mitsukiのお気楽大作戦

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カラスの羽根に書かれた国書

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コンビニで見かけたので、迷わず買ってしまいました。
日本と朝鮮はなぜ一つの国にならなかったのか
武光 誠 著
新人物文庫

どうして日本は韓国・北朝鮮と仲が悪いのかという事は、私が歴史に興味を持つようになったきっかけの一つなのですけど、それを私は日本が戦争中に悪い事をしたからだと思っていたのですが、この本によると、奈良時代からすでに仲が悪かったそうなのです。
朝鮮半島と日本列島を隔てる対馬海峡は、縄文人の丸木舟でも渡って行けますから、縄文時代から弥生時代、古墳時代あたりまでは、この周辺で暮らす人々は同じ文化を共有し、おそらくは同じ言葉を喋っていたのでしょう。
それがお互いに、国家というものを意識するようになってからは、時には友好的な関係を築き、時には刃を交わしていくうちに、どちらからともいう事なく相手を疎んじるようになっていったそうなのです。
それはどうしてなのかというと、この時代に日本と朝鮮が戦争をしなければならない状況に陥ったらどうなるかシュミレーションしてみるとよくわかります。
朝鮮から見て日本の国土がどれくらいなのか、当時の人には知る術はありません。
奈良の都の東に、どれくらいの人が住んでいて、どれくらいの田畑が拓かれていて、どれくらいの鉱山が眠っているのか皆目見当もつきません。
逆に日本から見れば、朝鮮の国土は一目瞭然です。
対馬海峡から中国国境までが朝鮮なのですから、兵士となる人民がどれだけいて、兵糧となる田畑がどれだけあって、武器となる鉱山がどれだけあるのかおおよその見当はつきます。
朝鮮としては、こちらの情報は筒抜けなのに相手の情報は分からないというのでは戦争になりません。

最近では、聖徳太子はいなかったという説が有力ですけど
「日出処の天子、書を没する処の天子に致す。恙なきや」
という国書を中国の皇帝に送ったのは事実です。
中国の皇帝はカンカンに怒りますが、すぐに思い直します。
辺境の少数民族が中華帝国を滅ぼすというのは、決してあり得ない話ではないからです。
日本の国土がどのくらいなのか分からないのは、中国も一緒です。
そこで中国は日本を「化外慕礼」の国として扱うようにします。
これは「王家の外から礼を慕って来る事」つまり中国の属国ではなく「皇帝の支配権の外から中国の徳を慕って朝貢する国」という意味です。

もしも古代において、ヨーロッパの国々がそうであったように、果てしない戦争を繰り返していたのなら、現在の日中朝韓関係は、まったく違うものになっていたのかも知れません。
でもそれは歴史のifですし、戦争はしないほうがいいのですから、今の状況を受け入れるしかないのでしょう。

表題の「カラスの羽根に書かれた国書」とはこの本で紹介されている「日本書紀」に記されたエピソードから拝借しました。

敏達天皇元年五月、高麗の使者は烏の羽根に墨で書いた国書を持ってきた。
黒い羽根に書かれた黒い文字は誰も解読することが出来なかったが、王辰爾ただ一人だけが、羽根を炊飯の湯気で蒸した後、柔らかい上等な絹布に羽根を押しつけて文字を写し取り、読むことが出来た。


何だかスパイの暗号文みたいで面白いです。
この話はたぶん、針小棒大に脚色された作り話なのでしょうけれど、当時の外交の様子を知る上で興味深いです。
外交とは今も昔も、お互いに騙し合い探り合う、武器を使わない戦争に他ならないのですから。
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by sweetmitsuki | 2010-12-24 21:15 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)
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Commented by saheizi-inokori at 2010-12-24 21:47
朝鮮や中国からみて日本の国土がどうなっているか分かりにくいというのは地の果てまで歩くわけには行かなかったという意味ですか?
Commented by sweetmitsuki at 2010-12-24 22:33
佐平次さま
中国人は、古くから朝鮮の国土が狭い事を知っていたようです。
属国と位置付けた理由の一つはここにありました。
そのため、日本人は中国の使者に日本が遥か東までつらなる広大な国だと信じ込ませようと必死でした。
これが、のちの黄金の国ジパング伝説の始まりだそうです。
実際、近世初期までの中国の地図やヨーロッパ人が作った地図には日本が実際の日本列島より遥かに大きな島として描かれていると、この本は指摘しています。
Commented by antsuan at 2010-12-25 09:00
「和をもって尊しと為す」、古代からの採集民族は死を恐れぬ神々との共存精神により、中華思想を見下していたのではないかと想像しています。
Commented by sweetmitsuki at 2010-12-26 10:00
あんつぁん
隋書の史記によれば、倭王の使者は中華の官爵には興味を持たず、ことさら中国と自国の違いを強調していたそうです。
「和魂漢才」の精神は、最初から日本人の中に存在していたようです。