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夏休みは戦争

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学生の皆さんは、これから楽しい夏休みですが、私ら鍛冶屋は、これからが戦争です。
戦後の高度成長期に建てられた構造物は老朽化が激しく、有事に対応できないので、公立の学校は子供たちが夏休みで不在の間、防災を名目に天下り官僚とゼネコンが国家予算を蚕食するため大規模災害が発生したときには救援活動の拠点となるべく、耐震補強工事を施さなければならないのです。
真夏のコンクリート構造物の屋根裏は只でさえ暑いのに、そこで閃光と火焔と熔鉄を扱うのですから、暑くて堪りません。
水分とミネラルとビタミンをたっぷり摂って、明日も戦争です。
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by sweetmitsuki | 2013-07-26 03:01 | リアルなエブリデイ | Trackback | Comments(4)

本当は怖いんだか怖くないんだかよくわかんないこけし

e0078674_2481342.jpg都市伝説に、「本当は怖いこけし」というのがあって、もともとこけしは「子消し」からきていて、江戸時代の貧しいお百姓さんの村では、経済的な理由から子供を育てられず、生まれたばかりの赤ん坊を、そのままタライに沈めて殺してしまうことが頻繁にあり、こけしは本来そうやって殺された子供を供養するために作られたものなのだそうです。
この説は東大教授の養老孟司氏が、自著「死の壁」でも取り上げていて、東大の先生がいってることなんだから間違いないだろうと思っていましたら、実はこれもウソだという意見があるのです。
江戸時代になって戦争がなくなり、世の中が豊かになってくると、人びとは贅沢になって、高級品を欲しがったり、美味しいものを食べたがったり、遠くへ物見遊山に出掛けたりするようになります。
江戸時代の日本は、現在の中国と同じで、お百姓さんは生まれた土地を離れてはいけなかったのですが、温泉治療といって申し出れば、お上から許可が下りたのです。
こけしはエッチな形をしてるといわれてますが、これは偶然ではなく、もともとこけしは人形ではなく快癒器だったそうなのです。
湯治に出かけ、風光明媚な景勝地を楽しんだなら、その晩は按摩さんを呼んで更に癒されたいというのが人情ですが、そこまでお金に余裕のない人は、木の丸い玉に棒をつけた「ツボ押し器」を使って自分で自分を癒したのだそうです。
ある宿屋の主人が、この「ツボ押し器」に目鼻を書いて売り出したところ大ブレイク。
誰も彼もが土産物として買い求めるようになり、これがこけしの始まりで、こけしは「凝り消し」が訛ったものなのだそうです。
どちらが正しいのかはわかりません。
ただ「本当は怖い説」が正しいなら、江戸時代とは貧しい陰惨な時代ということになります。
「本当は怖くない説」が正しいなら、江戸時代は明るい楽しい時代だったということになります。
手懸かりとなるのは、こけしはすべて木でできていて、陶器のものや、金属製のものはないということ。
これが雛人形なら、紙でできていようと、卵の殻でできていようと、お雛さまであることに変わりはありません。
そして、こけしは「ろくろ」という、木のお椀やお盆を作るために使う特殊な機械で削ったものだけをこけしと呼び、手彫りのこけしというのはありません。
つまり、他の人形なら、お金がなければ自分で作って済ませることができるのですが、こけしだけは、自分がろくろ職人でない限り自作は不可能で、欲しければお金を出して買わなければなりません。
e0078674_4373694.jpg実はこけしとは、貨幣経済と密接なつながりがあったのです。
貨幣経済というキーワードを通して考えると「温泉に物見遊山に出かけ、お土産を買って帰る」ことと「生まれたばかりの赤ん坊を殺す」ということは、表裏一体の関係にあるということになるのではないでしょうか。
お弁当を持たずに、長距離を移動するというのは、貨幣経済が発達してなければ不可能なことです。
山奥で、猿や鹿や猪を相手にお金を渡しても、彼らは決して食べ物をくれたりはしません。
一方で、お金がないから愛しい我が子を自ら手にかけるというのも、貨幣経済に支配されてるからで、狩猟採取生活が中心だった縄文人は、そのようには考えなかったと思います。
こけしの由来が結局のところどうなのかはわかりません。
ただ、こけしが貨幣経済の発達に伴い普及していったのは間違いのないことです。
お金は人を幸せにもすれば不幸にもするものです。
私たち現代人は、貨幣経済に頼りすぎてるんじゃないでしょうか。
もっと、お金に左右されない、別の生き方があってもいいんじゃないでしょうか。
こけしの都市伝説は、そんなことをいいたかったんじゃないのでしょうか。
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by sweetmitsuki | 2013-07-18 03:59 | おどろけー | Trackback | Comments(2)

