「ハイヌウェレ神話」(詳しくはコチラ)や、「因幡の白兎神話」(詳しくはコチラ)のように、日本の文化は神話から見ても考古学的資料から見ても、中国より遥かに太平洋の島々に近いのです。
さて、それでは「失われた釣り針神話」をもう一度おさらいしてみましょう。

弟の山幸彦は兄の海幸彦から借りた釣り針を失くしてしまいました。怒った海幸彦に攻められて山幸彦は海辺に行くと塩椎神が現れて、竹カゴで編んだ无間勝間という船に載せられて竜宮城に辿り着き、海姫神、豊玉姫と結婚することになり、無事釣り針も見つかって、さらには豊玉姫の呪術によって兄に代わって地上の統帥権も獲得し、その孫が初代天皇になるのでした。

神話ですから、不思議なことが書いてあって当然なのですが、竹カゴで編んだ船が水に浮くわけがありません。
これはいったいどういうことなのでしょうか。
どうやら、古事記が編纂された時代には、竹カゴで編んだ无間勝間なる船がどういうものなのか、すでに分からなくなっていたようなのです。
无間勝間がなんであったのか、その謎を探るべく、東京・東村山にある下宅部遺跡に行ってきました。
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下宅部遺跡は湧水を豊富に含む土壌により有機質の遺物が現在でも残されていて当時の具体的な情報を得ることのできる貴重な遺跡です。
縄文人が縄文を施した土器以上に、縄や竹ひごで編んだカゴを愛用していたのは想像に難くないのですが、下宅部遺跡からは50点以上の編組製品が出土していて、四つ目、市松、網代、ござ目、六つ目など、ほぼ現在の編み方の技法は出尽くしているほど完成度の高いものが発掘されています。
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さて、竹カゴの謎はこれで解けました。
問題はこれをどうやって水に浮かばせたかです。
下宅部遺跡のもう一つの特徴として縄文人は漆を栽培し、現代の工芸品と比較しても遜色ないほど優れた漆器を作っていたことが発掘された遺物から証明されています。
漆というのは天然樹脂としては地球上で最も優れた物質ですから、竹カゴを核に籃胎漆器を作れば強靭な浮きになるでしょう。
それを丸木舟の側面に備え付ければ、外洋を航行可能なアウトリガーカヌーが出来上がるのではないのでしょうか。
古事記に登場する无間勝間とは、籃胎漆器によるアウトリガーカヌーのことで、竜宮城というのは遥かな海の向こうの米大陸にある、マヤ文明の神殿のことだったのではないのでしょか。
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妄想はこのくらいにして話をふりだしに戻しますと、日本でも左遷されることを「冷や飯を食わされる」といい、温かくないご飯を食べるのは屈辱的なこととされています。
おそらく日本に律令体制を布き、仏教や儒教を導入したのは、中国からやってきた冷めたご飯を食べるのが嫌いな人たちで、彼らはこの土地を侵略し、そこに征服王朝を築いたのでしょう。
だからこそ、古事記を編纂した人びとは、无間勝間がなんであるのかわからないのです。
ところがそれで先住民はすべて滅ぼされてしまったのかというとそんなことはなく、お弁当好きな縄文人の気質は、ちゃんと現代に受け継がれているのでした。
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by sweetmitsuki | 2013-11-17 05:01 | 古代史でポン | Trackback | Comments(6)

古事記に封印された神話

e0078674_3174424.jpg古事記が単なる神話や伝説ではなく、実際に起きた歴史を反映しているというのなら、高天原から降臨した神々は朝鮮半島からやってきた人びとということで、ヤマト政権は彼らによる征服王朝ということになります。
私はその意見に、反対ではないのですが、古事記だけを読んで、そう判断してしまうのはちょっと乱暴だと思うのです。
たとえば、古事記には九州で起きたことや、奈良で起きたことが克明に記されていますけど、その中間の瀬戸内海沿岸で起きたことはほとんど何も書いてありません。
それは何故でしょうか。
古事記に記されてない、瀬戸内では、どんな神話が伝えられてるのか、読んでみましょう。
たたらをふむ女神カナヤゴ
新日本出版社 刊
山口節子 作

