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誤解してる人のための縄文講座

e0078674_2055257.jpg縄文時代のことをまったく知らない人でも、火焔土器と遮光器土偶は教科書に載ってる写真で見たことがあると思います。
ですが火焔土器と遮光器土偶はあまりにも有名なために、逆に縄文時代について多くの人に誤ったイメージを与えてしまっているのではないのでしょうか。
まず、縄文人は火焔土器を使って煮炊きをしていたという誤解。
確かに、教科書に書いてある「縄文土器は世界最古の土器である。」という文章と火焔土器の写真しか見せられなければ、誰でもそう考えるのが普通でしょう。
ですが火焔土器は呪具であって実用品ではありません。
あのゴチャゴチャした形は、どう考えても炊事には向かず、本当は煮炊きにはもっとちゃんとした形の土器を使っていたのですが、教科書にはそうは書いてないのですから仕方ありません。
それに、縄文人のすべてが火焔土器を使っていたのではなく、新潟県などの限られた地域でしか発見されていなくて、縄文時代に格差という言葉を使うのを訝しがる人もいるとは思いますが、火焔土器は一部の限られた人しか持つことの出来ないものであったようです。
そして、遮光器土偶ですが、土偶は土器と違って実用品でないことが一目瞭然なので誤解も少ないのでしょうけど、用途がわからないぶん別の意味で誤解している人も多いのではないのでしょうか。
遮光器土偶も、青森県などの一部の地域でしか見つかっていなくて、すべての縄文人が持っていたわけではありません。
そして、青森県木造駅の遮光器土偶のレプリカが有名なので、土偶は巨大なものだと勘違いしてしまいそうですが、ほとんどの土偶は、わずか10センチ程度の、手の平に隠れてしまうくらいの小さなものです。
国宝に指定されている縄文のビーナスなど、本当に土偶を見たことのある人は、土偶はもっと大きいと思うかも知れませんが、あれは例外的に大きなもので、ここでも格差という言葉を使わなくてはいけないのですが、縄文時代にも大きな土偶を持っている人と小さな土偶しか持てない人がいたのです。
土偶はたいていが裸ですが、縄文人が裸族だったわけでも裸婦信仰があったわけでもなく、裸のまま使っていたのではなくて上から衣装を着せていたのではないのでしょうか。
海外から入ってきた宗教では、仏像などのように衣装と躯体は一緒に作られているものなのですが、日本に古くからある神さまの像は、衣装が別に作られていて、人間と同じように夏は涼しいように薄着に、冬は暖かいように厚着に着せ替えるのが普通なのです。
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海外で暮らす人なら、万能である神が暑がったり寒がったりするはずがないと思うのでしょうけど、縄文人はそうは思わなかったのでしょうね。
そしてそれは縄文人だけではなく、現代で暮らす日本人も同じで、街のいたる所に建てられているお地蔵さまやお稲荷さま、そして天神さまのお使いである牛、庚申さまのお使いである猿も、やっぱし人間と同じものを着ているのです。
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誰が何の目的で、どうしてお地蔵さまやお稲荷さまの衣装を着せ替えるのかはわかりません。
それにあれにはちゃんとした作法があるというわけではないらしく、どの像を見ても着せ替えている人のセンスなのでしょうか、微妙に違います。
多くの人は、縄文人と現代人はまったく考え方が違うと考えているようですが、あんがい大した違いはないのかも知れません。
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by sweetmitsuki | 2014-10-19 21:28 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)

北向地蔵の怪異

e0078674_1524188.jpg街を歩いていると、道端にお地蔵さまが建っていて、いつも新しい花が添えられ、鮮やかな赤い頭巾と前掛けが着せ付けられているのをご覧になったことはないでしょうか。
あれはいったい誰がどういう経緯でそういうことをするのでしょう。
お地蔵さまなのだから、仏教にまつわる信仰だと思っていたら、どうやら間違いのようで、よく見るとお稲荷さまだとか庚申さま、道祖神など、仏教とは関係のない神さまにも同じように赤い前掛けが着せ付けられていますし、だいたい、他所の仏教国でそんなことをしているのは見たことありませんから、あれは日本だけの習俗のようです。
お地蔵さまは百あれば百の物語があるもので一概にはいえませんけども、西東京市にある西浦地蔵尊は、大山街道沿いにあった田無宿から遊女が北へ向かって逃げ、このあたりで捕らえられて折檻されたり、首を縊ったりしたので供養のため建立したとの伝承があり、俗に「北向地蔵」と呼ばれています。(お地蔵さまは南を向いているのが普通なのです。)
講中は現在まで継承されており、同時に大山講をも兼ねていることから、毎年七月二十四日盆の縁日に盆山と呼ばれる大山詣に代参人を送っているそうです。
落語に「大山詣り」という演目があり、「こはい者なし藤沢へ出ると買ひ」などと歌われているように、参拝というのは表向きで、本来は男たちの羽目を外しての楽しみであって、女人禁制とした男だけの大山講になっているのですが、実はこの逆パターン、つまり男子禁制で女だけの大山講も多くあったというのをご存知でしょうか。
江戸時代、大山は女人禁制だったので頂上まではいけなかったのですが、その麓には大山阿夫利神社の祭神である大山祇命(おおやまつみのみこと)の娘神、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀る神社があり、この神様は何といっても神武天皇の曾祖母なのですから、安産とか子宝成就にとてもご利益があったのです。
それに、この辺りには温泉も多く湧いていますから、神様の力にすがるだけではなくて湯治のために訪れる女性も多かったのでしょう。
それと、ちょっと生臭い話になってしまいますけど、不妊の原因は男性側にある場合が多いらしく、昔の人はそれを知っていて、温泉治療よりも神頼みよりももっと即効性のあることをして子宝を授かっていたらしいのです。
そういうことは、公然と行えるものではありませんから、だからこそ秘密を守るための男子禁制だったのです。
昔、女の人は跡取りが産めないと家から離縁されてしまうことも多かったそうですから、そういうこともあったのでしょう。
日本人の、帳尻が合いさえすれば過程には目をつむる、真相は知っていても家族も近所も敢えて取り沙汰そうとはせず口を閉ざす、そういった理屈を嫌い暗黙の了承を好む気質は欠点でもあれば美点でもあったのです。
信仰があったから街道が生まれ、宿場ができて遊郭がつくられ、苦界に落ちた遊女が惨い最期を遂げ、新しい信仰が生まれる。
なんとも切ない話です。
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by sweetmitsuki | 2014-10-06 15:17 | おどろけー | Trackback | Comments(2)




手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
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