mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
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カテゴリ:おどろけー( 39 )


本当はもっと恐ろしい雪女

e0078674_14332100.jpgラフカディオ・ハーンの描いた「雪女」の舞台は、雪深い北国ではなく東京の調布なんだそうです。
意外に思うかも知れませんが物語をよく読むと、山を生業の場にしている老練な木こりなら山で遭難しても経験豊富な知識から危機を切り抜けられそうですが雪女にあっけなく殺されてしまいますし、どうやらこの木こりは雪には不慣れだったようなのです。
それならば雪国の話ではなく調布の話のほうが納得がいきます。
ハーンはこの物語を海外で紹介するにあたって「調布の百姓から聞いた、日本では有名な話」と注釈を入れてますが、日本の昔話に雪女の出てくる話は沢山あっても、雪女が人間の男と結婚する話は実は一つもないのです。
そのため、この話はハーンの創作だといわれているのですが、それならば何故わざわざ調布の百姓から聞いたと断っているのかわかりません。
調布という地名の「調」の字は、古代の税制の租庸調の調のことで調布は古代から布づくりの盛んなところでした。
布づくりが関係して、日本では有名な昔話で、「雪女」によく似た話といえば「鶴女房」(鶴の恩返し)意外に考えられません。
ハーンはもしかしたら「鶴女房」を聞いて「雪女」を描いたのではないでしょうか。
話はちょっとずれますが、古代の布づくりについて「魏志倭人伝」に興味深い記述があります。
種禾稻紵麻蠶桑緝績出細紵縑綿
要約すると、倭人は麻を植えて綿を作っているというのですが、麻から綿が作れるわけがありませんし、だいいち、綿は暑い地域の特産品で日本では三河の僧侶が室町時代に品種改良に成功して栽培できるようになるまで国産のものはありませんでした。
そうなると「魏志倭人伝」の記述が正しいのなら邪馬台国では中国人が綿織物だと見間違うほど上質な布を麻から作り出す技術力があったということになります。
鶴女房が決して開けてはならないと念を押して誓わせた扉の向こうに、邪馬台国の謎が隠されているのでしょうか。
その謎を解く鍵は、調布の布多天神の境内にあります。
「布晒しの碑」という石塔が建っていて
多摩川に 晒す調布 さらさらに 何ぞこの娘の ここだ愛しき
という、万葉集に収められている東歌が刻まれていて、ここが日本の布づくり発祥の地だと記されているのです。
麻布は川の水に浸してよく揉むと硬かった麻の繊維は柔らかくなって綿布のようになるのだそうですが、農閑期の冬に行われていたであろうこの作業、想像を絶するほど過酷なものであったに違いありません。
鶴女房が自らの羽を引き抜き赤裸になった素肌は、凍傷で爛れた皮膚を連想させます。

e0078674_14493484.jpg動物が人間に変身する話は、西洋のお伽話にもあるのですが「美女と野獣」「白鳥の湖」「カエル王子」のように、魔女の呪いによって動物にさせられた人間が元の姿に戻るという話がほとんどで、日本昔話のように動物が種も仕掛けもなく人間に変身する話はあんまし聞きません。
そして日本昔話に登場する動物は宝物を授けてくれるなど人間より優れた存在として描かれているのに比べ、西洋では動物は人間より劣った存在として描かれている話がほとんどです。
ハーンはこの点に留意して、西洋で日本の古民話を紹介するにあたって物語の主人公を鶴女房から雪女に書き換えたのではないのでしょうか。
もう少し、「鶴女房」と「雪女」の違いを比べてみましょう。
鶴女房の夫は鶴を助けるという善行を施していますが、雪女の夫は特に善い行いをしたわけではありません。
雪は時として猛威を振るい人を死に追いやる恐ろしい自然現象ですが、同時に大地を潤し生命の恵みをもたらします。
その姿はハーンが作品で描いた、何も悪いことをしていない人間を殺したかと思えば特に善いことをしてもいない人間を助ける雪女そのもので、自然は人間のために神が作ったものだから人間が自由に開拓してもよいと考える西洋文明に疑問を持ち、自然は人間のためにあるのではないから人間が勝手に手をつけてはいけないと考える日本文明を支持するハーンは、この物語を単純明快な勧善懲悪で終わらせたくなかったのでしょう。
鶴女房は夫に自らの羽を織り込んだ宝物を授けますが、雪女は10人の子を設けても出会った時と変わらぬ美しいままという以外、夫に宝物を授けない点にも注目。
宝物を手にした男は、仕事を怠けるようになり贅沢な遊びを覚え、どんどんダメ人間になっていきます。
お金は人を幸せにするどころか逆に不幸にするだけで、家族の団欒こそが本当の宝物だとハーンはいいたかったのでしょう。
動物も人間も同じ生命の価値があり、山や森には精霊が住まう、そう信じ続けることができたなら、幸せはきっといつまでも続いたでしょうに、自然の恵みや女性の労働力を単なるモノ=搾取の対象として見てしまった瞬間、宝物は幻となって消えてしまうのでした。
e0078674_1518745.jpgハーンの生きた時代、日本は厳しい選択を迫られていました。
明治維新、文明開化、富国強兵、恰好のいい言葉とは裏腹に、その財政を支えていたのは輸出総額の1/3を超える生糸の生産で、貧しい農家に生まれた少女たちは製糸工場で過酷な労働を強いられ逃亡防止のために鉄格子が張り巡らされた寄宿舎で、地獄のような生活を余儀なくされていました。
正月を故郷で過ごそうと、雪の降り積もる険しい道中で行き倒れ、郷里の親との再会を果たせず死んでいった少女たちも数多いと聞きます。
そんな彼女たちの悲しい最期に、ハーンは雪女の面影を重ね合わせたのでしょうか。
今度の選挙でも平成維新とか平成の開国とか世界に誇る日本の技術力とか、そういう、言葉だけは格好のいいことを軽々しく口にする輩がたくさんいますけど、そんな連中にこの国の舵を任せていいんでしょうか。
投票に行く前に、もう一度歴史を振り返って、この国にとって本当の幸せとはなんなのか考えてみようと思います。
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by sweetmitsuki | 2012-12-09 14:25 | おどろけー | Trackback | Comments(4)

