mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
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縄文式土器のなぞ②

e0078674_2014649.jpg有孔鍔付土器という、縄文時代前期末期から中期終末にかけて現在の長野県、山梨県、関東地方を中心に作られた、その名の通り口縁部に内壁を貫通する直径5mm程度の孔が数個空いていて、その下に刀の鍔のような突起がある土器があり、出土例は少ないそうで、探すのは大変かと思っていましたが、以外にも地元・練馬の石神井公園ふるさと文化館に展示してありました。
火焔土器のように現代人の理解の範疇を遥かに超えてしまっている土器にたいしては「アートだ」の一言で済むのですが、この有孔鍔付土器は、何かの役に立てるために作られた可能性が高く、では何の役に立っていたのかというと、当時は既に原始的な農耕は行われており、種子の貯蔵に使用したとする説、小孔に詮をして反膜を止め楽器として用いていたとする土製太鼓説、サルナシやヤマブドウの果実を発酵させるのに用いた酒造具説などまちまちです。
e0078674_219441.jpg以前から縄文時代に酒や酢はあったのかという疑問を感じていたものですから、有孔鍔付土器が酒造具なら、縄文時代に酒はあったという何よりの証拠になり、酒は酢酸菌によって酢になりますので、当然、酢もあったという事になるのですが、文化館の学芸員さんの話では、確かに酒を醸していた証拠になるような、果実の種子や繊維が多数付着した土器は発掘されているのだそうですが、土器の種類は定まっておらず、有孔鍔付土器からはそのような痕跡は見つかっていないそうで、酒造具説と結び付けるのはやや強引なようです。
酒に限らず、土器に食物を入れて保存しておけばそれはやがて発酵するのは当然で、それが善玉菌によるものなら保存食としての貯蔵が可能になり、縄文人の食生活は考えていた以上に豊かなものだったと証明出来るのですが、今回は物証に欠け過ぎていました。
e0078674_21112978.jpgそれにしても石神井公園ふるさと文化館。
縄文時代のコーナーは小さいなれど、新潟県糸魚川の山中一か所でしか採掘されない翡翠で出来た大珠が展示してあるなど、貴重な資料が目白押しで侮れません。
私もこんなに大きく、輝いているものは始めてみました。
縄文時代の練馬、畏るべしです。
ちなみに上の画像は明治の初めに建てられた民家を移築したものです。
部材の一部には江戸時代の古材も使われていて、見応えは充分。
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by sweetmitsuki | 2010-03-29 21:28 | 古代史でポン | Trackback | Comments(2)

神様が本当にいるのなら、どうしてこんなに世界は悲惨なの?

e0078674_19481081.jpg

読みたい本があったので図書館に行ったのですが、お目当ての本を探してもらっている間、この本が目立つ所に置いてあったので頁をめくったら、目が釘付けになってしまい、探してもらった本よりも先に読んでしまいました。

世界の半分が飢えるのはなぜ?
ジャン・ジクレール著 合同出版
詳しくはコチラ


あまりにも悲惨な内容で、読んでてとても陰鬱な気分になってしまいましたが、それでも一気に読んでしまいました。
ヨーロッパでもっとも知られる飢餓問題の研究者、スイス人のジャン・ジクレール教授が、子供との対話という形式を使い、世界中で起こっている飢餓が、天災ではなく人為的に作られたものである事を、それこそ子供にでも分かるように説明した本です。
その一例を挙げてみますと、西アフリカにあってサハラ砂漠の南端にある、ブルキナファソという国ででこんな事があったそうです。
ここは元々フランス領で、お金にはなる(もちろん儲かるのは農場主で従事者は安い賃金で過酷な労働をさせられている)けど主食にはならない農作物の栽培を強要されていた国です。
そうした国は、今でもかつての宗主国に管理されていて、主食となる農作物はお金を出して買わねばならず、それは、先進国の人間にとってははした金でも、その国の一般の市民には、とても手が出せないほど高額なのです。
こうした、いわゆる植民地時代の傷跡が、貧困国の飢餓の原因になってる事は、私も以前から知っていました。
さらなる悲劇はこのあと起こるのです。
若きブルキナファソの指導者、トーマス・サンカラが、ブルキナファソを貧困から抜け出すにはどうすればいいのか、ジクレール教授に教えを乞いに訪れたのは、1983年のクリスマスの事でした。
ジクレール教授は、すぎさま具体的で実践可能ないくつかの提案をしました。
人頭税の廃止、開墾可能な土地の国有化といったものがそれです。
その結果、ブルキナファソでは改革がはじまって四年も経たないというのに、農業生産は急激に増加、国家支出は大幅に削減され、そうやって生み出された資金は、道路や水道の建設、農業教育の普及、地域ごとの手工業促進の事業など、住民に密着したプログラムにまず投資されました。
たった四年で自給自足の農業に切り替えられ、他民族の複雑な社会構成が民主、公正を是とする方向でまとまりを見せてきたのです。
それのどこが悲劇なのですかって?
実はサンカラは、その後すぐにかつての親友に殺され、改革は頓挫し、ブルキナファソは再び元の貧困国に戻ってしまいました。
サンカラがやった事はフランスや、フランスの管理下に置かれる事で多大な利益を得ていたほんの一握りのブルキナファソの富裕層にとって、とても忌々しい事でした。
そればかりではなく、サンカラの改革がアフリカ全土に普及すれば、それまでアフリカを食い物にしていた国や企業は、大きな痛手を被る事になるでしょう。
サンカラは、とんでもない化け物の逆鱗に触れてしまったのです。
実は私は、国民が飢え死にするような国は、その国の政治家が無能なのではないかと疑っていた節がありまして、無知とは全く恐ろしいものだと再確認しました。
もちろん、そういう国も確かにありますし、北朝鮮のように、外国からの援助を引き出すために、わざと国民を飢えさせているという、とんでもない国が存在するのも事実なのですけど。
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by sweetmitsuki | 2010-03-26 21:07 | 家の裏で原発が死んでる | Trackback | Comments(4)

