mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
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人の手による地獄の業火に焼かれた人びと

e0078674_1956021.jpg
天災、人災にかかわらず、人類史上ひと晩のうちに最も多くの人命が失われた都市は何所で、それは何時のことでしょうか。
答えは日本の東京で、1945年3月9日深夜から翌10日未明にかけてのことです。
ヒロシマに投下された原子爆弾は放射能による被ばくで20万人超の人命を奪いましたが、一夜にして失われた死者の数は東京大空襲がその上をいっています。
東京大空襲については、私も何となくは知ってはいましたが、改めて詳しく話を聞いてみると、あまりの凄惨さに言葉を失ってしまいます。
東京都の地図をお持ちでしたら、広げてみてください。JR総武線の秋葉原駅、浅草橋駅、両国駅、錦糸町駅、亀戸駅、平井駅、この6つの駅を直径とする広範囲な地域とそこに住む人びとの命が、ひと晩にして消滅したのです。
よく、大自然の驚異の前に人間の力などちっぽけなものだといいますけど、東京大空襲だけは例外で、関東大震災の被害を遥かに凌駕しています。
東京大空襲の被害地域が関東大震災の延焼地域とほぼ一致しているのは偶然ではなく、アメリカ軍は関東大震災の被害状況を徹底的に調べ上げ、効率よく東京の街を消滅させるために模倣したからです。
腹が立つのは、アメリカ軍がこれだけ用意周到に研究と実験を重ね、練りに練った計画を実行しているのに比べ、日本は過去の教訓から何も学んでいないこと。
東京が初めて空襲を受けたのは1942年の4月18日のことでしたが、防空体制の強化が叫ばれ1944年には陸軍も防衛召集をして体制を整えていくものの、結局、実際の空爆に耐えることのできる本格的な防空施設や設備は作られることはありませんでした。
e0078674_20492379.jpg
そればかりではなく日本軍はアメリカ軍の焼夷弾の威力をを過少に国民へ喧伝し、早期発見と延焼防止のため、一軒一軒自分の家は自分で消すように命令していました。
日本の軍隊の将兵たちが、命を捨ててまで護ろうとした「国」とは、いったいなんだったのでしょうか。
少なくとも、見渡す限りの焼け野原となった国土や、生きたまま黒こげになって死んでいった、幼子を抱えた母親のことではなかったのです。
国家の利益のために、真面目に生き慎ましく暮らしている人たちを危険に晒し犠牲にしているこの国の体制は、戦前から何も変わっていません。
私たちは東京が空前の大空爆を受け莫大な遭難者を生じたことを忘れてはならないのでしょう。
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by sweetmitsuki | 2013-02-25 21:36 | 東京大空襲を忘れない | Trackback | Comments(4)

例えば非科学的なことも信じてしまう夕暮れ刻には

e0078674_20384321.jpg東京というところは意外なほど起伏に富んだ土地で、名前がついてるだけでも23区内に700以上の坂があります。
どれもその土地にちなんだ名前で呼ばれているのですが、いちばん多いのは「富士見坂」でその数は、もう呼ばれなくなった坂も含めれば20以上です。
昔は空気もキレイで視界を遮るものも少なかったでしょうから、ちょっとした丘の上ではさぞや見晴らしが良かったのでしょう。羨ましい話です。
それから海が近かったですから「汐見坂」も多く、昔は空気もキレイで視界を遮るものも少なかったでしょうから、ちょっとした丘の上ではさぞや見晴らしが良かったのでしょう。羨ましい話です。
意外にも多いのが「幽霊坂」で「乃木坂」など後の時代に改名された坂も含めればかつては10以上の「幽霊坂」があったそうで、富士山が見えるから「富士見坂」海が見えるから「汐見坂」とくれば「幽霊坂」では幽霊が見えることになり、昔は空気もキレイでちょっとした丘の中腹には奥深い森が広がってましたから、さぞや沢山の幽霊が出たのでしょう。うらめしい話です。
「冗談じゃない。幽霊が出るなんて、そんなとこ、頼まれたって行くもんか。」
そう考えるのは現代人の発想で、昔の人は出来ることなら生きてるうちに幽霊をこの目で見たいと思っていたらしいのです。
別に怖いもの見たさの肝試しのようなアトラクションではなくても、すでにこの世の人ではなくなってしまった人と、できることなら再会し、積もる話がしてみたい、そう思ったことはないでしょうか。
幽霊が恐ろしく感じられるようになったのは明治になってからのことで、戦争もなく平和な時代が続いていた日本では死はすべての終わりでもなければ忌むべきことでもなくこの世からあの世へ引っ越すというだけのことだったのでしょう。
e0078674_21293759.jpg今回訪ねたのは神田・駿河台にある、我らが聖地アキバから総武線の鋼鉄のアーチ橋を潜りニコライ堂へと向かうコースの中にある幽霊坂です。
ニコライ堂から聖橋を渡ると湯島聖堂と神田明神がありますから、ここは和洋中を問わず霊的に特別な場所なのでしょう。
さらに最寄りの駅の名前は水質の良い湧水に恵まれた土地を示す「お茶の水」ですから、遥か古代からこの地が聖域として崇められてきたに違いありません。
あの世とこの世を行き来する道の入り口は、現在も東京に数多くある幽霊坂のどこかにあって、そこへ行けば懐かしい故人に出会えるのではないでしょうか。
もしかしたら二度と戻れなくなってしまうかも知れませんが、それはちょっと訪れるのが早まったというだけの話で、どうせそのうち行くのですから大した問題でもないのでしょう。
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by sweetmitsuki | 2013-02-24 22:22 | お出かけドリフト | Trackback | Comments(2)

