mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
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カテゴリ:朝鮮の○○と日本の××( 12 )


朝鮮の閔妃と日本の後桜町天皇

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幕末から明治にかけての歴史資料を読んでいると、日本人がいわゆる皇国史観を持つようになったのは日清戦争の後からで、江戸時代にはほとんどの人が天皇の存在すら知らなかったと書かれていることが少なくないのですが、私はこれには首を傾げてしまいます。
その理由の一つである「御所御千度参り事件」について少し述べさせていただきます。
江戸時代の後期、智子という皇族の女性が後桜町天皇として即位します。(1762~1770)
異母弟の桃園天皇が22歳の若さで死んでしまい、その息子の英仁親王が後桃園天皇として即位するまでの代役のはずだったのですが、後桃園天皇も22歳で死んでしまい、天皇には1歳にも満たない娘の欣子内親王しかいなかったため、いくらなんでも0歳の赤ちゃんと成人男子を結婚させるわけにもいかず、閑院宮家という傍系の第六皇子祐宮師仁を年が近いという理由で婿にして光格天皇として即位させたため、上皇として天皇を支えなければならなくなってしまったのです。。
(つまりは神武天皇から絶えることなく男系の直系の子孫が天皇になってるなんてのはウソなんですねい。)
その光格天皇が17歳のとき、「御所御千度参り事件」は起きました。
天明7(1787)年6月7日、素性の知れない老人が始めたのが発端だそうですが、京都の御所の築地塀の周りを廻る「御千度(おせんど)」をする人々が現れたそうです。
7日には50人ほどの程度であったが、次第に数を増し10日には1万人もの老若男女が集まって塀の周りを廻った。その人数は、18日前後には一日7万人に達したといいます。
人々は南門にたどり着くと、銭を南門前面の敷石に投げ入れ、その向こうにある紫宸殿(ししんでん、御所の正殿)に向けて手を合わせたといいますから現代の詣と同じようなことをしたのです。
この「御所御千度参り」に集まったのは京都の人だけでは なく、噂は大阪や近国にまたたく間に広まったそうです。
暑さの厳しい頃なので、御所では築地塀の周囲の溝に、冷たい湧き水を流して、手や顔を洗えるようにしました。後桜町上皇は、3万個の和りんごを配らせましたが、昼前になくなってしまったらしいです。隣接する有栖川宮家、一条家、九条家、鷹司家も、茶や握り飯を配りました。
何故人々は御所に集まったのでしょうか。
実はこの年、江戸四大飢饉のひとつとして数え上げられている天明の大飢饉の影響で、米価が高騰し、餓死者まで出るという悲惨なことが起きていました。人々は、幕府の京都所司代や京都町奉行所に繰り返し嘆願したのですが、これらの役所はいっこうに救済策をとらなかったので代わりに天皇に詣でたのです。
光格天皇は、これを見て、すぐさま行動に移りました。
関白・鷹司輔平を 通じて、対幕府の窓口である武家伝奏に、幕府方の京都所司代 に対して窮民救済に関する申し入れをするよう、命じたといいます。
実は江戸時代には、天皇は武士のやることに口を挟んではいけないという決まりがあって、そんなことをすれば後桜町上皇も光格天皇も流罪に処せられてもおかしくはなかったのですが、それも覚悟の上だったのでしょう。
江戸の幕府は、朝廷からの申し入れを受けて、千石(15トン) の救い米放出を命じ、これを朝廷に報告します。
この頃は一揆や打ちこわしなど、民衆の不満がピークに達していましたから、さらに天皇(しかも女と子供)を敵対するのは分が悪いと考えたのではないのでしょうか。
この年の11月に挙行された大嘗祭では、光格天皇の次の御製が世上に流布し、評判となりました。

身のかひは何を祈らず朝な夕な民安かれと思うばかりぞ
(自分のことで何も祈ることはない。朝な夕なに民安くあれと思うばかりである)

