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埼玉県・東松山市の高坂神社周辺で卑弥呼の鏡と伝えられる三角縁神獣鏡が発見されたとのニュースを聞き、早速行ってまいりました。
実は私は邪馬台国とは古代の中国人の想像上の理想郷に過ぎず実在しないと思っていたのですが、こうして物証が発掘されると、やっぱし肯かざるを得ません。 今回出土した三角縁神獣鏡は古代中国の魏王朝から卑弥呼に贈られた鏡で、埼玉地方の有力者がヤマト王権に貢ぎ物をし、その返礼として受け取ったものと考えられていて、本当なら3世紀の埼玉は邪馬台国と強い結びつきがあった事が証明されます。 三角縁神獣鏡とは実用品としての鏡ではなく死者を守護するための葬具で、畿内を中心に500枚以上が出土しているのですが、舶載鏡(中国で作られた鏡)なのか倣製鏡(日本で作られた鏡)なのかについては議論が分かれるところで、未だ結論は出ていません。 舶載鏡だという理由については ・「魏志倭人伝」に魏の皇帝が卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したとする記述がある ・当時の日本には青銅器を作る技術がなかった ・三角縁神獣鏡には漢字が刻まれている というものですが、倣製鏡だという理由として ・発掘された三角縁神獣鏡は500枚以上で魏志倭人伝の記述より遥かに多い ・中国本土では三角縁神獣鏡は一枚も見つかっていない というものですが、よく考えてみれば魏(中国)の皇帝が倭人と呼んで蔑んでいた国に対し、自国では使わない宝器をわざわざ作って寄越すというのは変なので、倣製鏡説に軍配が上がるような気がします。 しかしそうなると邪馬台国の人は漢文が読め、青銅器を作る技術があった事になりますが、もしも邪馬台国が本当に実在したのなら、それは不思議でもなんでもないと思います。 3世紀の中国は「三国志」に描かれているような戦乱の時代でした。 国を滅ぼされ故郷を失った人びとは、ある者は青銅器を、ある者は陶磁器を、そしてある者は稲籾を、手に持てるだけの財産を手に、粗末な筏船に乗り、遥かなる海へあてのない旅に出航したのでしょう。 彼らを見送った人は「あの人たちはきっと、争いのない平和な国に辿り着いたに違いない。」と夢を託し、邪馬台国という空想上の楽園を創り上げたのではないのでしょうか。 私が邪馬台国は実在しないと思っていたのもそういう理由で、「古事記」と「魏志倭人伝」がよく似ているのは遣唐使船で学んだ留学僧が「魏志倭人伝」を熟読していたからで、8世紀の日本人が理想としていた国造りのお手本は、唐の首都長安ではなくて幻の国、邪馬台国だったのでしょう。 ですが3世紀の中国のボートピープルが本当に東の果ての海の小さな島の国、邪馬台国に実際に辿り着いていたのだとしたら、彼らが漢文を読み青銅器を作る技術を持っていたとしても辻褄が合います。 ところで卑弥呼は超能力者だったという伝説があり、ファンタジーの題材としては面白く、私もそういうのは嫌いじゃありませんけれども、子供向けの学習雑誌にまでそういう事を書くのはどうかと思います。 「魏志倭人伝」によると邪馬台国は30人ほどの族長による連邦国家でした。 族長たちの中には日本の先住民もいたでしょうし海外からの移住者もいたでしょう。 彼らはもちろん平和を望んでいましたが、しょーもない男の性で、事ある毎に「いちばん偉いのは俺様だ。」といっていがみ合っていたのではないのでしょうか。 そんな彼らを諭すため、女性である卑弥呼が女王となり、平和に導いたに違いありません。 実在の卑弥呼は超人的な能力を持った近寄り難い存在ではなく、人間的な魅力に溢れた親しみやすい女性だったのでしょう。 おまけ 鶏ではなく豚肉を味噌だれをつけていただくのが東松山流。 ジューシーな肉汁たっぷしで卑弥呼もビックリの美味しさ。 生憎のお天気だったのでバイクではなく電車で出かけたので、ビールも一緒にいただいてしまいました。
by sweetmitsuki
| 2011-11-06 19:12
| 古代史でポン
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Comments(4)
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saheizi-inokori at 2011-11-06 19:30
倣製説を採るにしても中国に見つからない理由が分からないなあ。手本になるものがあるはず。
東松山の焼き鳥、豚だったと思いますが旨かった。今も?また行きたいけどちょっと遠い。大宮にもありますね。
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sweetmitsuki at 2011-11-06 20:58
佐平次さま
鏡そのものはもちろん中国にもあるのですが、葬具として用いる習慣が日本独自のもので、紐を通すための孔がわざと塞がれているのが特徴だそうです。 東松山では他にも吉見百穴とか見て回ったのですが、やっぱしバイクでないと機動力に欠けます。でもちょっと遠いですね。
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antsuan at 2011-11-18 22:33
鏡って三種の神器の一つですよね。それだけでもヒミコは天照大神に近い人物と思われますし、ヤマタイ国も現実に存在していた国と思っていいのではないかと思います。
三角縁神獣鏡はもともと贈答用とするために製造年月日風の漢字を入れたのであって、チャイナにその年号や様式文様がなくてもなんら不思議なことでないという説があります。 つまり、ヤマタイ国はすでにチャイナの王朝レベルの文化を有していて、日本を支配していたと考えていいのではないでしょうか。
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sweetmitsuki at 2011-11-19 06:48
あんつぁん
日本人は縄文の昔から高度な航海技術を持った海洋民族であるという事を念頭に置いて考えなければこの謎は解けないような気がします。 「魏志倭人伝」によれば邪馬台国は投馬国から水行なら十日、陸行なら一月とあり、東西南北を無視すればちょうど東京近郊に辿り着く計算になります。 邪馬台国が実在したとするならば、畿内のみならず関東や東北も支配下に置いていたのかも知れませんよ。
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