朝鮮のデボルムと日本のひなまつり

e0078674_20465063.jpg節句というのは日本が唐時代の中国から取り入れた暦なのですが、3月に雛人形を飾ったり5月に鯉幟を揚げたり7月に短冊に願い事を書いたりするのは日本だけで、中国では昔からそんなことはしないんだそうです。
季節毎にお祭りの飾りつけをしないとつまらないと思うのですが、外国の人はそう思わないのでしょうか。
日本人は国内のお祭りだけでは足りずに外国のお祭りまで祝っているというのに。
五節句のひとつ、ひな祭りは、もともとは旧暦の3月3日に行われる行事でしたが、今では新暦(グレゴリオ暦)の3月3日に行われる行事になってしまいました。
つまり、本来は春分の日の後に行われ、「暑い寒いも彼岸まで」という言葉があるように、彼岸(春分の日)の前と後では気候が大きく違い、祭りの内容も変わってくるだろうと思うのですが、それもそんなに悪いことばかりではありません。
例えば雛祭りにはハマグリのお吸い物が欠かせませんがハマグリの旬は2~3月で、旧暦のひな祭りには食べ頃を過ぎてしまいます。
さて、朝鮮では旧正月から数えて最初の満月(旧暦では1日は必ず朔日になるので15日)をデボルムといい、正月と同じくらい盛大に祝うそうです。
旧正月がグレゴリオ暦の2月半ば頃だと、ちょうど日本のひな祭りと朝鮮のデボルムが同じ時期に行われるようになり、ひな祭りはもちろん女の子の節句ですし、デボルムは別名「女正月」と呼ばれるように、この二つの行事には以外にも共通点が多いのです。
まず朝鮮ではプロムといって、ナッツを食べます。そうすることで邪鬼を追い払うことができるといわれているのです。
日本ではひなあられを食べます。ひなあられは地方によって違いますが、東京で食べられているのはポン菓子です。
ポン菓子とは、20世紀の初めにアメリカの科学者が実験の失敗から偶然に生まれた食品で、どうして古式ゆかしき日本の伝統行事にそんなものを食べるのか、理由は一切不明。
このいい加減さが日本なのです。
朝鮮ではイミンジュ(耳明酒)といって、耳がよく聞こえるようになるといわれているお酒を呑みます。
日本でも白酒を呑みますが、今ではもっぱら甘酒を飲みます。実は甘酒には、体を冷やす効能があるので夏の飲みものだったのですが、ひな祭りに飲まれるようになってからは冬の飲み物になってしまいました。
甘酒を飲むと体が温まるのは、ショウガが入っているからです。
朝鮮ではムグンナムル(乾燥野菜の惣菜)とオゴッパブ(五穀飯)を食べますが、日本ではちらし寿司を食べます。
これはお祝いの席の豪華な料理ではなく、冬の保存食のレシピを親から子へ、子から孫へ伝え、もしもの時に家族の生命を救う術を受け継がせるための重要な儀礼だったのでしょう。
日本でもちょっと前まではお寿司といえばちらし寿司かのり巻きのことだったのですが、いつから日本はこんなに贅沢になっちゃったんでしょう。
ちなみに朝鮮にものり巻きはあるのですが酢飯は使わず、節分の日に一気食いしたりもしないそうです。
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日本や朝鮮の文化の源流は中国にあるといわれていますが、むしろ中国にはない、日本や朝鮮独自の風習にこそ、文化の源流があるような気がするのです。
日本のひな祭りは中国の上巳節に由来し、朝鮮のデボルムは元宵節から来ているので本来まったく違うものなのですが、ここまで似てくると他人事とは思えないものを感じてしまいます。
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by sweetmitsuki | 2013-02-11 22:28 | 朝鮮の○○と日本の×× | Trackback | Comments(2)