逆輸入されないとわからないこと

2005年1月、スマトラ沖地震による大津波の被害後にジャカルタで開催された「東南アジア諸国連合緊急首脳会議」で、シンガポールのリー・シェンロン首相が、当時の小泉純一郎内閣総理大臣に「日本では子供の時から津波対策を教えるため小学校の教科書に『稲むらの火』という話が載せてありますけど、あの話は史実に基づくものですか?」と尋ねました。
残念ながら小泉総理は、戦後世代で戦前の教科書に書かれていたこの話を知らず、東京の文部科学省に照会したけれど、文部科学省の職員も、誰も知らなかったそうです。

外国人はよく知っているけど、日本人は誰も知らない日本史というのは、今まで何度も聞いていて、さすがにもうないだろうと思っていましたけど、また聞いてしまいました。
世の中、私の知らないことだらけです。
まぁ、歴史通で知られる小泉元総理以下文部科学省の職員が誰も知らないのですから、本当に誰も知らないのでしょう。
気を取り直して、『稲むらの火』とはどんな話なのか紹介させていただきます。

村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付きます。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけました。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るいます。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのでした。

舞台となったのは、1854年の安政南海地震で、このとき、紀州藩の広村(現在の和歌山県広川町)に襲来した大津波を、事前に潮の変化で悟った浜口梧陵が、大量の藁(わら)の山に火をつけて、村人を安全な高台へ避難させ村人を救ったという故事を題材にしています。
浜口梧陵氏は、実はあのヤマサ醤油の七代目当主で、そしてこの話を書いたのはラフカディオ・ハーンです。
ハーンは、1896年岩手県三陸沖で起こった明治三陸沖地震のときの津波被害の報に接して、この作品を書いたといわれています。
ハーンの聞き違いで、実際に火を点けたのは刈り取ったばかりの稲穂ではなく脱穀が済んだ後の稲藁であるとか史実と異なる点はいくつかありますが、英語で書かれ海外で絶賛されたこの物語を地元の小学校の先生をしていた中井常蔵氏が日本語に翻訳したものがそのまま採用され、1937年から終戦後の1947年まで、尋常小学校5年生用「小学国語読本巻十」と「初等科国語六」の教科書に掲載されましたが、GHQにより削除されてしまいました。(現在はは2011年度より、再び小学校教科書に掲載されているそうです)
あとから調べてみてわかったことですが、美智子皇后陛下はこの物語を知っていて、小泉氏がジャカルタの会議で質問を受けた数年前の1999年に、宮内記者会の質問に対する回答の中で、次のように述べています。

「子供のころ教科書に、確か「稲むらの火」と題し、津波の際の避難の様子を描いた物語があり、その後長く記憶に残ったことでしたが、津波であれ、洪水であれ、平常の状態が崩れた時の自然の恐ろしさや、対処の可能性が、学校教育の中で具体的に教えられた一つの例として思い出されます。」

もし、教科書にもっと早くから「稲むらの火」を載せ、津波の被害や早期避難を早くから呼びかけていたなら、今回の地震による被害も、ずっと少なくて済んだのかも知れません。
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by sweetmitsuki | 2012-10-07 00:52 | おどろけー | Trackback | Comments(2)

こんな顔かえ?