遠い、昔のことです。播磨の国(現在の兵庫県)の山あいの小さな村で、稲を刈る幼い姉弟たちがおりました。
小さな手で、稲の穂先を握り、石の包丁で刈るのですが、子供の力では思うように刈れません。
「ねえちゃん、もう、手が痛くて、働けないよー。」
弟は、とうとう、泣き出してしまいました。
すると、真っ白な衣装を身に纏った、きりりと美しい姿の女神さまが現れ、こう、おっしゃいました。
「私はカナヤゴと申す、製鉄の神です。あなた方は、どうして、子供たちだけで、仕事をしているのですか。」
姉は、ふるえる声で、答えました。父が事故で亡くなり、母は働き過ぎて、病気になってしまったこと。
「安心なさい。すぐに、稲の刈取りが終わるよう、よい道具を、あげましょう。」
聞き終わったカナヤゴは、姉弟たちが今までに見たこともない、ふしぎな色に輝く道具を、ポケットから取り出しました。
「はい、鉄の鎌ー。」
カナヤゴの手ほどきで、姉弟たちが鎌を使うと、その、切れること切れること、あっという間に田んぼの稲は籠の中に納まってしまいまいた。
周りの田んぼで作業をしていた大人たちは、驚いて、集まってきました。
いままで、姉弟たちが難儀をしているのは、知ってはいましたが、自分たちもへとへとで、どうすることもできなかったのです。
「カナヤゴさま、わしらにも、その、鎌をくだされ。」
「残念ですが、もう、鎌はありません。そのかわり、鉄の作り方を教えてあげましょう。」
カナヤゴは、そう、いうと村の者たちに、村の神さまを祀る聖地に案内するよういいました。
「カナヤゴさま、ここが、わしらの神さまがおられる、大切な、場所です。」
そこは小さな滝の流れる岩山でした。
「なんて清らかなところでしょう。さあ、みんなで神さまにお願いをしましょう。」
「山の神さまー、山の木を、少々めぐんでくださいませー、切った数だけ苗木を植えて、お返しします。必ず、約束します。」
「約束します。」
次に、崖の斜面の、土が露わになっているところへ行きました。
「大地の神さまー、鉄となる、砂鉄の眠る、あなたの土をめぐんでくださいませー、決して、無駄に採りすぎたりは、いたしません。約束します。」
「約束します。」
それから、川へ行き、同じように、お願い事をいいました。
「川の神さまー、砂鉄を洗うのに川の水を、使わしてくださいませー、魚たちに迷惑はかけません。約束します。」
「約束します。」
こうして、カナヤゴと村人たちは山の神さま、森の神さま、大地の神さま、川の神さま、水の神さまたちにお願いをし、深々と頭を下げました。
「よいぞー。」
確かに、その声は、そこにいる村人全員に聞こえました。
カナヤゴは、切れ長の目を細め、にっこり笑っていいました。
「神さまの、お許しが出ました。さあ、鉄づくりにかかりましょう。」
鉄づくりは、とても大変な、難しい仕事でしたが、カナヤゴの指導で村人たちは鉄を作るたたらを作り、三日三晩火を燃やし続け、真っ黒な鉄の塊を作ることができました。
鉄を鍛えて、鎌のほかにも、鋤とか、鍬とか田作りに必要な道具を、たくさん作りました。
おかげで、村人たちの暮らしは、ずっと豊かになりました。
ある日のこと、大きな、荷を背負った男が村にやってきました。
荷を広げると、そこには、翡翠とか、珊瑚とか、毛皮とか、大変な宝物が、山のように詰まっていました。
「これで、鉄の刀を百本作ってくれ。」
「そんなものを、そんなにたくさん、何に使うおつもりなのでしょうか。」
「いくさじゃ、いくさには、よく切れる、鉄の刀が、要る。」
村長が、宝物では、いうことを聞きそうにないようなので、男は、黒く光る尖った石でできた槍を、村長の胸元に突き付けて脅しました。
村長は、恐ろしくて震えそうになりましたが、カナヤゴの言葉を思い出し、しっかりとした声で言いました。
「私たちのたたらでは、いくさなど、そんな恐ろしいことに使う道具は作れません。神さまたちの約束があります。山の木はこれ以上切れません。山の土はこれ以上削れません。川の水はこれ以上汚せません。どうぞ、お帰りになってください。そして、もう二度と来ないでください。」