杓子形の宇宙

e0078674_19183155.jpg今日、2月10日は旧正月です。
明日の2月11日が建国記念の日なのは単なる偶然ではなく、神武天皇が即位したのは今から2673年前の旧正月だといわれているからです。
もう一度、旧暦と新暦(グレゴリオ暦)の違いについておさらいしてみます。
地球は太陽の周りを一周するのにおよそ365日かかります。
グレゴリオ暦はこれを基準にしているのでグレゴリオ暦の一年はほぼ365日ですが、旧暦は月の満ち欠けを基準にしているので一年は354日、閏月のある年は383日です。
ですから去年の旧正月は、グレゴリオ歴では1月23日でしたが閏月があったため今年の旧正月は18日遅れた2月10日の今日となり、来年の旧正月は今年より11日早い1月31日になるのです。
何度書いても自分でもわけわかんないので、もっと整理しましょう。
東京近郊にお住まいの方は、高尾山に登ってみてください。
そこから富士山の頂上に夕日が沈む日が冬至で、一年で最も昼の時間が短い日です。
その日を境にだんだんと昼の時間が長くなり、昼と夜の時間が同じ日になるのが春分の日です。
更に昼の時間は伸び続け、昼の長さが一年で最も長い日が夏至です。
すると今度は昼の時間は日に日に短くなってゆき、再び昼と夜の長さが同じになるのが秋分の日です。
そして更に昼の時間は縮み続け、最も短くなる日が冬至で、冬至から次の年の冬至までおよそ365日かかります。
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これは世界中のどの国でも、地球上にある場所なら変わりません。
古代より、人類はストーンサークルによって冬至や春分の日を正確に知っていました。
さて、ここに大きな陥とし穽があります。
一年は冬至と春分の日と夏至と秋分の日によって四等分されると信じられてきましたが、実はそのこと自体が大間違いなのです。
去年の冬至はグレゴリオ暦では12月21日で、今年の春分の日は3月21日ですから89日あります。
ところが今年の夏至は6月21日ですから春分の日から夏至までは93日あります。
今年の秋分の日は9月23日ですから94日、冬至は12月22で90日、そして来年の春分の日は3月21日ですから同じく89日です(今年と来年で春分の日が一日ずれてるのにも注目)。
春分の日から秋分の日までは187日、秋分の日から春分の日までは179日と、8日も違うのです(この計算でいくと一年が366日になっちゃうけど気にしちゃいけません)。
グレゴリオ暦と旧暦のどっちが正しいかとかそういう問題じゃなくて、実は地球の軌道そのものが円ではなく洋梨のように歪だったのです。
これでは、どんなに正確な物差しを当てても正しく測れるわけがありません。
正確には測れないものを無理苦理に測って辻褄を合わせようとすることを杓子定規といいますが、洋梨のように歪な地球の軌道は杓子のお玉の形にも似ています。
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古事記の東征神話を読むと、神武天皇は陸上を船で航行したと記されているので、古代の皇軍にはオスプレイのような空中を移動できる超科学兵器が配備されていたと論じている研究者もおりますが、これはもちろん誤りで、当時は気温が高く海岸線は今よりもずっと内陸にあり、そこは陸上ではなく海中だったというのが正解です。
カラスにしたって、古事記では瑞兆を告げる縁起のいい鳥として描かれていますが今ではどちらかというと不吉な生き物として敬遠されています。
旧暦とグレゴリオ暦ではおよそ一か月以上のずれがありますが、寒い日もあれば暖かい日もあり、春が訪れるのが遅い年もあれば早い年もありますから、地球軌道のずれから比べれば大した違いではないのかも知れません。
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by sweetmitsuki | 2013-02-10 19:35 | ぬくぬく引きこもり記 | Trackback | Comments(4)