ちはやふる

大好きな古代遺跡を見て廻りたいし、書きたいこともたくさんあるのですが、ちょっと心が折れちゃってて書けません。
落語の演目に、「千早振る」って演目があるのをご存知でしょうか。
小倉百人一首の在原業平の歌の
ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは
とはどんな意味なのか、子供に聞かれて答えられなかった八っつあんが、ご隠居のところに聞きに行き、実はご隠居も歌の意味を知らなくて、デタラメなことをいう笑い話です。
では、この意味の本当の意味は何なんでしょう。
一般には、竜田川の紅葉の美しさを讃えた歌だといわれていますけど、本当にそうでしょうか。
辞書を引くと、「千早振る」とは、勢いが激しい、荒々しいという意味だそうです。
ですから、「千早振る神代」とは、神々が世界を跋扈し、不思議な現象が日常的に発生していたと考えられていた時代のことなんですが、古代史的に考えると、中央政権がまだ定まっておらず、群雄割拠して戦争に明け暮れていた時代、と、いうように考えられるんじゃないのでしょうか。
唐紅(からくれなゐ)とは 美しい深紅色のことで、「大陸渡来の紅」という意味です。
古代、染色方法など、大陸から日本へは優れた技術がもたらされましたが、同時に兵法や武器など、戦争に必要な技術も入ってきました。
竜田川を大陸渡来の紅色に染め上げたのが紅葉だとは、実はこの歌にはどこにも書いてないのです。
平安時代というと、雅やかな宮廷文化が花咲いた平和な時代というイメージがありますが、実は貴族たちが雇った私兵による争いが絶えず、都市部でさえ物騒なことが日常茶飯事的に起きていました。
竜田川を真っ赤に染めたのは、もしかしたら、そうした戦争の犠牲になった人たちが流した血ではないのでしょうか。
在原業平は、紅葉の美しさを讃えるためにこの歌を詠んだのではなく、抗争の醜さを伝えるためにこの歌を詠んだのではないのでしょうか。
・・・すいません。全部ウソです。
在原業平は、実際に竜田川に行ったわけではなく、屏風絵を見て歌を詠んだのでした。
歴史というのは、所詮はみんなが忘れ去ってしまった時代のことなので、ウソを書こうと思えばいくらでも書けるのです。
これが百人一首の意味ならば、ウソを書いても笑い話で済みますが、大概の場合、そうでないのがほとんどです。
そして、ウソを書いているという自覚があればいいのですが、人間とは自分に都合のいいように真実を無自覚に作り替えてしまう生き物で、そういう意味では私自身もそうじゃないと言い切れる自信がありません。
と、いうようなことをグダグダ考えていたので、この連休はどこへも行かず、家でゴロゴロしてました。
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by sweetmitsuki | 2013-07-15 17:50 | ぬくぬく引きこもり記 | Trackback | Comments(4)

収穫の日の朝

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ベランダで育てた苗で買ってきたミニトマト(タキイ種苗・千果)の収穫は、正直な話イマイチだったのですが、種から育て、途中で失敗したと思って栽培を放棄して地面に植えたミニトマト(タキイ種苗・小桃)は豊作で、画像の通り、売ってるものとさほど遜色のない実がなりました。
苗は、たしかひと鉢150円ぐらいだったのですが、種はひと袋200円ぐらいで、植えきれないくらいたくさん入っていたので、種から育てたほうが全然安上がりでした。
地面に植えた段階で見放してしまったので、芽かきとかしてないので、枝がぐちゃぐちゃに伸びてしまっているのですが、それは味とは関係ないみたいです。
やっぱしプランター栽培は、露地栽培にはかなわないのでしょう。
ベランダ栽培推奨者としては、ちょっと悔しい気もしますが、そこは素直に認めなければなりません。
そして、途中で見捨てたとはいえ、私が植えたトマトなので、私が頂戴いたします。
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四半分に切ったベーコンがやっと巻けるぐらいに大きく育ったトマト、市販のものとは味の濃さが違います。
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by sweetmitsuki | 2013-07-15 11:35 | 金魚鉢の中の宇宙 | Trackback | Comments(2)

