縄文から弥生、そして古墳の時代へ

e0078674_21462630.jpg1981年に二階堂学園顧問の鈴木正和氏は「邪馬台国に謎はない」(新人物往来社刊)で、邪馬台国=安房説を主張しています。
鈴木氏によると、この時代に方角は太陽の動きによって決めていたはずだから、現在の地図上の方角とはずれており、里程の記述をふまえると「水行十日陸行一月」を進むには東海道を通るしかなく、日数的にいえば邪馬台国は安房の館山にあると述べています。
というわけで、館山に行ってきました。
正直いって、館山には邪馬台国と関連付けられるような遺跡はないのですが、敢えて挙げるのなら安房神社がそれに該当するんじゃないでしょうか。
平安時代中期に編纂された神社の格式を記した「延喜式(えんぎしき)」では名神大社に列し、安房国一宮(いちのみや)として長く信仰を集め、明治の官制では官幣大社に列した安房神社の境内からは縄文時代の洞窟遺跡が発見され、付近を流れる巴川と大塚山との間には貝塚があり、祭祀に使われたとみられる土器が多数出土しています。
神社の境内から縄文時代の遺跡が発掘されるのは別に珍しいことではなく、むしろ創建のわからないほど古い神社は縄文時代の遺跡の上に建てられているのが普通なのですが、安房神社の場合、縄文から弥生そして古墳時代の遺物が連綿と出土しているのが特徴です。
つまり、縄文時代に聖地として崇められていた場所が、大きな争いがあったような痕跡もなく弥生時代から古墳時代、そして現代へと受け継がれているようなのです。
e0078674_22214234.jpgさて、縄文時代と弥生時代はどう違うのかというと、これは土器が違うのですが、縄文人は火焔土器のような奇っ怪な土器を日用品として使っていたのではなく、生活に密着した土器はそれなりに機能的でシンプルな形をしていましたし、左の画像のように弥生式土器(千葉県佐倉市・天神前遺跡出土、国学院大学所蔵)にも縄文が施されているものはたくさんあります。
縄文式土器は野焼きで弥生式土器は窯で焼かれているという説もはっきしとはしておらず、縄文時代後期には窯で焼かれた土器が作られていました。
その他、農耕や稲作も縄文時代にはすでに行われていて、教科書に書かれているような先住民の縄文人を開拓民の弥生人が滅ぼしたという今までの定説はどうやら間違いのようなのです。
特に南房総は気候が温暖で食べるものに不自由することがなかったので、大きな争いも起こらなかったのではないのでしょうか。
一方、弥生時代と古墳時代はどう違うのかというとこれはドラスティックで、3世紀の中ごろそれまでバラエティに富んでいた地方の支配者の墓は、ある日突然前方後円墳という決まった形をした墳墓になります。
それも、北は東北から南は九州という極めて広範囲でです。
この時何が起きたのかについて「記紀」には何も書かれていないのですが、「魏志倭人伝」にはとても興味深いことが書かれています。
邪馬台国の建国と、前方後円墳の出現はピタリと一致するのです。
e0078674_22554974.jpg邪馬台国の比定地として挙げられている畿内にしても九州にしても半島で、波の穏やかな湾があり漁場に恵まれていることと、外洋に乗り出せる海上交通の利便の良さがあるのを見逃すことはできないでしょう。
それならばやっぱし千葉県に邪馬台国があったとしても何の不思議もないのではないでしょうか。
実際、醤油の醸造で千葉県は古くから紀伊半島と密接なつながりがあったのはよく知られていますし、日本の醤油のルーツは大陸ではなく東南アジアの魚醤にあるそうですから、太平洋の潮流を古代人はうまく利用して幅広い文化圏を築いていたのでしょう。

さて、館山に来たからには地魚を握ったお寿司を食べないわけにはいきませんね。
これは私が食いしんぼだからではなく、魏志倭人伝に「今倭人好沈没捕魚蛤」と書かれているので比定地でどんな地魚が揚がるのか検証する必要があるのです。
館山駅前にある寿し甚さん(詳しくはコチラ)で地魚寿しを頂きました。
画像左上から金時鯛、金目鯛、真鯛、烏賊、鯵、左下から穴子、鮪、勘八、鮃、鮑。
観光協会で発行しているパンフレットを持参するとさんが焼きとアラのお吸い物の特典サービスが受けられます。
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美味しい地魚とくれば美味しい地酒を頂かなければいけませんね。
房総の地酒、亀田酒造さんの寿萬亀(詳しくはコチラ)を頂きました。
お米のいい香りがたまらない、卑弥呼もご満悦の一杯。
これも私が呑兵衛だからではなく、魏志倭人伝に「人性嗜酒」と書いてあるので比定地での醸造文化を調査する必要があるからです。
つまりは勉強のためです。いやー勉強はつらいなー。
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by sweetmitsuki | 2012-07-15 22:01 | 古代史でポン | Trackback | Comments(4)
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Commented by saheizi-inokori at 2012-07-16 09:58
辛いことに耐えなければダメですからな。
山中鹿之助の墓に参ってきましたよ。
Commented by sweetmitsuki at 2012-07-16 21:06
館山のもう一つの名物、くじら料理も食べたかったのですが、お腹いっぱいで諦めてしまいました。
千葉は美味しいものがたくさんありすぎて目移りしてしまうのがつらいです。
願わくば我に七難八苦を与え給え~。
Commented by antsuan at 2012-07-23 06:41
どう考えても日本人は海洋民族だったといえます。とすれば、何処が拠点と見なしてもいいように思います。
基本はいろんな神々がまとまって出来た国ということですね。しかし此れこそ大陸の民族が出来なかった素晴らしいことでもあります。
いやいや、ローマ帝国はそれが出来たからこそ長い平和が保たれたのでした。
Commented by sweetmitsuki at 2012-07-24 06:32
「邪馬台国」「やまと」とは単に都市を指す言葉で、現在も全国各地にたくさんの「大和」という地名があるように、古代にもたくさんの邪馬台国があったのかも知れません。
ローマ帝国にしても地中海の豊かな海の恵みと海上交通の利便の良さを基盤にに繁栄したのでしょう。
今の日本に欠けているのは、日本人は海洋民族だったという意識なのではないのでしょうか。
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