一万年と二千年前から愛してる

e0078674_20145181.jpg今日、2月の最初の午の日は初午といってお稲荷さまの誕生日とされ、お稲荷さまの大好きないなり寿司を食べて祝う日なんだそうです。
そんな日があるなんて去年まで知りませんでしたが、大手スーパーやコンビニの商魂逞しい狡猾な戦略古きよき日本の伝統を今に伝えようとする気持ちには恐れ入るばかりです。
本来は旧暦二月の最初の午の日だったのが、現在では新暦2月の最初の午の日になってしまい、そのため元々は春先の行事だったのに冬の一番寒い時期の行事となってしまったという説と、古来より立春以降の最初の午の日に行う行事だから今日でいいという説の両方があって、どっちが本当なのかはわかりません。
旧暦と新暦(グレゴリオ暦)の違いについて説明しますと、グレゴリオ歴は月の満ち欠けに関係なく、太陽の動きだけを基準にしているので、立春はだいたい2月4日になります。
だいたい、と書いたのは、1年は365日で1日は24時間ですが1年は365×24=8760時間ではなくそれより6時間ぐらい遅いので、4年に一度閏年を設けなければいけない都合で前後することがあるからですが、それでもほぼ2月4日で間違いありません。
旧暦は朔日(新月)から朔日までをひと月と数え、満月のことを十五夜というように月の満ち欠けには30日(正確には29日半)かかるため1年を12の月で表すと12×29.5=354日になり、これでは立春から次の年の立春までおよそ11日足りないので3年に一度(正確には19年に7回)閏月を設けねばなりません。
去年の立春は旧暦で1月13日でしたが、去年は3月に閏月が入ったせいで今年の立春は旧暦でいうと去年の12月24日となり、来年の立春はその354日後の再来年の1月5日になります。
なんだか書いてて自分でもわけわかんなくなってきちゃいましたが、グレゴリオ暦を使う西洋人は冬至と春分の日(クリスマスとイースター)を1年の基準にするのに比べ、旧暦を使っていた東洋人は立春を1年の初めとしていたのです。
お稲荷さまがいつごろから日本にいらっしゃるのかわかりませんが、稲は東南アジア原産の熱帯植物ですからきっとお稲荷さまもそちらのほうから海を渡っていらしたのでしょう。
稲作のルーツを探るべく、神奈川県小田原市にある、関東地方ではもっとも古い弥生時代の稲作跡が発見された中里遺跡にいってきました。
今はダイナシティ(ロビンソン百貨店)となっている敷地内には弥生時代中期前半の80軒を越す竪穴住居跡と60棟を越す掘立柱建物跡などの多数の建物遺構がみつかっています。
それに伴い、在地の縄文土器とともに、瀬戸内東部(現在の兵庫県摂津市)の弥生土器が一定量発掘されました。
摂津と小田原は、400km弱の距離があります。
しかも、瀬戸内東部の弥生土器は同時代の遺跡が発見された愛知県や静岡県などではみつかっていません。
ということは、これらの土器を運んできた弥生人は、近畿地方から海路をつかって直接、小田原にやってきたことになるのです。
どのような理由で、遠く離れた地まで弥生人はやってきたのでしょうか、また、小田原の縄文人はどのうように受け入れたのでしょうか、遺跡からはそこまではわかりませんが、在地の縄文土器も一定量一緒に出土しているということは、小田原の縄文人は遠くからやってきた弥生人を平和的に受け入れたのは間違いのないことのようです。
大和王朝が大軍勢を率いて東国を平定するずっと以前から、稲作は人びとの間に広まっていて、その頃すでにお稲荷さまはこの地にいらしてたのでしょう。
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海を渡ってやってきた弥生人と彼らが信仰していたであろうお稲荷さまに古代のロマンを馳せつつ、今夜は油揚げと豆腐とアグー豚の坦々鍋にしてみました。
正直、油揚げと豆腐を一緒に煮込むなんて意味が分からなかったのですが、やってみたらめちゃめちゃ美味しかったです。
油揚げのふわっとジューシーな食感と、豆腐のとろっとクリーミーな舌触りもさることながら、坦々スープのピリ辛味が絶妙でした。
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by sweetmitsuki | 2013-02-09 21:06 | 古代史でポン | Trackback | Comments(2)

ヘビーローテーション

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プランターのイチゴが花を咲かせていました。
こんな小さな躯体なのに、雪が降っても、寒い日が続いても、春が来ることがわかるんですね。
「寒くなったら藁を敷いてあげましょう。」と本に書いてあったのに、忘れててゴメン。
去年の夏、水やりをサボって仲間を全部枯らしてしまってゴメン。
何もしてやれなかったのに、咲いてくれてアリガトウ。
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他のプランターも、順調に萌芽し始めています。
毎年、この花の芽を他の野草と間違えて食べて中毒を起こす人がニュースで報道されてますけど、素人が分別の難しい野草を採るのはとても危険ですので注意しましょう。
冬に地上部が完全に消失する草花は、本当に甦るのかその日が来るまで不安ですが、大地のエネルギーと太陽と水の恵みさえあればちゃんと春には芽を出すのです。
そういえば今日は節分ですね。
コンビニの恵方巻きは、もう何日も前から店頭に置いてあるので気づきませんでした。
人間が気付かないことを小さな躯体の花が気付くから凄いです。
豆を買いに行ったら売り切れていたので殻つきのピーナッツを代わりに買ってきました。
これだと撒いた後拾うのが楽だし、土がついても殻を剥けば食べられるから便利です。
恵方巻きも売り切れていたのでバームクーヘンを買ってきました。
これも巻いてあれば何でもいいみたいです。
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by sweetmitsuki | 2013-02-03 21:13 | 金魚鉢の中の宇宙 | Trackback | Comments(4)

