mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
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国分寺で聞いてみました。

e0078674_6145366.jpg今まで見てきたのは『鎌倉街道と呼ばれている中世には既にあったとされる古道』であって、『鎌倉幕府が国家事業として建設した軍用道路』かどうかはわかんないのよね。
国分寺にある鎌倉街道はわずか100mで街道としての役割は既に終わっちゃってるんだけど、切り通しといって山を掘り崩して人工的に平にしてあり、人が手を掛けて作った事に間違いは無く、国分寺市指定史蹟にもなってるので当時の土木技術の様子を聞けると思い、国分寺市役所に問い合わせてみたんだけど、「国分寺市内に2つある伝鎌倉街道の建設に鎌倉幕府が関与した証拠となるものは一切見つかっておらず、そのため、伝鎌倉街道と呼んでいます。」との回答。
e0078674_6295547.jpg不思議なのは、奈良時代に既に東山道(現在の府中街道)が通っていたにもかかわらず、わざわざその100m足らずの脇へ、切り通しを掘ってまで道を作り直してること。
東山道より蛇行していて狭いのは、軍事目的でわざとそのようにしたのではないかと考えられているそうです。
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# by sweetmitsuki | 2005-09-28 06:36 | 史蹟で歴史のお勉強 | Comments(0)

謎の中の道

e0078674_20385535.jpg東京都内を走る鎌倉通りは、上州から府中を通り化粧坂に入る『上ノ道』下総から柴崎を通って朝比奈口に入る『下ノ道』が有名ですが、もうひとつ奥州から巨福呂坂に入る『中ノ道』があるんだそうです。
今となってはどこをどう通ってたんだか分からないのですが。
東京都板橋区仲町46-3に轡神社という小さな社があります。板橋区教育委員会の掲げた説明書きによると、「社前の道路は俗に鎌倉街道といわれた古道」とあります。
地元で古くから商店を営んでいるお年寄りに聞いてまわったんですが、そんな事を知ってる人は一人もいませんでした。
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# by sweetmitsuki | 2005-09-25 20:57 | 史蹟で歴史のお勉強 | Comments(0)

鎌倉通りが鎌倉に通じてないわけ

e0078674_0424785.jpg『いざ鎌倉』の掛け声を聞くと、杉並在住の御家人達は、まず府中に集まって作戦を練り、それから鎌倉に出陣したのだそうです。
杉並区教育委員会の出版による『杉並の古道』にそのようなことが書かれています。
ですから、鎌倉通りは直接鎌倉に行く道ではなく、府中へ行く道なんだそうです。
太子堂の説明書きにも「太子堂と若林の村境を通って八幡神社の西側から滝坂道を横切り下北沢と代田の境を通って鎌倉に通じる道」って書いてあり、
「方角、逆じゃん」
っって思ってたんですが、そういうことだったんですね。
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# by sweetmitsuki | 2005-09-25 00:45 | 史蹟で歴史のお勉強 | Comments(0)

おんなじ名前の違う道

e0078674_1447761.jpg井の頭通りから小田急線下北沢駅へ向かう道を鎌倉通りといいます。
環七と甲州街道の向こうにある京王線浜田山駅に向かう道もやはり鎌倉通りと呼ばれていて、私はつい最近までこの道を同じ道だと思っていました。
同じ道を横切る違う道なのに名前が同じなんて、ずいぶん紛らわしいですよね。
井の頭通りから北沢中前の信号を南へ行き、下北沢駅を通り過ぎると、鎌倉橋に差し掛かります。e0078674_1448037.jpg
以前は暗渠でしたが今は北沢川が復活し、せせらぎが楽しめます。桜並木も続いていて、さぞかし春はキレイなことでしょう。
更に南へ進むと太子堂と呼ばれる八幡宮があり、源氏の氏神である八幡様が祀られています。ここから鎌倉へ行く道が鎌倉街道だと境内に説明が添えられていました。このブログ始めて初めて説明書きというものを発見したのでなんだか感激です。
いったん井の頭通りまで戻り、西へ進みます。e0078674_1571097.jpg
浜田山三の信号を南へ曲がるとまたしても鎌倉通りです。何度もいうように、ぜんぜん違う道ですが。
e0078674_1583521.jpg浜田山駅と通り過ぎると、やっぱり鎌倉橋があり、橋を渡って左の狭い路地を進むと、同じように八幡宮があります。
ただ、この八幡宮は大田道灌の建立とあり、ちょっと時代が違います。
杉並区教育委員会が発行している『杉並の古道』にも「古い記録にはみられず、江戸時代ごろからの名称ではあるまいか」とあります。どっちにしろ、両方とも本来八幡宮から鎌倉まであったはずの鎌倉街道が今はなく、井の頭通りに続く、もともと無かったほうの道が残ってるというのが面白いです。
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# by sweetmitsuki | 2005-09-23 15:36 | 史蹟で歴史のお勉強 | Comments(0)