君の他は君しかいない

e0078674_110229.jpg

前回、私がお母さんに教わった土筆料理を紹介させて頂いたところ、佐平次さんから「酢で煮て食べた」というコメントを貰い、そのような調理法もあるのかと思い試してみようとしたのですが、どんなキーワードで検索しても土筆を酢で煮るレシピが出てきません。
あらためてPCが万能の箱でないと実感。
e0078674_11485263.jpgそこで、野菜の甘酢煮のようなものではと思い、甘酢にダシを加え、煮てみました。
赤く染まると聞いていたので酢ダコのように真っ赤っ赤になるのかと期待してたのですが、しんなりしてきてもそんなには赤くなりません。
冷ませば赤くなるのかと思ったのですが、期待してたほど赤くはなりませんでした。
一晩寝かせればどうかとも思いましたが、そんなに待っていられないので食べてしまいました。
食べてみて、正直、愕然としました。
特別美味しいと思ったのではなく「ちらし寿司の具に混ぜたら良いアクセントになって美味しいかも」と、いうように、今まで春を楽しむために味わうもので、お腹を満たすためのものではないと思っていた土筆が、料理の食材として捉えられるように、私の頭の中で変化が起きたのです。
その味はといえば、土筆の味がしました。
当たり前の事ですが、他の野菜と同じ味付けだからこそわかった、他のどの野菜とも違う、土筆だけが持つ、土筆ならではのオリジナル。
興味のない人には、つまらないとしか思えないかもしれませんが、この味と食感は、土筆にしか出せないのです。
そんな事を噛みしめているうちに、私の頭の中で、ある空想が膨らんできました。
e0078674_1151144.jpg雛祭りにちらし寿司を食べる習慣がありますが、あれはお祝いの席の御馳走ではなく、もしかしたら、天候不良などで農作物の収穫が駄目だった時には自然に生えてるものを食べればいいという、縄文人の知恵を引き継ぐための儀式ではないのでしょうか。
今のちらし寿司は、お祝いの席に相応しい豪華な食材がふんだんに使われていますが、それでも脇は、筍、椎茸、蓮根、干瓢、菜の花といった、原始的な農法で栽培出来る、いわゆる縄文食で固められています。
弥生時代の農耕は、成功すれば確かに大きな収穫をもたらすのですが失敗も多く、その度に縄文時代へと退行しながら、ゆっくりと進歩していったのではないでしょうか。
それでは、果たして縄文時代に、酢はあったのでしょうか?
謎は膨らむばかりです。
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by sweetmitsuki | 2010-03-21 11:40 | 原始人ごっこ | Trackback | Comments(8)

春のよろこび

e0078674_11585517.jpgついこの間まで厳しい寒さが続き、雪まで降っていたというのに、草木は着実に芽を膨らませ、春の到来に向けて準備を怠ってなかったようで、一斉に花が咲き誇り始めました。
美しく、甘い香りのする花も素敵ですが、花より団子ならぬ山菜、愛らしい姿で舌にも美味しい土筆を摘みに行って来ました。
山菜採りというと、よく似た毒草があって、素人には区別が難しく、迂闊に手を出すと危険ですが、土筆を何か別のものと間違える人はいないでしょう。
それに、わざわざ山奥まで採りに行って、その土地の人たちが楽しんでいたものを横取りするのは気が引けますが、土筆はどこにでも生えてる雑草なので、気兼ねなく好きなだけ採る事が出来ます。
ですから正確に言うと山菜ではなく野草なんですけどね。
どこにでもといっても、やはりある程度の条件は必要で、日当たりの良い平地にしか生えていないのですが、ワンちゃんの散歩道になっているような場所はやはり避けたいですし、車道沿いの排気ガスを浴びてるものもよくないですから、採れる場所はおのずと限られてきます。
でも、そこはそれ、縄文的な勘を頼りに丹念に探せば、都市の中心部でも必ずや理想の土筆野は見つかります。
e0078674_12403581.jpg今年は寒かったせいか成長が遅いですね。東京では来週あたりが採り頃なのではないでしょうか。
さて、摘んだ土筆は、食べます。
タラの芽や蕗の薹は市場に出回っていますが、土筆は売られているのを見た事がありません。
つまりはお金を出せば手に入るという類いのものではなく、自分で野原を枯れ草や土にまみれて探さなければ手に入らないという幻のメニューなのです。
袴を取らない方がより野趣が楽しめるという人もいますが、野性味に慣れてない人は手間を惜しまず袴を取りましょう。
たっぷしのお湯にくぐらせアクを抜き、しょうゆ、みりん、砂糖で味付けし(面倒な人は市販のすき焼きのたれが便利。私はいつもこれでやっています。)最後に卵でとじるのが、私がお母さんから教わったレシピですが、素材の味をそのまま楽しみたいのならそのままでも結構です。
冷蔵庫に保存しておけば、かなり日持ちします。
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by sweetmitsuki | 2010-03-14 12:39 | 原始人ごっこ | Trackback | Comments(2)