e0078674_18324663.jpg東京は不思議な街で、赤坂のような中心部でも御濠の森は鬱蒼と生い茂り、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような気分にさせられてしまいます。
今からおよそ100年前、その赤坂で本当に起きたという不思議な事件を、ラフカディオ・ハーンが書き記しています。

日も暮れ、人通りもなくなった坂道のわきの濠沿いに、しゃがみこんで泣いている女中がいた。
そこを通りかかった商人が、心配して声をかけると、振り向いた女中の顔にはなんと目も鼻も、口もついていなかった。
肝を潰して、無我夢中で坂道を駆け上って逃げて行くと、闇の中に蕎麦の屋台の灯りをみつけた。
「でっ、出た~~!!」
「出たって、もしかして、こんな顔かえ?」
その蕎麦の屋台の親爺にいまの出来事を説明しようとすると、こちらを振り向いた親爺の顔にも、何もついていなかった。


このお話はホラーの中にシュールな笑いを含んでいるので、落語の高座にあげられる事もあるのですが、他にも「かけひき」ですとか「鏡と鐘」ですとかハーンの怪談には笑えるものが数多くあります。
そして落語にも「黄金餅」ですとか「らくだ」ですとか死をテーマにした演目が沢山あります。
ハーン作品と落語に共通する人の不幸を笑うという日本独自の文化についてハーンは自著「知られぬ日本の面影」の中で「日本人の笑い」というタイトルで次のように述べています。

日本人は、どんな恐ろしいものを前にしても、決して笑顔を崩さぬよう悠久の昔より御先祖様から親から子へ、それはそれは念入りに良く躾けられています。
恐怖を顔に出したら、周囲にいる大切な人に心配をかけさせたり、不安に陥れたりしてしまうからです。
そして何より愚かな事には、心の良くない者に、つけ入る隙を与えてしまいます。
笑顔の持つ魔法の力を、日本人ほどよく知ってる人は、残念ながら西洋にはいません。
周囲の人々の平穏な生活なくして、個人の幸せなどあり得ないのですから、そうであるからこそ無私と忍耐を自分の中に培う必要があるという事を、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にいないでしょう。


私たち日本人が怖いものを面白がったり、意味もなくニコニコしてるのは、ハーンのいうような崇高なものとはちょっと違うような気がしますけど、ハーンが間違って理解しているのか、それとも明治の人は本当にそうだったのか、今となっては分かりません。
ハーンは筆の端々に

やがて日本の街並みも、西洋の都市と変わらなくなってしまうでしょう。
そして日本人の心の特性も失われてしまうでしょう。


と、嘆きと諦めの言葉を綴っています。
確かに100年の時が流れ、日本はすっかり変わってしまいました。
それでも最初に述べたように、東京の中心部でさえ、森の木々は元気に枝葉を空へ伸ばし、大地に根を広げています。
人間はどうでしょう。
ハーンの事です、伊邪那美命の統治する国から今も、こちらを窺っているに違いありません。
「日本人はノッペラボーになってしまった。」
と、ハーンをびっくりさせてしまったら大変です。
いつでも、どんな時でもニコニコしていましょう。
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紀伊国坂を上りきった所にあるお蕎麦屋さんで、たぬきそばを頂きました。
ちゃんと店員さんが、笑顔で接客してくれましたよ。
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by sweetmitsuki | 2010-12-19 19:27 | おどろけー | Trackback | Comments(4)

走れ二宮金次郎

e0078674_201825.jpg暑いので何か怖い話でも読んで涼もうと思い「そういえば、二宮金次郎って学校の怪談の定番でしたよね。」などと考えてネットで探してみたら、実は二宮金次郎ってスゴい人物だった事がわかりました。

日本が戦争に敗けた4年後の1949年、「青年」という雑誌にGHQ新聞課長D・C・インボーデン少佐のこんな言葉が掲載されています。

「二宮尊徳翁は、日本のアブラハム・リンカーンである。自由と民主主義を日本で初めて実践した人物である」(詳しくはコチラ

戦争に敗けた日本人は「オマエラが敗けたのは民主主義が出来なかったからだ。これからオレ様が民主主義をビシビシ教えてやるから有難く思え。」とでも言うと思っていたアメリカ人が、日本民主主義の祖はペリー来航前の日本人にあると語ったのを聞いてビックリします。
しかも二宮金次郎といえば勤労少年の模範として、どこか軍国主義の香りがする人物じゃありませんか。
現代では真夜中の校庭をバタバタ走り回るというイメージしかないこの謎の石像少年の正体とは一体何なんでしょう?