じっさいのところ、江戸時代の一般市民が天皇のことをどう思っていたのかは詳しい資料が残っていないのでよくわからないのですが、天皇が民衆のことをどう思っていたのかについては、このように資料が残っています。
ですが天皇も現人神ではなく人間ですから歴代の天皇がすべてこんな立派な人だったのかどうかは不明です。
「牝鶏嘶けば国滅ぶ」という言葉があるくらいで、女性が玉座に就くのは傾国の前兆ともいわれていて、実際隣国の清は西太后の時代に、そして朝鮮では閔妃の時代に国が滅んでいます。
男性の皇位継承者が現れず、女性が天皇になって、しかも天災が起き飢饉になり民衆が反乱を起こしても国が滅びなかった日本は本当に奇跡としかいいようがありません。

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by sweetmitsuki | 2017-04-26 04:14 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(0)

朝鮮のクッパと日本のおにぎり

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民乱の時代 秩父農民戦争と東学農民戦争
河田宏 著
原書房 刊
この本が執筆されたのが2011年のことだそうですから6年たった今、明治ブームはますます過熱しやれ教育勅語を復活させろだの憲法を明治憲法に直せだの騒々しいです。
ですが明治って本当にそんな素晴らしい時代だったのでしょうか。
日本は明治の頃農民蜂起が頻発し、その最大規模で組織的な武装蜂起だったのが秩父事件で、隣国朝鮮ではその数倍規模で東学党の乱がおきています。
こんなことを書くと「確かにそんなこともあったけど、当時は欧米列強が牙を剥いてそこまで手が回らなかったんだ。それより日本人なら祖先の偉業である明治維新を誇りに思うべきじゃないか。」といわれそうですが、グローバリズムとか新自由主義とか欧米列強が牙を剥いてるのは今も同じで、この問題は収束もしてなければ決着もついてないのです。
それと、この問題を日本と朝鮮の民族問題だとはき違えている人がいますが、それも違うと思います。
これは、真面目に働いてる大多数の人間が生活に窮しながら、僅かな人間が富を独占しているという社会の矛盾の問題なのです。
驚きなのは、まだ社会主義という概念のなかった時代に、東学党農民軍は朝鮮政府に対し、農民の自治組織である執綱所(チプカンソ)を設けることを認めさせることで和約していました。
これこそが農民革命の基礎となるものであり、村落中心の土地公有制度を実現するものでありました。(日清戦争で日本軍に潰されてしまうのですが)
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民族の問題ではないと申し上げはしましたが、同じように困窮し、同じように蜂起した農民でも、日本人と朝鮮人ではやることなすことすべて違うのでそれも驚きです。
たとえば、普段麦粥しか食べてない農民も、いざ決起すれば首謀者によって白米が配られるのですが、朝鮮人はそれを椀に盛ってスープをかけて食べるのに比べ、日本人はおにぎりにして食べます。
どうして日本人はおにぎりにするのかというと、個別の器を揃える手間を省くためと、なにより「みんなおにぎりふたつづつ。」と、食糧の分配を平等にするため。それと残りご飯を道明寺米(干し飯)にして保存しておくためなんですが、そんな理屈は抜きにして、日本人はおにぎりを食べると気分が高揚するのです。
これはもう、血のなせる業としかいいようがないのです。

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by sweetmitsuki | 2017-04-25 04:45 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(0)

