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mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
by sweetmitsuki
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どうして日本は戦争をしたの?

今年の8月15日の終戦の日、どうして半世紀前、日本は戦争をしたのかという事に付いて私なりの考えをこのブログで述べたのですけど、我ながらぐちゃぐちゃの内容で、いつもコメントをくださる方々からひんしゅくを買ってしまいまして、こんな事ではいけないと思い、新しく調べた情報を交えて、開戦の日を明日に控えた今日、もう一度この問題を考え直してみたいと思います。
とはいえ、たった半年しか経ってなくて同じ人間が考えてる事ですから、相変わらずの内容なのですけれども。

戦前の日本は高額納税者しか政治に関われなかったので当時の政治家はみんな富豪だったというイメージがありますけど、実際には今でいうやくざの親分といった人が少なからずおりました。
有名な人でいうと、平成に入ってからの総理大臣経験者でライオンヘアーがトレードマークのあの人のお祖父さんも、逓信大臣や衆議院副議長まで務めた代議士でしたが、ひと肌脱げばクリカラモンモンの地元では有名なやくざの大親分でした。
やくざの親分の国会議員だなんて、と、眉をひそめる人もいるかと思いますけど、江戸の昔には時代劇でもおなじみの町火消しと呼ばれる人々が防災はもちろん防犯も含め地域の安全を守っていて、それがそのまま明治に受け継がれてきたのですからやくざの親分がその町の代表であっても当時は何の不思議もなかったのです。
「町火消しの人たちは任侠者であってやくざと一緒にしてもらっては困る。」
そうおっしゃる人がいらっしゃいましたら語弊でした。
私がいいたいのは、当時は江戸に限らず例えば清水の次郎長親分のような任侠者が街の治安維持のために日々奮闘していて、それは明治維新のあとも変わらなかったという歴史的事実が、日本はどうして半世紀前に戦争をしたのか考える上で欠かせないのではないかと思うのです。

任侠とは、仁義を重んじ、困窮する他者のためには進んで身体を投げ出せる精神の事をいうそうです。
そして戦前の人々は、みな任侠心を持っていました。
そう考えれば、どうして日本は戦っても到底勝ち目のないアメリカと戦争をし、市井の人々はそんな軍部に拍手喝采を送ったのか納得がいきます。
弱きを助け、額に汗して働く人が報われる平等な社会を実現しようとしていながら、天皇という特権階級を認めていたのも、上下関係を重んじる任侠心があればこそなのでしょう。
現在では平等な社会の実現というと左よりの人の考える事で、天皇陛下を敬愛すべきだと考えるのは右よりの人で、正反対の考え方ですけど、当時は何の矛盾もなかったらしいのです。

もちろんこれは歴史という大きなものを見る一つの視点に過ぎません。
富士山だって甲斐で見るのと駿河で見るのでは違って見えるように、あの戦争は軍需産業で儲けてやろうと企む人たちが起こしたという見方も出来ますし、それも間違いのない事実です。
それに私は、あの戦争が任侠心溢れる人たちが起こした正義の戦争であったとしても、当時の軍部を肯定出来ません。
「男には戦わなければならない時がある。」なんて、よく考えもせずに言って欲しくないのです。
愛する家族を守るため、命すら投げ出す覚悟があったというのなら、戦う前に、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで欲しかったのです。
どうして日本は戦争をしたの?_e0078674_22505481.jpg

ブログで懇意にさせて頂いている方のコメント欄に、写真のないブログなんてクリープのないコーヒーのようだ(若い人には分かんないかも、いえ、私は分かりますよ。)とありましたので写真を。
記事と関連付けるのなら、スカイツリーは、今から65年前の1945年3月9日深夜から10日、東京大空襲のあった場所に建築中です。
東京大空襲の焼失面積は40平方キロメートル、犠牲者は10万人を超え、一晩のうちに亡くなった人の数でいえば広島に投下された原子爆弾を凌駕し、これは人類史上最悪の大惨事といって間違いありません。
このような凄惨な出来事の起きた戦争を、誰が正しくて誰が悪かったのか問う前に、本当に回避不能だったのかと私は疑問に思うのです。
歴史にifはタブーなのかも知れませんけれども、もしも時間を戻せるのなら、どうすれば戦争が起きなくて済んだのか、これからも私は考えていきたいと思います。

by sweetmitsuki | 2010-12-07 22:27 | 東京大空襲を忘れない | Trackback | Comments(4)
Commented by antsuan at 2010-12-08 12:11
それについては、藤原正彦の「一学究の救国論 日本国民に告ぐ」(文藝春秋七月号)に端的に書かれているように思います。つまり、一新興国の日本だけではどうしても避ける事の出来なかった帝国主義のうねりに飲み込まれないように、独立自尊の戦いをしたという事だと思います。日本は『他の大陸とは別の独特な文明』を築いていて、それを守ろうとしたのです。わたしは藤原正彦の論を支持します。
Commented by saheizi-inokori at 2010-12-08 13:07
任侠心ゆえに戦争を支持した?
鉄火の人たちは戦争で誰かを助けると言うよりにっくき敵をやっつける気持ちの方が強いかもしれませんね。
お上のなさることに四の五の言うなという気持ちもあったかもしれません。
でもやはり一番の犯人は軍部があげられると思います。
ずるずると自分で自分をコントロールできなくなった軍部。
暴力装置と云った仙石が責められていますがあの頃の軍部はたしかにそんな感じがあります。
それと本当のことを伝える使命を放棄して先頭に立って煽ったメデイアの罪も大きいなあ。
なんだか今またそんな気配がしてきました。
放送法の改悪、読売新聞社への財務省次官の天下り、小沢退治のヒステリックな論陣、、、大事なことから目をそらさせて何かをやろうとしているような。
Commented by sweetmitsuki at 2010-12-08 19:05
あんつぁん
三浦の大親分のお孫さんの事、今回初めて知りました。
まだまだ私の知らない事ばかりです。
文藝春秋七月号、早速書店でバックナンバー注文してみます。
Commented by sweetmitsuki at 2010-12-08 19:16
佐平次さま
やくざの親分が子分の前で恰好つけて畳めもしない大風呂敷広げるだけ広げてにっちもさっちも行かなくなった・・・
そんなノリであの戦争は起きたんじゃないかと感じるようになってきました。
日本人、とくに江戸っ子の良くないところなんですが、あんつぁんが言われてるように日本人独特のらしさというのが私は好きです。
良いところだけ残って悪いところは消えて欲しいのですけど、現実はその逆のようで、困ったものです。
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