二宮金次郎は子供の頃に父と死別し、病気の母と幼い弟を養うため働きに出るのですが、子供がいくら働いたって、大した稼ぎにはなりません。
そこで、子供という立場をフル活用して効率の良い仕事を見つけます。
それが、あの二宮金次郎の必須アイテムである薪です。
当時山は藩などが管理していたのでむやみに拾ってきてはいけなかったのですが子供だからという事で大目に見てもらい、タダで得た薪を小田原城下に売りに行きました。
当時、小田原は東海道の宿場町として栄えていて、旅籠や飲食店などで燃料として薪はとても高く買ってもらえたのです。
タダのものを移動させ、需要がある所で売ればお金になるという経済のノウハウを金次郎少年は独学で学んでいきます。
もちろん、売りながら東海道を行き交う人々の会話に耳を傾け最新の情報を入手していたのはいうまでもありません。
こうして、お金を稼いだ金次郎は、それを元手に日本初、いえ世界初のファンドを設立します。
説話では、貧しい人に貸してあげた事になっていますが、ちゃんと利益を得ている事を見落としてはいけません。
これが大成功して大金持ちになった金次郎に、小田原藩の家老が財政立て直しを依頼してきます。
今でいう経営コンサルタンティングですね。
そこでも大活躍するのが薪です。
「きれいに掃除したかまどは燃費が良く、汚れたかまどより2本少ない薪でご飯が炊ける。ご飯は朝夕の2回炊くから一年で4×365=1460本の薪が節約出来る。薪は他所に売ればお金になるから掃除をした人にボーナスを支給しよう。」
なるほど、こういう知恵は幼い頃苦労した人でないと働きません。
資本主義が成立するのは経済と道徳が両立した時だとプロテスタニズムについて分析したのはドイツの社会学者マックス・ウエバーですが、それよりずっと前に金次郎は実践していたんですね。
刀ではなく、薪で世を斬る金次郎、カッコいい。
こうして、金次郎は背負っていた薪を世のため人のために使い、金次郎は尊徳になっていったのでした。
メデタシ、メデタシ。

何が怖かったのかというと、私が知らなかった日本史のツボを、戦後間もない頃のアメリカ人が知っていたという事。
戦争で勝敗を決めるのは武器弾薬ではなく情報だといいますけど、これでは勝てないのも無理はありません。
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by sweetmitsuki | 2010-08-22 20:30 | おどろけー | Trackback | Comments(4)

森の木陰でドンジャラホイ

e0078674_2164876.jpg世界の宗教や信仰、神事というものについてそれほど詳しくもないのですが、狐を拝んでる国って日本ぐらいじゃないのでしょうか。
イソップ物語がその代表ですが、だいたいどこの国でも狐といえば、ずる賢くて陰湿な生き物で、これは別にわが日本でも例外ではなく、どこか得体が知れずうす気味の悪い、陽ではなく陰、光ではなく闇、聖ではなく邪の部類に属するものとして扱われています。
その、どちらかといえば妖怪に近い、というよりほとんど妖怪の狐がどうして信仰の対象になっているのかというと、お稲荷さまの神使だからで、お稲荷さまは人を選ばず誰でも願望を成就させると信じられていて、博徒や遊女、被差別階級等にも広く信仰を集めた日本で人気ナンバー1の神様だからです。
さて、お稲荷さまってどんな神様だかご存知でしょうか?
商売繁盛の神様だといわれているのは、先に述べたように、普通の神様なら聞く耳を持たないような欲の皮の突っ張った人間の願いも叶えてくれるからで、この神様の本質ではありません。
例えばキリスト教徒なら、どんな無学な人でもイエス・キリストの生涯を知らない人はいないでしょうに、日本人なら誰でも知っている、そして日本人以外は誰も知らないお稲荷さまが実はどんな神様なのか、日本人はどうして知らないのでしょうか。
「キリスト教は信じたい人だけが信じる宗教で、土着の稲荷信仰といっしょにしてもらっては困る。」
そうおっしゃるのはもっともです。
ところがお稲荷さまというのは、「古事記」はともかく「日本書紀」には登場しない神様なのです。
「身分の卑しい人でも参拝できるし、日本書紀にも載ってないんだから、どうせ大した神様じゃないんでしょ。」
そう思ったら大間違い。
お稲荷さまは豊受大神(とよけのおおかみ)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、宇迦之御魂神(うかのみたま/倉稲魂命とも書く)と呼ばれるのが正式で、あの伊勢神宮の外宮に祀られている神様です。
外宮というくらいだから内宮より格下なのかと思ったらこれも大間違い。
「外宮先祭」という言葉があり、重要な祭りは全てまず外宮からという伝統があって、内宮と同列と思えるくらいに外宮が重視されているのです。
内宮に祀られているのはもちろん皇祖神の天照大神ですから、これ以上の神様は日本にはいません。
e0078674_22482790.jpgそんな凄い神様が、国の正史である「日本書紀」では触れられておらず、どうして妖怪であるはずの狐を従えているのか、まったく謎のままなのです。
伊勢神宮外宮社伝によれば雄略天皇(在位456年12月25日 - 479年9月8日といわれている第21代の天皇、架空の人物である可能性が高い)の夢枕にアマテラスが現れ、「一人では寂しいので、等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われ遷宮させたとされているのですが、この伝承も何か変です。
アマテラス大神は女神なのですから、独身が寂しいのなら普通は男神を呼び寄せるのが自然ですのに、トヨウケ大神も女神なのです。
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by sweetmitsuki | 2010-08-10 22:55 | おどろけー | Trackback | Comments(4)