日本語の正体の正体

e0078674_431636.jpg日本語の正体―倭の大王は百済語で話す
金 容雲著
三五館刊

この本を読んだのはずいぶん前のことで、その時は感想を述べるまでもないと思いスルーしたのですが、最近になって面白い話を聞いて、再び読み返してみました。
北極星とは、昔から変わらないのではなく、どんなに優れたフィギュアスケートの選手の回転にもわずかにブレがあるのと同じように、地球の自転にもブレがあり、北の天、じゃなかった、地球の自転軸を北極側に延長した線上に位置する星は数千年という時を経て移動し、現在の北極星はこぐま座α星のポラリスですが、旧約聖書が書かれたころの北極星は、こぐま座β星のコカブで、紀元前2800年頃はりゅう座α星、紀元前11,500年頃はこと座のベガだったそうです。
本当は、北極星が動くのではなく、地球の自転軸が動くんですけどね。
北極星はそれほど明るい星ではなく、いつでも見れるわけではないので、夜空に北を求めるのなら、北斗七星の位置から推理したほうが、大雑把で不正確ではありますけど、手っ取り早くて簡単なんだそうです。
西洋では、北斗七星のことをおおぐま座と呼んでいますけど、あれは誰がどう見たって尻尾が長すぎてクマには見えません。
神話では、神さまが尻尾をつかんで天空に放り投げたために伸びてしまった。と解説していますけど、これはどうもこじつけのような気がします。
人間に方位を教えてくれる星が象徴する動物は、森の王であるクマが相応しく、イタチやキツネでは役不足だからなのではないのでしょうか。

さて、前置きはこのくらいにして「日本語の正体」を読んでみましょう。
七人の侍が日本に降臨してきた?という副題を設けて、天孫降臨ゆかりの地、日向に七隈神社があるのは、朝鮮半島から渡来した七人の王子を祀ったものだと書いてあるのですが、先に述べたように七隈とは北斗七星のことで七人の王子ではありません。
著者は考古学や言語学の専門家ではなく、数学者だそうですが、それならばなおさらのこと、七という数字から北斗七星を連想できないところを見ると、朝鮮には北斗七星にまつわる信仰がないのでしょう。
どうしてこの本に、こんなにも間違ったことばかり書いてあるのかというと、BC4~3世紀の航海技術上、農業革命を引き起こすほどの集団が朝鮮半島を経由せずに直接日本列島にたどり着くのは不可能であると断言してしまっているからなのです。
実はアウトリガーカヌーといって、丸木舟に添え木をつけただけの粗末な船でも、外洋の航行は不可能ではなく、現に南洋諸島で古来からの伝統や習慣を頑なに守りながら生活している人びとは、このアウトリガーカヌーを使って離島を往来しているのです。
著者は日本にはいわゆる「南方ロマン」というものがあり、稲の南方渡来説や日本語の起源をタミール語に求める説を盲信する人が少なくないとする一方で、韓国には逆に「北方ロマン」があり、日韓人がおのおの南方・北方に思いをはせているのは、南進に希望を託し列島に渡った日本人、または北進の夢を持ち続けながら半島に留まった半島人の精神的遺伝子を受け継いでいるから、いわば、血が騒ぐということでしょう。と結んでいます。
ロマンや信仰は確かに大事ですし、私も古代史に妄想を膨らませて荒唐無稽な絵空事を想像することは大好きなのですが、それは史実と似て非なるものであると認識していることが前提だと思うのです。
この本が、韓国のSF作家がふざけて書いたのものであるのなら面白く読めたのですけど、大学教授が大真面目になって書いた本だと聞き、妙に興ざめしてしまったのでした。
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by sweetmitsuki | 2014-06-13 05:45 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(2)