弁慶の筆洗い井戸

旧甲州街道沿いに、弁慶が写経をする際に、水を汲んだとされる井戸が幾つかあります。
史実からいえば、源平合戦の後すぐ追われる身となった弁慶が、関東の寺でそんな悠長なことやってる暇なんて無かったんじゃないかと思うのですが。
甲州街道を西へ向かうと、つつじヶ丘駅の手前の歩道橋脇に小さな参道があり、その突き当りに厳島神社があります。
e0078674_1619237.jpg手水鉢を見るとなるほど源氏の紋が。
鳥居をくぐってすぐ右にありました。井戸というよりは泉です。以前腰越の満福寺で見た義経手洗いの井戸に似てるといえば似ています。e0078674_16251787.jpgただ、説明書きのような物は一切ありません。そして御覧のように水もありません。管理人の話ですと、ずいぶん前に枯れてしまったのだそうです。事前に調べておいた情報によると写経をしたのは弁慶ではなく源平の合戦で義経に仕えた金子という武士ではないかということらしいのですが、最近中学生の悪戯によるボヤ騒ぎがあったとかでピリピリしており、とても話を聞ける雰囲気ではありませんでした。
気を取り直して甲州街道を更に西へ行くと高安寺があります。e0078674_1741535.jpg観光ガイドにも乗っている有名なお寺です。寺紋は源氏ではなく足利氏のものでした。ここでは弁慶硯の井と呼ばれていて普通に井戸です。高安寺もの語りの栞というパンフレットの中に詳しいことが書かれていて、弁慶にしてみれば合戦の一番の功労者が実の兄に殺されるとは思ってもいませんでしたでしょうから写経をすれば許してもらえるとこの時は考えたのかもしれません。e0078674_17154389.jpg
多摩川を渡ってよみうりランドの近くにある寿福寺にも弁慶の筆洗い井戸があります。
あいにく住職が不在で話を聞くことは出来ませんでしたがお参りに来ていた人の話ですとやはり腰越から京へ向かう途中しばらく滞在して赦免祈願の写経をしたという言い伝えが残っているそうです。ここにも説明書きのような物は一切ありませんでしたが、山門を入ってすぐ左にある池がたぶんそうだと思います。ここの寺紋もやはり源氏のものでした。
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# by sweetmitsuki | 2005-09-21 17:37 | 史蹟で歴史のお勉強 | Comments(2)

かまくら道、走破!

e0078674_8223279.jpg東京都内には鎌倉に通じてるわけでもないのにかまくら~という道が幾つもありますが、これは東京メトロ地下鉄赤塚駅に程近い赤塚一番街の入り口にある騎馬武者像です。
鎌倉古道 至はやせ 至かまくら、とだけ書かれていてそれ以外の説明は一切ありません。
e0078674_8412152.jpg
区役所に問い合わせても、かつてこの地が鎌倉とどう関わり、何を記念して誰がこの像を建てたのか判らないとのことです。ちなみに、商店街の終わりにももう一体像があります。
とりあえずこれ以外に赤塚駅周辺で鎌倉時代について特筆することは無いので、愛機のベスパに跨り、かまくら道こと467をまっすぐ南下、江ノ島に行って来ました。
ここの一番偉い神様は通称『裸弁天』と呼ばれる一糸纏わぬ姿の女神様です。
e0078674_92238.jpg

何故裸なのか本当のことは判りませんが、想像するに、『着せ替え』が出来るように、躯体と衣装を別に作ったのではないでしょうか?
そのように勝手に解釈させて貰い、なんとなくご利益がありそうな気がしたので、今回初ブログ作成ということで御参りさせていただきました。
江ノ島に来てビールが飲みたくなったら、自販機じゃなくて地元の酒屋さんで定価で売ってるのでお買い得ですよ。
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# by sweetmitsuki | 2005-09-20 09:18 | 史蹟で歴史のお勉強 | Comments(1)