日本人が知らないBUSHIDOH

e0078674_4554854.jpg前回紹介させていただいた小豆を磨ぐ妖怪の話ですが、ラフカディオ・ハーンが蒐集した日本の怪談の中にも収録されており、ろくろ首やのっぺらぼうと並び国際的にも有名な妖怪なのだそうです。
ハーンの作品は最初、英語で書かれニューヨークの出版社から発表され、本格的に日本語に翻訳・紹介されたのは大正末期からで、ハーンが生きていた時代の日本では知られていません。
当時の日本は明治維新を迎え文明開化に沸き立っており、日本人が欧米列強に恥ずべきものとして隠ぺいしようとしていた古い伝統や文化・風習・慣例を海外に紹介しようとしていた外国人の存在など知らなくて当然だったのかもしれませんね。
さて、今回は何がいいたいのかというと、妖怪変化の話ではなく表題にもあるように武士道のお話です。
ハーンが武士というものをどのように捉えていたのか、秋田県に伝わる怪談話の中からご紹介します。

むかし、佐竹様が水戸から久保田に移られた時、茂木百騎と言われる武士団の中に、妹尾五郎兵衛兼忠という青年武士もいて、横手に住居(すまい)することになった。
ある朝のこと。
「今日がら 朝まの勤めだど。遅れれば武士の恥だ」
五郎兵衛あわてて起きて、身支度をすると急いで家を飛び出た。
「ありゃ、おかしなや。誰も歩いてね」
五郎兵衛は時刻を間違え、家を早く出てしまったのに気づいた。
蛇の崎橋まで来たら、向こうの方から赤子(ぼんぼこ)抱いた女が歩いて来る。
「こんたに朝早くがら何したべ」
知らんぷりして通りすぎようとしたら、女の人は五郎兵衛の顔を見て、
「申しわけねす。してあっこの間(少しの間)、この童こどご、抱えででたんせ」赤子を差しだした。
「誰か通る人えねがや」あたりを見ても人っこ一人通らない。
五郎兵衛、仕方なくごつい手で赤ん坊を受け取って抱いた。
女は軽く辞儀すると急いで歩いたかと思ったら姿が消えて見えなくなった。


女子供に優しいのが武士としての必須条件らしいのですが柳生但馬や宮本武蔵が女性に優しかったという話はあまり聞きません。
そればかりか、修行の妨げになるといって武士は女人を疎んじてたような気がしますが、細かい事は置いといて次に行きましょう。
 
赤子は泣きもしないで静かに抱かれていたが、ずーんずーんと大きくなっていく。
「何じょしたべ(どうしたんだろう)」
赤子を見ても 小さいまま静かにしている。
「おがしなや」しばらく赤子を見て思案していた。そして考えついた。
身体中がザワーッとして冷や汗が流れた。
「んだ、大きくなってるなでねえっ。目方こ増えてるなだ。
七、八百匁の赤子だと思ってえだば、今なば五貫目ぐれあるな」
五郎兵衛が気づいてからも目方は増え続けて、
三十貫、四十貫、五十貫と重くなる。
「重でなゃ。重でじゃ」赤子を見たら両眼カーッと開いでにらみつける。
「怪しい女ごに、怪しい赤子、油断されね」


妖怪に騙されていたと気付いてもなお、約束は守り通すのが武士というものだそうです。
単にお人好しと言ってしまえばそれまでですが、愚直に信念を貫くのが大事なのでしょう。

「手もげるじゃ(手が抜けそうだ)なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ」
五郎兵衛が思わず念仏を唱えると、赤子はたちどころに軽くなり、女の人が忽然とあらわれた。
 

さすがに自分の力ではどうしようもなくなると、神頼みをするところがポイント。
武士のくせに他力本願なんてカッコ悪いと、現代人の感覚でいえば思えるかもしれませんが、ここが大事なところなので覚えておいてください。