朝鮮の白衣と日本の藍染め

e0078674_9273442.jpg今どきは個人個人がそれぞれの好みに合わせた服飾を楽しんでいるので、そんなことはないのですけど、それでも国や民族によって選ぶ服の色は違うという傾向は未だあるようです。
たとえば、靴下などの下着では、日本人は濃く染められた色を選ぶ人が多いのに比べ、朝鮮人は純白を選ぶ人が多いようです。
これは単なる嗜好の違いではなく、日本人と朝鮮人では、衛生に対する感覚が、まったく異なるからなのです。
つい百年前まで、朝鮮人はみんな白い服を着ていて、朝鮮を訪れた外国人はのきなみ驚いたものですが、実は日本人だって、つい百年前までは、みんな紺色の服を着ていたのです。
これには理由がありまして、日本人が古来から染料として使っている藍には、汗疹や肌荒れ、虫刺されの予防、消臭抗菌効果があって、クーラーなどなかった時代、高温多湿の日本の夏を凌ぐには、藍で染められた衣類を着るしかなかったのです。
そういえば日本人は今でも、お祭りのときに、いちばん大切なお神輿を担ぐ担ぎ手は、頭のてっぺんから足のつま先まで、全身藍で染め上げられた装束を身に纏います。
そしてそれは、どんなに高級で上等な着物より、それを身に纏うほうが誇らしく晴れがましいとされているのです。
ラフカディオ・ハーンも、東洋の第一日目というエッセイの中で、紺の股引に紺の上着を羽織り、紺の手拭いで汗を拭く人力車夫について「本来ならば動物がやるべき仕事を、乗客を思いやるという心を持った人間がする人力車は、私が今まで乗ったどんな乗り物よりも快適である。」と、述べています。
19世紀の朝鮮人が白い服を着ていたのは日本人にとっても驚きだったようで「朝鮮に染色技術はないのか?彼らはそれほど貧しいのか?」という誤解を与えたようですけど、落語の「裏は花色木綿」とう噺でもいわれているように、藍染めは繊維を丈夫で長持ちさせる効用がありますから、白い布を白いまま使うほうが、ずっと贅沢なことなのです。
それに、西洋でも頭脳労働者のことをホワイトカラー、肉体労働者のことをブルーカラーと呼んでいますから、汗をかくことを恥だと思わない日本人のほうがおかしいのかも知れません。
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by sweetmitsuki | 2014-03-16 10:10 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(11)

朝鮮の韓流たくあんと日本の和風キムチ

e0078674_6195522.jpg最近では朝鮮レストランでなくても、お通しや箸休めとしてキムチを供するお店が増えてますけが、そういうお店で出されるキムチは、浅漬けの素にキムチ風味を加えて漬け込んだ、味覚的にはあっさりした物が多く、韓国式の本格的なキムチとは区別され、浅漬けキムチや和風キムチなどと呼ばれています。
韓国本来の製法で作るキムチは魚介の塩辛が乳酸発酵し、濃厚な旨味成分と酸味を伴うのですが、この発酵臭とニンニクや魚介の香りが混ざった強い臭気が伴うので好みが分かれ、お手軽で値段も手ごろな日本の和風キムチのほうが好き、という人は日本人のみならず最近では朝鮮人にも多いようです。
さて、朝鮮レストランで調理を注文するとメインのおかずのほかに必ず、バンチャンと呼ばれる小鉢に入ったおかずが何鉢か出てくるのですが、バンチャンにはもちろんキムチが出されることが多いのですけれども、たくあんが出されることが意外と多いのをご存じでしょうか。
そのたくあんは、日本のたくあんを食べやすい大きさに切ってから、彼らの好みに応じておろしにんにくやトウガラシやごま油などで和えたもので、ダンムジムチム(たくあんの和え物)と呼ばれているのですが、言い辛いから韓流たくあんと呼んでしまいましょう。
実は朝鮮では「日帝の持ちこんだもので沢庵だけは格別である。」という言葉があるくらい、たくあんは朝鮮社会に浸透していて日本よりもキムチよりも朝鮮人はたくあんを消費しているそうです。
そもそも、たくあんとキムチは同じ漬物でしかもお隣の国の食べ物でありながら、作り方はまったく違います。
日本ではたくあんを干したダイコンと塩と糠で作りますが、朝鮮ではキムチを白菜(他の野菜で作ることも)にトウガラシ、ニンニク、ニラ、塩辛、魚醤などいろいろなものを混ぜ合わせて作ります。
いちばん違うのは、たくあんは甘味を加えるのに柿の皮だけを加えるのに比べ、キムチは果物(主にリンゴや梨)の果実をすりおろして入れること。また、キムチは生牡蠣や蜂蜜や牛肉など、高価な食材を使った贅沢なものが作られますが、たくあんではそんなことはしません。
ではたくあんは貧民しか口にしない粗末な食べ物かというとそんなことはなく、たくあん漬けの語源となった東海寺の沢庵禅師と三代将軍家光とのエピソードはあまりにも有名で、たくあんには江戸患い(ビタミン不足による生活習慣病)を治す薬効があり、お金持ちや位の高い人までが好んで食べたといわれています。
そのような歴史から、現在では本格的なたくあん、濃厚な韓流たくあん、本格的なキムチ、あっさりした和風キムチと、さまざまなバリエーションが派生しているのですが、要は美味しければ何でもいいので、お好みに合わせて漬物を食べ比べてみてはいかがでしょうか。
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by sweetmitsuki | 2013-06-03 06:08 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(2)