さあ、鉄づくりの村は、どうなってしまうのでしょうか。
続きはコチラ


e0078674_5251968.jpg毛沢東の大躍進政策で知るように、鉄は意外なほど簡単な溶鉱炉で作れるので、古代に、山あいの小さな村で鉄が作れたとしても、さほど不思議な話ではありません。ただ、鉄づくりには熟練による技術が必要で、優れた指導者がいなければ、まともな鉄は作れないというのも、大躍進政策で知った通りです。
この神話に登場する、カナヤゴという神さまは、実は古事記には出てきません。
それでも、瀬戸内の村には今でも、カナヤゴを祀る神社がたくさんあります。
朝鮮半島からやってきて、九州を平定し、奈良をも平定した集団は、この神話を伝える、瀬戸内の人びとを支配下に置くことはできなかったのでしょう。
だから古事記には瀬戸内海について曖昧なことしか書いてないのですし、カナヤゴという神も古事記には出てこないのです。
現在、皇室の最も重要な行事に植樹祭がありますが、これは多分、瀬戸内の神事を真似たのでしょう。
「どんなにきれいごとを並べたところで、戦争の強い集団にはかなわない。世界を制するのは戦争の強い集団だ。」
私は、このような考えを全否定します。
そのような集団は一時的に広大な土地や人を支配することはできるでしょう。
ですが膨大な軍事費が経済を圧迫し、自分で自分の首を絞めて自滅の道を辿るのは、洋の東西、古今を問わず、歴史が証明済みです。
世界に繁栄をもたらし誇りある歴史を築けるのは、科学技術を人びとの役に立つことに使い、平和憲法を守り、自然と調和した文明を持つ集団なのです。
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by sweetmitsuki | 2013-07-05 04:46 | 古代史でポン | Trackback | Comments(2)

継ぎ接ぎ狂ったマトリョシカ

e0078674_22302841.jpg「古事記」をまったく読んだことがない人ならば、アマテラスは皇租神なのだから、大和撫子の鑑のような女性に違いないと思うでしょう。
ところが、古事記に登場するアマテラスは、男勝りの女傑で、そればかりでなくストリップに興味を示すなど、女性としてはおかしい記述があるのです。
そのため、アマテラスは元々男神だったのが何らかの政治的理由で女神に書き換えられたのだという説もあるくらいですが、私としては、アマテラスほど女性らしい魅力にあふれた神さまは他にいないと思います。

アマテラスが引き篭もっていると、天の岩屋の前に高天原の全ての神様が集まり、そこにあでやかでお色気たっぷりの天宇受売(あめのうずめ)がダンスを始めました。
天宇受売はノリノリになってきて、おっぱい丸出し、とうとうパンツまで脱いじゃって、ストリップショーを始めちゃいました。
これにはみんな、やんややんやの大騒ぎ。
すると岩屋に隠れていたアマテラス 「なんでアタシが隠れてるってのに、外はこんなに賑やかなのよ!おかしいじゃない!」
外に向かって「なんでアタシがいないのにみんな笑ってるのよ!」と聞きました。
すると皆が「だってアマテラス様よりすばらしい神様がここにいるんだもん。だから皆で喜んで楽しくしてるのですよ」と言いました。
イラッときたアマテラスは思わずそーっと覗き込みました。
するとそこには神様たちがあらかじめ用意しておいた鏡が置いてあり、アマテラスはその鏡に映った自分の姿をみて「まぁ!ほんとだわ!なんて神々しいのかしら!」とビックリ。
この時、横に隠れていた力持ちの天手力男(たぢからお)が、さっとアマテラスの手を掴み外に出したのです。
そして別の神様がこの岩屋を閉め二度とこの中に入れないようにしちゃいました
こうしてアマテラスは外に出ることとなり、またも世の中は明るく照らされることになったのです