「兼忠殿。私は産土(うぶすな)の神。
たった今氏子さ大変だ事おきて行って来たす。
これは、さっとだども(ほんの僅かだけれど)お礼だす」
と財布を差しだした。
五郎兵衛は断って、赤子を手渡した。
「そしたら兼忠殿に力を授けます。武士には力が一番大切だす」
と言うと、産土の神は消えてしまった。
お城の勤めを終え、五郎兵衛が顔を洗っていつもの手ぬぐいをしぼったら、手の中でちぎれてしまった。
新しい手ぬぐいに替えてもバサバサにちぎれてしまう。
産土の神は約束どおり、五郎兵衛に大力を授けていた。

とっぴんぱらりのぷう


e0078674_456154.jpg神が念仏によって助けられるという矛盾したお話ですが、神仏習合の日本人にはそんな事はどうでもいいのでしょう。
ハーンは本名をパトリック・ラフカディオ・ハーンといい、ラフカディオはミドルネームで、ファーストネームはアイルランドの守護聖人・聖パトリックに因んでいるのですが、ハーンはキリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったそうです。
ハーンが愛し、その存在を信じた神様とは、氏子とともに土埃にまみれ額に汗し、苦しみ喜びを分かち合う人間臭い神様だったに相違ありません。
ハーンは日本を美化しすぎていると批判の声もありますが、武士はかくあるべしと描いたハーンの理想は評価できるのではないのでしょうか。
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by sweetmitsuki | 2009-11-26 20:28 | おどろけー | Trackback | Comments(5)

あずき洗い

e0078674_14363699.jpg埼玉県川越市下小坂には、かつて小豆婆という妖怪が現れたそうです。

現在下小坂公民館が建っている場所は、西光寺という新義真言宗智山派の廃寺跡で、樹木がうっそうと生い茂り、日中でもうす暗くてさみしいばかりではなく、うす気味悪い所だった。だから、村の人はふだんはここへは近づかず、「ならいどの捨場」といって、瀬戸物やガラスの破片、トタンの切れ端し、あるいは鳥や犬、猫の死んだのを捨てていた。いつの頃からか、雨模様の夕方などはここから、
  ギショギショ  ザクザク
と、まるで小豆をといでいるようないやな音が聞えるといううわさがたった。だれ言うとなく、あの音は小豆婆が小豆を洗う音で、小豆婆は子供を捕えては食ってしまう恐ろしい婆と言われるようになった。
だから下小坂では、親の言うことをきかない子供や夕方遅くまで遊んでいる子には、
「小豆婆にさらわれてしまうぞ」
と言ってしかったものだという。

  川越の民話より


誰も居ない筈の場所に、誰か居るかのような物音がする。
でも、音の主は正体を現わさない。
そんな恐怖が、小豆婆の本質なのでしょう。
民俗学者の柳田國男氏によれば、小豆婆は小豆洗いとも呼ばれ、北海道と沖縄を除く全国各地に伝承が残るとても有名な妖怪なのだそうです。
それにしても、似たような音は他に幾らでもあるのに、姿を見せないこの怪異がどうして小豆を洗っていると決め付けたのか、柳田國男先生も首を傾げたそうですが、普通にあんパンを食べている私たち現代人にはピンと来ない話のようですけど、かつて小豆は、特別な日にしか食べない特別な食材だったのと関係があるようです。
お赤飯がその代表で、おはぎ、牡丹餅、柏餅など、数え上げたらキリがありません。
小豆じゃなくて大豆も、節分の日には鬼を追い払うのに撒きますし、お稲荷さまに捧げる油揚げは、大豆の生成品です。
けれども、恐ろしい鬼が豆をぶつけたぐらいで逃げていくとも思えませんし、お稲荷さまは狐だから油揚げが好物だとかいわれても、本当に狐なら油揚げより生肉のほうが好きでしょうに、どうも無理矢理こじつけてるとしか思えない節があります。
肉といえば、羊羹は読んで字の如く羊のスープだったものが、肉食を戒める禅僧によって小豆に換えられたとか、牡丹餅も、猪鍋を牡丹鍋というように元々は猪肉だったものが小豆に換えられたとか(詳しくはコチラ)やはりここでも小豆が登場します。
古代、人間が狩猟を放棄して動物の肉から得る事が出来なくなったタンパク質やビタミンを小豆や大豆は多く含んでいて、それらを積極的に摂る事が大事だと、科学というものがなかった昔の人は経験から知っていたのでしょう。
それにしても、お稲荷さまがいまだ現役の神様として活躍しており、鬼も退治されるという損な役回りながら節分の日には欠かせない存在なのに、小豆婆、小豆洗いはいまいち有名じゃないのがちょっとかわいそうです。
e0078674_15424947.jpg
最後に、調べていて偶然見つけた、本当にあったという不思議な話をひとつ。