小さな菜園の中の小さな菜園

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ふつう、ドールハウスというものは、仕切られた空間の中に作られた世界を表わすのですが、このアトリウムは四方を透明なアクリルで覆ってしまったため、現実の部屋の中にある窓枠とか棚とか、そういう本来は見せたくないものまで写り込んでしまいます。
このことは、ある程度まで想定していまして、それらを隠すための生け垣を、作成当初の春から栽培していました。
後ろに写っている蔦みたいなのは、作り物ではなくシンバラリアという本物の植物です。
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上から見るとこうなっておりまして、ヘゴ板という天然繊維でできたプレートの上に実際に根を下ろしていて、100均ショップで買ったB4サイズのファイルを入れる平ケースの中で栽培してます。
最初はこのプレートを、立てて使う予定でいたのですが、このように垂れてくるのもいいと思い、しばらくはこのままで様子を見ようと思います。
小さな鉢物でいちばん気を使うのは水やりで、何しろ鉢が小さいと、すぐに水分がなくなってしまいます。
かといって、水をやりすぎると根が呼吸できなくなって死んでしまい、一度死んでしまったら、もうどんなことをしても生き返らないのは人間と同じです。
このシンバラリアは、水分をたっぷし与えておけば、風通しの悪さにはあんまし文句を言わないようなので、わが家の環境にはそれなりに適応してくれたようなのでした。
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小さいながらも一年中花を咲かせてくれるカワイイ奴なのです。
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by sweetmitsuki | 2013-07-14 13:01 | 金魚鉢の中の宇宙 | Trackback | Comments(4)

古事記に封印された神話

e0078674_3174424.jpg古事記が単なる神話や伝説ではなく、実際に起きた歴史を反映しているというのなら、高天原から降臨した神々は朝鮮半島からやってきた人びとということで、ヤマト政権は彼らによる征服王朝ということになります。
私はその意見に、反対ではないのですが、古事記だけを読んで、そう判断してしまうのはちょっと乱暴だと思うのです。
たとえば、古事記には九州で起きたことや、奈良で起きたことが克明に記されていますけど、その中間の瀬戸内海沿岸で起きたことはほとんど何も書いてありません。
それは何故でしょうか。
古事記に記されてない、瀬戸内では、どんな神話が伝えられてるのか、読んでみましょう。
たたらをふむ女神カナヤゴ
新日本出版社 刊
山口節子 作