朝鮮のデボルムと日本のひなまつり

e0078674_20465063.jpg節句というのは日本が唐時代の中国から取り入れた暦なのですが、3月に雛人形を飾ったり5月に鯉幟を揚げたり7月に短冊に願い事を書いたりするのは日本だけで、中国では昔からそんなことはしないんだそうです。
季節毎にお祭りの飾りつけをしないとつまらないと思うのですが、外国の人はそう思わないのでしょうか。
日本人は国内のお祭りだけでは足りずに外国のお祭りまで祝っているというのに。
五節句のひとつ、ひな祭りは、もともとは旧暦の3月3日に行われる行事でしたが、今では新暦(グレゴリオ暦)の3月3日に行われる行事になってしまいました。
つまり、本来は春分の日の後に行われ、「暑い寒いも彼岸まで」という言葉があるように、彼岸(春分の日)の前と後では気候が大きく違い、祭りの内容も変わってくるだろうと思うのですが、それもそんなに悪いことばかりではありません。
例えば雛祭りにはハマグリのお吸い物が欠かせませんがハマグリの旬は2~3月で、旧暦のひな祭りには食べ頃を過ぎてしまいます。
さて、朝鮮では旧正月から数えて最初の満月(旧暦では1日は必ず朔日になるので15日)をデボルムといい、正月と同じくらい盛大に祝うそうです。
旧正月がグレゴリオ暦の2月半ば頃だと、ちょうど日本のひな祭りと朝鮮のデボルムが同じ時期に行われるようになり、ひな祭りはもちろん女の子の節句ですし、デボルムは別名「女正月」と呼ばれるように、この二つの行事には以外にも共通点が多いのです。
まず朝鮮ではプロムといって、ナッツを食べます。そうすることで邪鬼を追い払うことができるといわれているのです。
日本ではひなあられを食べます。ひなあられは地方によって違いますが、東京で食べられているのはポン菓子です。
ポン菓子とは、20世紀の初めにアメリカの科学者が実験の失敗から偶然に生まれた食品で、どうして古式ゆかしき日本の伝統行事にそんなものを食べるのか、理由は一切不明。
このいい加減さが日本なのです。
朝鮮ではイミンジュ(耳明酒)といって、耳がよく聞こえるようになるといわれているお酒を呑みます。
日本でも白酒を呑みますが、今ではもっぱら甘酒を飲みます。実は甘酒には、体を冷やす効能があるので夏の飲みものだったのですが、ひな祭りに飲まれるようになってからは冬の飲み物になってしまいました。
甘酒を飲むと体が温まるのは、ショウガが入っているからです。
朝鮮ではムグンナムル(乾燥野菜の惣菜)とオゴッパブ(五穀飯)を食べますが、日本ではちらし寿司を食べます。
これはお祝いの席の豪華な料理ではなく、冬の保存食のレシピを親から子へ、子から孫へ伝え、もしもの時に家族の生命を救う術を受け継がせるための重要な儀礼だったのでしょう。
日本でもちょっと前まではお寿司といえばちらし寿司かのり巻きのことだったのですが、いつから日本はこんなに贅沢になっちゃったんでしょう。
ちなみに朝鮮にものり巻きはあるのですが酢飯は使わず、節分の日に一気食いしたりもしないそうです。
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日本や朝鮮の文化の源流は中国にあるといわれていますが、むしろ中国にはない、日本や朝鮮独自の風習にこそ、文化の源流があるような気がするのです。
日本のひな祭りは中国の上巳節に由来し、朝鮮のデボルムは元宵節から来ているので本来まったく違うものなのですが、ここまで似てくると他人事とは思えないものを感じてしまいます。
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by sweetmitsuki | 2013-02-11 22:28 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(2)