幼稚園のとき、母の実家に遊びに行った。H県のものすごいド田舎。

しばらく家の中にいると外から
「遊ぼう~」
と声がするので外を見るとどこかの姉と弟らしい子供が2人いた。
「ちょっと遊びに行ってくる」
と言って外へ出て、田んぼの畦で遊んでいた。
すると近くを流れていた小川の方から
ざくざく、ざくざくっていうザルで碁石を洗うような音が聞こえてきた。
3人で音のする方に行ってみたが誰もいない。
でも音だけはざくざく、ざくざくって聞こえている。

「あずき洗いだ!」
おねえちゃんがそう言って一目散に逃げ出したので、
急に怖くなって後ろも見ずに家に走って帰った。

家に帰って母にそのことを話すと、
「誰と行ったって?」と、そちらの方が不思議そうな顔。
「どっかのおねえちゃんと男の子、遊ぼうって迎えに来たじゃん!」
と言ったら、
「あんたの出て行くの見てたけどずっと一人だったよ」

一緒にいたじいちゃんとばあちゃんも声も聞かなかったし、
そんな子迎えに来なかったと証言し、
「狐にでも誘われたんだべ」と言われた。

なんか二重に不思議な体験だった。


小豆洗いは子供を捕えては食ってしまう恐ろしい妖怪ではなく、子供の健やかな成長を見守る神様なのかもしれません。
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by sweetmitsuki | 2009-11-14 14:42 | おどろけー | Trackback | Comments(2)

これはあの世の事ならず

前々回のブログ内容に誤りがあったので謹んでお詫びすると共に訂正致します。

辻神という、道辻で他愛のない会話をする見知らぬ人の口を借りて、何か重要な言葉を投げかけてくれる神様がいるのだそうです

e0078674_13222373.jpg確かに、辻占といって、偶然そこを通った人々の言葉を、神の託宣と考える占術は古くから日本にあり、万葉集などの古典にも登場するのですが、これには細かい儀式があって誰の言葉でも良いという訳ではないそうです。
でも、考えが煮詰まって頭ギチギチになってる時に偶然耳に入ってきた見知らぬ人の言葉から解決の糸口が見つかったという話は、私自身の体験談だけではなく、有名な発明家の伝記にもしばしば登場するので、あながち莫迦にしたものではないのではないのでしょうか。
それから、辻神というのは悪霊、邪鬼の類でいわゆる善神ではなく、辻占とも関係がないそうです。
辻というのは交差点の事で、交差点で事故が起こりやすいのは科学が発達した現代でもあまり変わりはありません。
それらの災いは辻神の仕業と考えられ、昔の人は辻神を退治してくれる、塞の神様を崇拝しておりました。
路傍のお地蔵さまもそのひとりで、確かに四つ辻の角に人間の姿をした影が見えれば道往く人の注意を促す事になり、その結果事故は減るでしょうから、これも決して非科学的な迷信ではないのでしょう。
さて、お地蔵さまにまつわる不思議なお話が、東京・板橋区の西光寺にあります。

e0078674_13211579.jpg昔、大谷口村に心優しいお百姓がいました。明日は村挙げての田植えの日で畔代づくりに一生懸命励みましたが半分も出来ませんでした。困っていると、どこからか若いお坊さんきて「代かきが出来なくてお困りのようですね」と優しく声をかけて去って行きました。一夜あけ、田んぼに来てみると、すでに田植えは終わっていました。そして田んぼの泥が点々と草原に消えていました。跡をたどるとお堂があり石地蔵がお立ちになっていて、腰から下は泥だらけでした。お百姓はお地蔵さんが代がきをつくり田植えをしてくださったと涙ながらにお礼を申し上げました。大谷口村の人々はその後、このお地蔵様を『代かき地蔵尊』とあがめて、あつくお祭りをしました。

板橋区立郷土資料館 より。尚、画像のしろかき地蔵は同博物館のレプリカです。本物は上の画像のお堂の中にあり、格子が邪魔でうまく撮れませんでした。
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by sweetmitsuki | 2009-09-23 13:05 | おどろけー | Trackback | Comments(2)