遠い、昔のことです。播磨の国(現在の兵庫県)の山あいの小さな村で、稲を刈る幼い姉弟たちがおりました。
小さな手で、稲の穂先を握り、石の包丁で刈るのですが、子供の力では思うように刈れません。
「ねえちゃん、もう、手が痛くて、働けないよー。」
弟は、とうとう、泣き出してしまいました。
すると、真っ白な衣装を身に纏った、きりりと美しい姿の女神さまが現れ、こう、おっしゃいました。
「私はカナヤゴと申す、製鉄の神です。あなた方は、どうして、子供たちだけで、仕事をしているのですか。」
姉は、ふるえる声で、答えました。父が事故で亡くなり、母は働き過ぎて、病気になってしまったこと。
「安心なさい。すぐに、稲の刈取りが終わるよう、よい道具を、あげましょう。」
聞き終わったカナヤゴは、姉弟たちが今までに見たこともない、ふしぎな色に輝く道具を、ポケットから取り出しました。
「はい、鉄の鎌ー。」
カナヤゴの手ほどきで、姉弟たちが鎌を使うと、その、切れること切れること、あっという間に田んぼの稲は籠の中に納まってしまいまいた。
周りの田んぼで作業をしていた大人たちは、驚いて、集まってきました。
いままで、姉弟たちが難儀をしているのは、知ってはいましたが、自分たちもへとへとで、どうすることもできなかったのです。
「カナヤゴさま、わしらにも、その、鎌をくだされ。」
「残念ですが、もう、鎌はありません。そのかわり、鉄の作り方を教えてあげましょう。」
カナヤゴは、そう、いうと村の者たちに、村の神さまを祀る聖地に案内するよういいました。
「カナヤゴさま、ここが、わしらの神さまがおられる、大切な、場所です。」
そこは小さな滝の流れる岩山でした。
「なんて清らかなところでしょう。さあ、みんなで神さまにお願いをしましょう。」
「山の神さまー、山の木を、少々めぐんでくださいませー、切った数だけ苗木を植えて、お返しします。必ず、約束します。」
「約束します。」
次に、崖の斜面の、土が露わになっているところへ行きました。
「大地の神さまー、鉄となる、砂鉄の眠る、あなたの土をめぐんでくださいませー、決して、無駄に採りすぎたりは、いたしません。約束します。」
「約束します。」
それから、川へ行き、同じように、お願い事をいいました。
「川の神さまー、砂鉄を洗うのに川の水を、使わしてくださいませー、魚たちに迷惑はかけません。約束します。」
「約束します。」
こうして、カナヤゴと村人たちは山の神さま、森の神さま、大地の神さま、川の神さま、水の神さまたちにお願いをし、深々と頭を下げました。
「よいぞー。」
確かに、その声は、そこにいる村人全員に聞こえました。
カナヤゴは、切れ長の目を細め、にっこり笑っていいました。
「神さまの、お許しが出ました。さあ、鉄づくりにかかりましょう。」
鉄づくりは、とても大変な、難しい仕事でしたが、カナヤゴの指導で村人たちは鉄を作るたたらを作り、三日三晩火を燃やし続け、真っ黒な鉄の塊を作ることができました。
鉄を鍛えて、鎌のほかにも、鋤とか、鍬とか田作りに必要な道具を、たくさん作りました。
おかげで、村人たちの暮らしは、ずっと豊かになりました。
ある日のこと、大きな、荷を背負った男が村にやってきました。
荷を広げると、そこには、翡翠とか、珊瑚とか、毛皮とか、大変な宝物が、山のように詰まっていました。
「これで、鉄の刀を百本作ってくれ。」
「そんなものを、そんなにたくさん、何に使うおつもりなのでしょうか。」
「いくさじゃ、いくさには、よく切れる、鉄の刀が、要る。」
村長が、宝物では、いうことを聞きそうにないようなので、男は、黒く光る尖った石でできた槍を、村長の胸元に突き付けて脅しました。
村長は、恐ろしくて震えそうになりましたが、カナヤゴの言葉を思い出し、しっかりとした声で言いました。
「私たちのたたらでは、いくさなど、そんな恐ろしいことに使う道具は作れません。神さまたちの約束があります。山の木はこれ以上切れません。山の土はこれ以上削れません。川の水はこれ以上汚せません。どうぞ、お帰りになってください。そして、もう二度と来ないでください。」

さあ、鉄づくりの村は、どうなってしまうのでしょうか。
続きはコチラ


e0078674_5251968.jpg毛沢東の大躍進政策で知るように、鉄は意外なほど簡単な溶鉱炉で作れるので、古代に、山あいの小さな村で鉄が作れたとしても、さほど不思議な話ではありません。ただ、鉄づくりには熟練による技術が必要で、優れた指導者がいなければ、まともな鉄は作れないというのも、大躍進政策で知った通りです。
この神話に登場する、カナヤゴという神さまは、実は古事記には出てきません。
それでも、瀬戸内の村には今でも、カナヤゴを祀る神社がたくさんあります。
朝鮮半島からやってきて、九州を平定し、奈良をも平定した集団は、この神話を伝える、瀬戸内の人びとを支配下に置くことはできなかったのでしょう。
だから古事記には瀬戸内海について曖昧なことしか書いてないのですし、カナヤゴという神も古事記には出てこないのです。
現在、皇室の最も重要な行事に植樹祭がありますが、これは多分、瀬戸内の神事を真似たのでしょう。
「どんなにきれいごとを並べたところで、戦争の強い集団にはかなわない。世界を制するのは戦争の強い集団だ。」
私は、このような考えを全否定します。
そのような集団は一時的に広大な土地や人を支配することはできるでしょう。
ですが膨大な軍事費が経済を圧迫し、自分で自分の首を絞めて自滅の道を辿るのは、洋の東西、古今を問わず、歴史が証明済みです。
世界に繁栄をもたらし誇りある歴史を築けるのは、科学技術を人びとの役に立つことに使い、平和憲法を守り、自然と調和した文明を持つ集団なのです。
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by sweetmitsuki | 2013-07-05 04:46 | 古代史でポン | Trackback | Comments(2)