ブログは仲良く楽しく平和に

タイトルとは裏腹に、かえって険悪な雰囲気を醸し出してしまいそうな内容なんですけど、これ書かない事には前に進む事もあとに戻る事も出来ないんで。

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by sweetmitsuki | 2010-03-12 21:41 | Trackback | Comments(2)

縄文式土器のなぞ

e0078674_169359.jpg3月の、菜の花の咲く事に降る長雨を菜種梅雨といいますけど、なんだか去年の秋からずうぅっと雨が降ってるような気がします。
おかげで遠出する気になれないのですが、探せば近場にも興味深い縄文遺跡の一つや二つ、あるものなので行って来ました。
京王線上北沢駅と京王井の頭線浜田山駅のちょうど中間あたりにある下高井戸塚山遺跡は遺跡のほぼ全体がそのままの形で残されている都内でも数少ない遺跡で、コンクリート製の復元住居が展示されているほか、発掘された土器や石器のレプリカ(本物は杉並区立郷土博物館に展示)を見る事が出来ます。
縄文式土器といえば世界で最も古い土器で、仮に、「たまたま最古の一例が日本で発見されているだけで発祥は東アジアの某国である。」という曖昧な説を受け入れたとしても、その歴史は人類史上抜きんでていて、およそ今から一万六千年前に作られ、次いで土器が作られるようになった古代メソポタミア地域より、控えめに見積もっても四千年以上古いという途轍もないものです。
そんなすごい発明をした縄文人ですが、文明の方は大したことはなく、農耕を知りませんでした。
では、土器を使って何を食べていたのかというと、そのままでは硬かったり苦くて食べられない、木の実や草の根、葉っぱなどを煮炊きしていたそうです。
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それでは、土器を持っていなかった他の古代文明人は何を食べていたのかというと、パンを食べていたそうです。
収穫した麦を石臼で挽いて、水で捏ねて炉で焼く、なるほど、それなら土器は要りません。
つまり、縄文人は土器があったから農耕を必要とせず、他の古代文明人は農耕を行っていたから土器を必要としなかったのです。
ところで、土器というものは粘土が焼かれることにより変成して、再び水に浸けても土くれには還らないという事を知っていなければ作れるものではありません。
ですから、最初から土器が煮炊き用の調理器具として作られたというのは、かなり無理があると思うのですが、こんな仮説があります。
e0078674_177141.jpg植物の蔓を編んで作った籠に、虫やゴミが入らないよう内側から粘土で隙間を塞いでおいたところ、たまたま火事に遭って燃えてしまい、粘土の殻だけが残った。
ためしにそれで水をすくってみるとこぼれず、更には火にかけても燃えないので、それで煮炊きをするようになったというのです。
これが本当なら、縄文式土器になぜ縄文があるのか、何であんな奇妙奇天烈な形をしてるのか合点がいきます。
つまりは土器文化の前に、それより遥かに歴史の長い編み籠文化があって、縄文式土器は、粘土で編み籠を模したものなのです。
ですから、編み目模様が付いてないと、何となくそれっぽくない気がしたのでしょう。
コンビニのお弁当に、薄いプラスチックで出来た緑色のギザギザが挟んであるのと要は同じです。
あれは昔は笹で出来ていて殺菌作用があり、お弁当の仕切りには最適だったのですが、プラスチックでは本来の用途には使えないのに使い続けているようなものです。
もっとも、最近ではワサビ抽出成分を配合したハイテク緑ギザギザもあるそうなので侮れませんけど。
結局のところ、私たち日本人は、外来の合理的な文明を受け入れながらも、根底では日本人自身すら理解不能な、縄文人の衝動から逃れる事は出来ないのではないのでしょうか。
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もっとも有名な縄文式土器のひとつ、阿玉台式土器。
口縁が「U」の字型に内側に曲がり、扇形の突起があるのが特徴。
下高井戸塚山遺跡出土。
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by sweetmitsuki | 2010-03-07 17:25 | 古代史でポン | Trackback | Comments(10)