ふつう、鏡に映った自分を、別人と見間違うことはまずないと思いますけど、そのドジっぷりがアマテラスの可愛らしさであり、皇租神たる由縁なのではないのでしょうか。
そもそも、どうしてアマテラスは皇租神なのでしょうか。
アマテラスはイザナギとイザナミが喧嘩別れした後にできた子供で、カミムスビのような天地創造にまつわる神さまではありません。
例えていうなら、勉強ができて礼儀正しい学級委員のような存在で、学校の先生ではないのです。
アマテラスの内面には、ちょうどロシア土産のマトリヨシカのように、「栄えある大役を任されて喜んでいるポジティブな自分」と、「面倒なことを押し付けられて嫌がっているネガティブな自分」という、正反対の人格が、幾重にも折り重なって混在していたのではないでしょうか。
その優等生が、弟の非行がきっかけで自信を失い、不登校を続けるようになってしまいました。
クラスメイトの神々は、なんとかアマテラスが戻ってきてくれるよう話し合うのですが、プライドの高いアマテラスが、ふつうに励ましただけでは聞く耳を持ってはくれないだろうと思っていました。
そこで、ひと芝居うつことにしたのです。
まず、鏡に映ったアマテラス自身を、別の神さまだと思わせること。
そして、その神さまをアマテラスよりもすばらしい神さまであるかのように振る舞うこと。
そして最後に、その神さまが他の誰でもなく、鏡に映った自分自身なのだと教えてあげること。
こんなにも手の込んだことを、高天原の神さまは企画演出しているのです。
そうして、アマテラス自身にアマテラスの素の姿を客観視してもらう意外に、アマテラスがプライドを取り戻し、高天原を統べる神である自信を回復させる方法がないことを、心優しい思いやりのある八百万の神々は、最初から知っていたのでしょう。
キリスト教圏では、神さまと人間の間には絶対的な上下関係がありますけど、日本では世界観が異なり、神さまと人間は、共に学び、励ましあい、喜びを分かち合い、時には喧嘩もする、クラスメイトのような関係なのです。
そのように解釈するのなら、なるほど、古事記はやっぱし日本の神話だし、アマテラスはカミムスビのような天地創造にまつわる神よりも、皇租神として相応しいのではないかと思ってしまいます。
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by sweetmitsuki | 2013-07-02 23:23 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)

神功皇后とナチズム

e0078674_1915686.jpg落語の演目に「人形買い」という噺があって、長屋の住人の孫が初節句だというので、みんなでお金を出し合って神功皇后の人形をプレゼントする、っていう内容なのですが、よくよく考えてみると、雛祭りじゃなっくて五月の節句に、武者人形じゃなくって皇后の人形を贈るのって、おかしいと思いませんか?
これは落語だから面白おかしく聴かせてるのではなく、本当に戦前まで日本では、五月の節句に神功皇后の人形を飾るのが一般的だったのです。
一年に一度の男の子のお祭りの日に、日本男児の模範となるべく理想の人物像として、男装の麗人である神功皇后を讃えて本当に良かったのかどうかわかりませんが、古事記によれば神功皇后は、朝鮮を侵略した武神であるとされてるので、朝鮮人にとっては不愉快であったに違いありません。
いくさを仕掛けるのならばそれなりの理由があるはず、まず使者をたてて口上を述べるのが礼儀なのですが、朝鮮には財宝がどっさりあったので征伐したとしか古事記には書かれてないのですから、まるで鬼が島のオニ扱いです。
こんなことだから韓国の大統領から「歴史に対する正しい認識を持てない日本には明日がない。」と非難されるのです。
神功皇后についてもうひとつ述べさせていただきますが、これから初夏に向けて旬を迎える川魚のアユも、日本人が歴史に対する正しい認識を持てずにいる証左であることをご存知でしょうか。
漢字を使う文化の国ではどこでも、鮎という文字はナマズを意味します。
何故かというと、ナマズは地震を予知し未来を占うからです。
そう聞けば、なるほど、鮎という文字はアユよりもナマズに使うほうが相応しいと思うでしょう。
アユを鮎と記すのは日本だけです。
何故でしょうか。川魚のアユが、何を占うというのでしょうか?
古事記によると、アユは朝鮮の廃滅を予言したので、鮎と記されるようになったのだそうです。
たとえばの話、仮にドイツの神話に、ユダヤ人の廃滅を予言した魚が登場したとして、その魚が今でも、ドイツ人から神話の予言に由来する呼び方をされていたとしたら、ユダヤ人は不快に思うでしょうし、そのような魚は不適切だから違う名前にするべきだという議論が内外から沸き起こるでしょう。
神功皇后の朝鮮征伐という虚構を信じて朝鮮を侵略し朝鮮人を徴用したかつての大日本帝国と、アーリア人の優位性という虚構を信じてヨーロッパを侵略し、ユダヤ人を虐殺したかつてのナチスドイツは何も変わるところがないのに、ドイツは戦後ヨーロッパ各国に謝罪したのに比べ、日本人は何も反省していないのです。
私は何も、アユを食べるなとか古事記を読むなとかいってるのではありません。
神話が書き伝えるものではなく、語り継ぐものである以上、語り手によって変化するのは当然です。
かつて日本には狂った時代があって、神話ですら狂った目的のために翻弄されたという過去があります。
だからこそ、戦後生まれの私たちは、神話に対して受け身であるのではなく、積極的に神話の世界へ踏み込むべきなのではないのでしょうか。
ギリシャ神話が、単にギリシャ人のための神話ではなく、世界人類が共有すべき文化遺産であるのと同じように、古事記も、明らかに間違っていて、他の国や民族が受け入れられないようなことが書いてあるならば、改竄していかなければならないのではないのでしょうか。
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by sweetmitsuki | 2013-06-04 19:54 | 古代史でポン | Trackback | Comments(6)