継ぎ接ぎ狂ったマトリョシカ

e0078674_22302841.jpg「古事記」をまったく読んだことがない人ならば、アマテラスは皇租神なのだから、大和撫子の鑑のような女性に違いないと思うでしょう。
ところが、古事記に登場するアマテラスは、男勝りの女傑で、そればかりでなくストリップに興味を示すなど、女性としてはおかしい記述があるのです。
そのため、アマテラスは元々男神だったのが何らかの政治的理由で女神に書き換えられたのだという説もあるくらいですが、私としては、アマテラスほど女性らしい魅力にあふれた神さまは他にいないと思います。

アマテラスが引き篭もっていると、天の岩屋の前に高天原の全ての神様が集まり、そこにあでやかでお色気たっぷりの天宇受売(あめのうずめ)がダンスを始めました。
天宇受売はノリノリになってきて、おっぱい丸出し、とうとうパンツまで脱いじゃって、ストリップショーを始めちゃいました。
これにはみんな、やんややんやの大騒ぎ。
すると岩屋に隠れていたアマテラス 「なんでアタシが隠れてるってのに、外はこんなに賑やかなのよ!おかしいじゃない!」
外に向かって「なんでアタシがいないのにみんな笑ってるのよ!」と聞きました。
すると皆が「だってアマテラス様よりすばらしい神様がここにいるんだもん。だから皆で喜んで楽しくしてるのですよ」と言いました。
イラッときたアマテラスは思わずそーっと覗き込みました。
するとそこには神様たちがあらかじめ用意しておいた鏡が置いてあり、アマテラスはその鏡に映った自分の姿をみて「まぁ!ほんとだわ!なんて神々しいのかしら!」とビックリ。
この時、横に隠れていた力持ちの天手力男(たぢからお)が、さっとアマテラスの手を掴み外に出したのです。
そして別の神様がこの岩屋を閉め二度とこの中に入れないようにしちゃいました
こうしてアマテラスは外に出ることとなり、またも世の中は明るく照らされることになったのです


ふつう、鏡に映った自分を、別人と見間違うことはまずないと思いますけど、そのドジっぷりがアマテラスの可愛らしさであり、皇租神たる由縁なのではないのでしょうか。
そもそも、どうしてアマテラスは皇租神なのでしょうか。
アマテラスはイザナギとイザナミが喧嘩別れした後にできた子供で、カミムスビのような天地創造にまつわる神さまではありません。
例えていうなら、勉強ができて礼儀正しい学級委員のような存在で、学校の先生ではないのです。
アマテラスの内面には、ちょうどロシア土産のマトリヨシカのように、「栄えある大役を任されて喜んでいるポジティブな自分」と、「面倒なことを押し付けられて嫌がっているネガティブな自分」という、正反対の人格が、幾重にも折り重なって混在していたのではないでしょうか。
その優等生が、弟の非行がきっかけで自信を失い、不登校を続けるようになってしまいました。
クラスメイトの神々は、なんとかアマテラスが戻ってきてくれるよう話し合うのですが、プライドの高いアマテラスが、ふつうに励ましただけでは聞く耳を持ってはくれないだろうと思っていました。
そこで、ひと芝居うつことにしたのです。
まず、鏡に映ったアマテラス自身を、別の神さまだと思わせること。
そして、その神さまをアマテラスよりもすばらしい神さまであるかのように振る舞うこと。
そして最後に、その神さまが他の誰でもなく、鏡に映った自分自身なのだと教えてあげること。
こんなにも手の込んだことを、高天原の神さまは企画演出しているのです。
そうして、アマテラス自身にアマテラスの素の姿を客観視してもらう意外に、アマテラスがプライドを取り戻し、高天原を統べる神である自信を回復させる方法がないことを、心優しい思いやりのある八百万の神々は、最初から知っていたのでしょう。
キリスト教圏では、神さまと人間の間には絶対的な上下関係がありますけど、日本では世界観が異なり、神さまと人間は、共に学び、励ましあい、喜びを分かち合い、時には喧嘩もする、クラスメイトのような関係なのです。
そのように解釈するのなら、なるほど、古事記はやっぱし日本の神話だし、アマテラスはカミムスビのような天地創造にまつわる神よりも、皇租神として相応しいのではないかと思ってしまいます。
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by sweetmitsuki | 2013-07-02 23:23 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)




手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
by sweetmitsuki
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