カッパのメロンパン

父が趣味で、と、いうより病後のリハビリに趣味を持った方が良いと医者から勧められ、パンを作っています。
それでメロンパンの格子模様をつけるのに使う押し型を作ってくれと頼まれまして、「そんなもん、竹串でやればいいじゃん。」と思ったのですが頼まれた以上断れず、だからといって買った方が遥かに安いものをわざわざ作る程、酔狂ではないので、今度の連休に調理道具なら何でも揃っているので有名なかっぱ橋道具街へ物見遊山がてら行こうと思っていたのですが、今日たまたま仕事の関係で近くを通ったので寄り道してきました。
e0078674_20382189.jpgかっぱ橋とは面白い名前ですが、今から約180年前の文化年間、合羽川太郎(本名合羽屋喜八)は、この辺りの水はけが悪く少しの雨ですぐ洪水になってしまうのを見かね、私財を投げ出して掘割工事を始めました。なかなか捗らない工事の様子を見ていた隅田川の河童達は、川太郎の善行に感動して夜な夜な工事を手伝ったという故事に由来し、当時その堀割は新堀川と呼ばれ、かっぱ橋という橋も今の合羽橋交差点のあたりにあったそうです。
もちろん、今となっては見る影もありませんけど。
この話を聞いて、私は何か政治的なにおいを感じてしまいました。
道路工事といえば、さまざまな利権が絡んで、どうでもいい工事はどんどん進められるのに、本当に必要な事業となると、遅々として進まないのは、多分今も昔も変わらないのでしょう。
それに業を煮やした合羽川太郎は、私財を投じて掘割工事を始めるのですが、面白くないのは、公共事業に格好つけて甘い汁を吸うつもりでいた役人たちです。
恐らくは、ありとあらゆる手段を講じて横槍を入れてきたに違いありません。
例えばやくざ者を使って脅しをかけてくるとか。
e0078674_2041740.jpgそんな合羽川太郎に町の人びとは同情しますが、相手がお上では、逆らったらこっちの身まで危うくなります。
そこで一計を案じ、髷を梳いてカッパに扮し、夜霧に紛れて人目を忍んでは、工事を手伝ったのではないのでしょうか。
信心深い昔の人の事です。
妖怪とはいえカッパは水神の眷属、下手に手を出せばどんな崇りがあるだろうと、役人もやくざも手が出せなかったのでしょう。
こうして堀割は完成し、歯噛みして悔しがる役人を尻目に
「どんなもんでぇ!真っ当な事をしていりゃ、たとえお天道様が沈んでも、水神様がお力を貸して下さるってぇもんよ!」
と、啖呵を切って見せる合羽川太郎の姿が目に浮かんでくるようです。
もちろん、これは私の単なる妄想で、史実はどうなのかは分かりませんけど。

さて、これがそのメロンパンの格子模様を簡単につける押し型です。
さすが道具なら何でも揃うかっぱ橋、すぐに見つかりました。
仕事の途中だったので、他の店をじっくり見て回れなかったのが、残念。
正式名称はラティッシュカッターというそうです。
e0078674_20373531.jpg

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by sweetmitsuki | 2009-09-18 19:50 | おどろけー | Trackback | Comments(2)

数学的妖怪譚

高校生の時、数学の授業で二乗するとマイナスになる数、虚数というのを習いました。
ブログに書くので、うろ覚えではマズいと思い、調べてみたのですが、高校の頃、数学の成績は決して悪い方ではなかった筈なのに、今になって読み返してみても何が何だかさっぱし分かりません。
と、いう訳でうろ覚えのままでいきます。
確か何かの方程式を解くための記号だったと思います。
二乗するとマイナスになる数なんて、この世に存在しないのですが、その、何かの方程式を解くためにある筈のないものを「ある」という事にしとかないと計算が出来なくなるので無理矢理作ったのだそうです。
e0078674_1828365.jpgつまりそれはこういう事でしょうか。
いつの時代でも、子供は川で遊ぶのが大好きで、親としては、子供が川で溺れたり、不慮の事故に遭ったりしないか心配でたまりません。
ところが子供に「フリョノジコ」とかいっても分かりませんから、「カッパ」という、いる筈のないものを「いる」という事にして注意を促すのです。(もっとも、最近の川にはカミツキガメとかアリゲーターガーとかガチでヤバいものが棲んでたりするそうですけど)
眼に見えるものだけが真実ではなく、ある筈のないものでも「ある」とされているものには、それなりの意味があるって事なのかも知れません。
もちろん文部省は、そんな事を高校生に分からせるために数学の授業で虚数を教えている訳ではないのでしょう。
しかし、大工仕事に使う釘を糠に入れておくと漬物が色よく美味しくなるように、本来の用途以外の目的で使っても便利なもので世の中は溢れています。
だいたい、虚数が何の問題を解くのに必要なのか忘れてしまい、調べても分からなかった事を後悔する日などこの先訪れないでしょうから、そういう風に捉えておいた方が得ってモンです。
e0078674_18271922.jpg夏なので何か怪談めいた話を考えていたのですが、私、霊感とかそういうの全然ないみたいで、不思議な体験とか、一度もした事ないんですよ。
しかし、高校の授業でさえ、ある筈のないものをあると教えているのですから、これから先の人生、ある筈のないようなものに遭遇する日がやって来るのかも知れません。

それから、「糠に釘」ということわざは、やっても無駄であるという意味で、本来の用途以外の目的で使っても便利なものという意味ではありません。
そんな事、誰も間違ったりはしないと思いますが念のため。
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by sweetmitsuki | 2009-09-06 18:30 | おどろけー | Trackback | Comments(8)