ヤマトタケル伝説(東京編)

e0078674_20401338.jpg東京・文京区にある根津神社は、ヤマトタケルによる創建と伝えられる、東京で最も古い神社のひとつです。
ヤマトタケルといえば、若い頃から手のつけられない乱暴者で、父の景行天皇から疎まれ、早く死ねばいいとばかりに遠い地方へ遠征を命じられるのですが、女に化けたり、酒を盛ったり、武器をすり替えたりするなど、およそ思いつく限りの卑怯なことをして勝ちまくります。
挙句の果てに慢心したヤマトタケルは、武器なしで地方の神に戦いを挑むのですが、今までの武運はすべてアマテラス大神の宝剣、草薙剣があっての勝利であって、ヤマトタケル一人の力によるものではありませんでした。
アマテラス大神の力添えを失ったヤマトタケルは、哀れ地方神との戦いに敗れ、そのまま故郷の大和の地を踏むことなく息絶えてしまうのでした。
なんか、あらゆる悪事の限りを尽くし、その悪行に見合った最期を遂げてるんですけど、建国のヒーローがこんなんでいいのでしょうか。
多くの歴史研究家はヤマトタケルの神話を、大和民族の残虐性を示すものだとしていますが、私はちょっと違うと思います。
大和王朝とは、地方の豪族を侵略して作った征服王朝には違いないのですが、一族のすべてを根絶やしにしてしまうような徹底的なことはしなかったのではないのでしょうか。
かつての敵といえど、有能な人材にはそれに見合った官位を与え、領地の自治を認めたのではないのでしょうか。
大和王朝とは、中国のような専制ではなくもっと緩やかな合議制を採用していたと思うのです。
そうであるからこそ、建国の神話にヤマトの戦士にだけ、美味しいところを持っていかれたら、地方の豪族たちは面白くないのです。
「戦いに敗れた戦士も、武勇では決して引けを取らぬ英雄であった。」という神話であれば、地方豪族たちも納得できるのです。
つまり、地方豪族に軸足を置いて描かれているが故にヤマトタケルが卑怯な悪党として映ってしまっているだけなのではないのでしょうか。

遠い昔、遠い国で、大きな戦争がありました。
家族を殺され、田畑を焼かれ、住む家を失った人びとは、一握りの種籾を大事に胸に抱え、戦争のない地を求め、宛てのない旅に出発したのです。
北も、南も、西も果てのない戦争が続いていたので、彼らは東の海へ漕ぎ出すしかありませんでした。
いく晩も木の葉のような船は風に揺られ、潮に流され漂い続けていましたが、ある日のこと鬱蒼とした森の茂る島にたどり着きました。
島には半裸で全身に入れ墨をした見るからに恐ろしい人が住んでいましたが、心は穏やかで、彼らがそこに住み、種籾を蒔くのを許してくれました。
彼らが植えた種籾は、とても美味しく栄養があったので、島の人にも喜ばれました。
その時彼らは思ったのです。ここが自分たちの探し求めていた、戦争のない地なのだと。


日本の成り立ちは、概ねそのようなものではないのでしょうか。
だからこそ日本人にとって戦争の話は、とてもデリケートなものなのです。
実をいうと文京区にはヤマトタケルにまつわる伝承は他になく、ヤマトタケルが神社を建立したという話も他所にはないので、本当にヤマトタケルが根津神社を創建したかどうかはあやしいものなのですが、それでも隣接する東大浅野キャンパスには弥生時代の方形周溝墓の遺跡跡とかもあって、古代ロマンを訪ねて歩くにはもってこいなのでした。
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by sweetmitsuki | 2013-05-18 21:41 | 古代史でポン | Trackback | Comments(6)




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