朝鮮の豆腐チゲと日本の湯どうふ

e0078674_13393063.jpgめっきり寒くなってきて鍋料理が恋しい季節になりましたね。
鍋といえば何といっても湯どうふがいちばんですが、日本人は湯どうふを取り皿に分けてつけ汁に潜らせてからでないと熱くて食べられないのに、朝鮮人は豆腐チゲをぐつぐつ煮えてる鍋から金属のスプーンで直接口の中に入れてどうして火傷しないんでしょうか。
実は日本人は豆腐をカタマリのまま食べようとするから熱いのであって、朝鮮人のようにスプーンで崩して食べればそれほど熱くないのです。
豆腐の食べ方ほど、朝鮮人と日本人で違うものもないんじゃないのでしょうか。
朝鮮人は豆腐チゲを、肉や野菜や魚介類をバランスよく加えて作りますが、日本人は湯どうふを、豆腐と昆布と水だけで作ります。
白菜と鱈を入れる人もいますけど、私にいわせればそれは王道ではありません。
それでは湯どうふは豆腐チゲに比べて粗末な料理なのかというとそんなことは決してなく、豆は丹波の厳選した豆を京で厳しい修行を積んだ熟練した職人が瀬戸内海の天然にがりと灘の伏流水で丁寧に仕上げ、昆布は利尻の昆布を、というように、理解できない人にはまったく理解不能なカスタマイズによってグレードはいくらでも上げられるのです。
まぁ、スーパーの豆腐でも充分美味しいんですけどね。(もちろん遺伝子組み換えでないとはっきし表示されてるものに限りますけど)
朝鮮人は豆腐チゲを1/3ぐらい食べたらご飯を入れて雑炊にして食べるのですが、日本人は湯どうふでそんなことしません。
もちろん日本人も湯どうふの残り汁を捨ててしまうのはもったいないので雑炊にしますが、そのときは鍋の中身を全部平らげてからにします。
湯どうふそのものも美味しいのですが湯どうふの茹で汁で作る雑炊もさらに美味しく、味付けは個人の好みによって異なりますが、私は鰹節と味噌で猫まんま風にして食べるのが好きです。
煮立ったらこれも個人の好みですが、私はあらかじめ別容器に割り入れて粗く溶きほぐしておいた卵を螺旋を描くように静かに入れ、葱と七味をトッピングして食べます。
素朴で淡白な味わいながらもしみじみ美味しく、日本人に生まれて良かったという喜びが心の底から湧いてくるこの味わいは、蟹や河豚では決して味わうことのできないものでしょう。
このように、朝鮮人は豆腐とほかの食材とのハーモニーを楽しむ「混ぜる」(ビビンバ)の文化なのに比べ、日本人は豆腐そのものの味わいを追及する「拘り」(オタク)の文化といえるでしょう。
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大久保コリアンタウンにて、
産地直送なのでこのプライス。
どうだ、韓国好きだろ。
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by sweetmitsuki | 2012-12-16 14:22 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(2)