花の命はけっこう長い

e0078674_11113715.jpgバッケ味噌と聞いて何のことだかわからなかったので調べてみたら蕗の薹味噌のことでした。
東北をはじめ多くの地域では蕗の薹のことをバッケと呼ぶそうで、間違えちゃいけないのは蕗ぜんぶをそう呼ぶのではなく蕗の薹だけをバッケと呼ぶらしいのです。
スギナの花(?)をツクシと呼ぶのと一緒ですね。
バッケも不思議な言葉ですが、蕗の薹という言葉も、よく考えてみれば不思議です。
薹という漢字でまず思い出すのは「邪馬台国の台の字は当て字で、本当は邪馬薹国と書く。」ということですがそれはさておいといて、薹の字が使われる言葉で思い浮かぶのは「蕗の薹」と「薹が立つ」が圧倒的なんじゃないでしょうか。
「蕗の薹」と「薹が立つ」の薹は、言葉の意味は同じなんですけど中身はぜんぜん違います。
「薹が立つ」とは、旬が過ぎて美味しくなくなってしまったことを指す言葉ですが、蕗の薹は薹が立った頃がいちばん美味しいのです。
話がややこしくなってきたので整理しましょう。
薹とは花茎のことで、草木は花を咲かせるために生きているのですから当然、花茎にいちばんエネルギーが集まっています。
ところが、ダイコンやハクサイなど人間が根っこや葉っぱを利用するために作られた野菜は人間の都合のいいように花茎よりもそっちのほうにエネルギーがいくように矯正されてしまっているのです。
しかし所詮は自然の生き物なので花茎が伸びてくる時期になると本能の力が勝り、花茎にエネルギーが集まって根っこや葉っぱには届かなくなるので不味くなってしまうのです。
つまり、薹が立って盛りを過ぎて勢いがなくなったとかいってるのは手間のかかる温室育ちの話で、野生育ちは薹が立ってからこそが本領を発揮するときなのです。

話は元に戻りまして蕗の薹のことをバッケっていいますけど、どうしてバッケっていうかご存知でしょうか。
調べてみると
○蕗の薹は花のようで つぼみのようでもあるので半開(ハンゲ)の訛り
○早春にポックリ 芽を出し開花するので ポックリの訛り 
○花が盤状に開くことから、盤開(バンゲ)の訛り 
○アイヌ語 makayo の訛り

といった内容が多くのネットで書かれていて、他にも蕗のお化けだからとか崖のことを東北や関東の言葉でバッケといい蕗の薹はそのような場所によく生えるからとか少数意見もたくさんあって興味深いのですが、どれも間違いです。
蕗の薹はタンポポによく似た綿毛のような種が実り、その姿がお婆ちゃんの白髪頭を連想させるので婆毛(バッケ)というのが正解です。
その頃になると蕗の薹は風に載せて遠くまで種を飛ばすためにさらに背を伸ばし、薹を立たせます。
伸びた蕗の薹は葉や花を取り除いて茎の部分を軽く灰汁抜きしたものを煮浸しや油炒めにしても美味しく、蕗の葉柄よりも柔らかく食べられます。
蕗の薹を他の野菜と一緒にして、花が咲いて薹が立ってしまったからもう食べられないと勘違いしてしまうのはもったいないです。
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さて、収穫した蕗の薹は美味しくいただきましょう。
まずは天ぷら。
普通に揚げるよりも、蕾を開いて花が咲いたように細工したほうが、食べやすいですし見た目もキレイです。
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みじん切りにして、味噌と一緒に炒めて蕗の薹味噌に。
アツアツのご飯と一緒に食べても美味しいのですが、湯豆腐に乗っけても美味しいです。
過ぎ行く冬と訪れる春の両方がこの一皿で楽しめます。
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by sweetmitsuki | 2013-02-02 12:28 | 原始人ごっこ | Trackback | Comments(2)