朝鮮のホットクと日本のたいやき

e0078674_20475633.jpg日本でちまきといえばお菓子のことですが、ほかのアジアの国に行くと豚の角煮とかが入っていて、ご飯で作ったハンバーガーのようなものだったりします。
中国などは飲茶のお国柄なのにお茶請けの点心はおかずっぽいものがほとんどでお菓子類は月餅とかゴマ団子とかロクなものがありません。
彼方の国の人たちは、あんまし甘い物とかお好きじゃあないんでしょうか。
そりゃ、希少な食材をふんだんに使って贅沢に仕上げた逸品なら美味しいのでしょうけど、そんな高価なもの、私の手に届くはずがありません。
だいたい、ごく一部の限られた金持ちの口にしか入らないようなものを引き合いに出して、その国の食文化を語るのはおかしいと思うのです。
たとえばお隣の韓国では、おやつ系の食べ物はトッポギとかやっぱし甘くない味付けのものがメインなのですが、ポジャンマチャ(韓国式屋台)で最近話題のお菓子に、ホットクがあります。
これもキムチチーズ入りとか甘くない味付けのものもあるのですけど、一番人気は何と言ってもシナモン味で、出来立てのアツアツを戴くのが最高です。
ただし、アツ過ぎてとても持っていられないほどですし、持ってるうちに油が染みてきて手がベトベトになるうえ、一口かじると中の黒砂糖がグツグツと溶岩のようにあふれ出てきて更にエラいことになりますが、そのワイルドさも韓国フードの醍醐味のうちです。
シナモン味の人気の秘訣は、黒砂糖だけだと甘ったるくてとても食べられたものじゃないのですがシナモンの香味が程よいアクセントになって食欲をそそりいくらでも食べられるよう工夫がなされているところにあって、要するに甘いものが食べたくてもお金がなくて食べられない人たちが、安価な食材で気軽に食べられるよう考えて作られた庶民の味なのです。
日本にも、庶民が食べるお菓子のひとつにたい焼きがあります。
よく日本のお菓子はまがいものが使われていて本物じゃないとかいわれたりしてますけど、たい焼きは鯛が食べたくても食べられない貧しい人が作ったお菓子ですから、正真正銘のまがいものです。
でも、たい焼きには夢があってロマンがあって食べると本物の鯛を食べる以上に幸せな気分になれる、そんな魔法のお菓子がたい焼きだったんじゃないのでしょうか。
たい焼きイリュージョン、たい焼きファンタジー、たい焼きには未来があって希望があって、日本がまだ貧しかったころ、日本人はたい焼きを食べて頑張ってきたんじゃあないのでしょうか。
その国の文化というものは、上流階級の洗練されたものを見てもあんまし意味はなく、むしろ社会の底辺で生きる人たちが毎日の過酷な労働と、それでも追い付かない貧しさの中で作り上げたものにこそ本当の価値があると思うのです。
今、韓流ブームですけど、ポジャンマチャで売られているアツアツでベトベトでドロドロなホットクには、デパートで売られている本物の食材を一流のパティシエが作り綺麗にパッケージされた贅沢なお菓子にはないアツいパワーがあって、韓流ブームに夢中になっている人たちは無意識のうちにそのパワーの源に触れようとしてるのでしょう。
そしてそのアツいパワーとは、日本が経済的な豊かさと引き換えに無くしてしまったものなのかもしれません。
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by sweetmitsuki | 2012-09-11 22:36 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(4)

朝鮮のトトリムッと日本のとちもち

e0078674_219993.jpg日本に稲作が伝播する前、縄文人は何を食べていたのかというと、ドングリなどの堅果類を食べていました。
縄文人は土器を使って、そのままでは渋みが強くて食べられないドングリを煮炊きして調理する術を知っていたので、後にユーラシア大陸から稲作が伝わっても、国土の森林をすべて切り拓いて農地にしたりはせず、豊潤な恵みをもたらし、津波などの災害から自分たちを守ってくれる森林には神様がいると信じ、むやみに立ち入らないようにしていました。
これが日本の文明と大陸の文明との違いなのですが、これらの生活習慣や信仰は別に日本に限ったものではなくオーストラリアのアボリジニはマカダミアナッツを主食とし、アメリカ大陸のネイティブはオークの実を主食としていて信仰も似たようなものでしたので、日本文明とは呼ばずに環太平洋文明と呼ぶのが正しいと思います。
その、文明の根幹をなすドングリ食が、今の日本では田舎の一部でトチの実から作られたとちもちが食べられている程度でドングリはまったく食べられなくなってしまったのは、本当に寂しい話です。
縄文人が食べていたドングリとは一体どんな味がしたのか気になったのでいろいろと調べていたら、お隣の国、韓国では今でもドングリが食べられていると知り、さっそく電車で15分の韓国、新大久保に行ってきました。
それにしても、ちょっと前まで決して女性が一人で歩いていけないといわれていた新大久保が、今ではK-popのメッカとして女性に大人気の街になるとは、本当に先のことは誰にも分からないものです。
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さすがは新大久保、品ぞろえが豊富(たぶん本物のソウルより豊富)で、すぐに見つかりました。
トトリムッという名前で売られています。
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ネットでレシピを調べて調理(といっても切って焼き肉のたれをかけただけですが)これは韓流で頂くよりも和風にくろみつときなこをかけて頂いたほうが美味しいんじゃないかと思い、そちらも試してみました。
味のほうはどうかというと、まぁ、未体験の味。敢えてコメントは控えさせていただきます(どんな味なのか知りたい人は新大久保に行きましょう)。
日本で、とち餅は田舎でしか食べられておらず、それは伝統的な郷土料理というよりは粗末な救荒食という扱いで、そんなものを食べてるのはむしろ恥ずかしいというニュアンスが感じられるのですが、そこが何でもかんでもウリナラマンセーしてしまう韓国と日本の違いなのかもしれません。
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by sweetmitsuki | 2012-09-02 22:30 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(2)

朝鮮の狗食と日本の鯨食

e0078674_21344591.jpg館山に行ったとき、名産の鯨料理を戴こうとも考えたのですが、場所が微妙にズレてるし、とにかく今日はのんびりしたかったのでキャンセルしてしまったのですが、帰りに東京駅でこの本を手にして、なんであの時地場産の鯨を食べなかったんだろうと後悔してしまいました。
「韓国人にはご用心!」(平井敏晴著・三五館刊)(アマゾンはコチラ
私は韓国が好きでも嫌いでもないのですが、それでも韓国が好きだという人の話には、この人は韓国のハチャメチャなところを見たことがないのか、あるいは見て見ぬふりをするのが礼儀だと思ってるのか、そんな風に聞いてましたし、韓国が嫌いだという人の話は、針小棒大に歪曲されたことを自分で確かめもしないで鵜呑みにしてるんだと思っていました。
ところがこの本を読んで、両者の言い分にはほとんど食い違いがないということがわかり、目から鱗です。
韓国が好きだという親韓派のいってることが全く理解できないという嫌韓派の人。
韓国が嫌いだという嫌韓派のいってることが全く理解できないという親韓派の人。
そんな人たちにこの本は明快な答えを提示してくれます。
この本がひと昔前(日本人がアメリカの真似をすれば幸せになれると信じていた時代)に刊行されていたならば、さほどの価値はなかったでしょう。
しかし、今や日本人はアメリカの真似をしても幸せになるどころか、逆に不幸になるだけだと思い知らされてしまっています。
e0078674_22243375.jpgでは共産圏の真似をすればいいのかといえばそんなことは言わずもがなですし、北欧の高福祉政策も、日本人が真似したいと思うものではありません。
そこで注目なのが、お隣の国、韓国。
間違いのないよういっておきますが、別に韓国を見習えとか真似をしろとかいってるのではありません。
韓国人はグローバルスタンダードなんて気にしませんし、そもそもそんなものがあることさえ知りません。
その象徴が狗食です。
韓国人は国際社会から狗食が野蛮だと勧告されてもお構いなしに狗食を続けています。
日本ではかつて食糧事情の乏しかった時代に鯨が重要なタンパク源として利用されてきました。
ところが、国際社会から鯨食が野蛮だと勧告された途端、あっさりと鯨食を放棄してしまいまいた。
鯨食はそれこそ縄文時代から続く日本の伝統的な食文化なのですから、もっと鯨食の重要性を訴えてもよかったんじゃないのでしょうか。
韓国が、嫌いで嫌いでしょうがないという人でも、この点だけはやっぱし韓国を見習い、真似しなければならないと思うのではないのでしょうか。

日本がドンドン負けていくのはナゼか?
どう見ても間抜けで、不器用で、どうしようもなく不合理!なのに、とてつもないものを生み出すのが韓国の奇妙奇天烈なところ。
似てるのは肌の色だけだった
新段階に入った、彼らとのつきあい方と克服法

この本を読まなければ、もしかしたら新世紀は生きていけないかも?
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by sweetmitsuki | 2012-08-26 22:34 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(4)