人気ブログランキング | 話題のタグを見る

mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
by sweetmitsuki
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
最新のコメント
記事ランキング
カテゴリ
フォロー中のブログ
ライフログ
検索
タグ
以前の記事
ブログジャンル
画像一覧

例えば非科学的なことも信じてしまう夕暮れ刻には

例えば非科学的なことも信じてしまう夕暮れ刻には_e0078674_20384321.jpg東京というところは意外なほど起伏に富んだ土地で、名前がついてるだけでも23区内に700以上の坂があります。
どれもその土地にちなんだ名前で呼ばれているのですが、いちばん多いのは「富士見坂」でその数は、もう呼ばれなくなった坂も含めれば20以上です。
昔は空気もキレイで視界を遮るものも少なかったでしょうから、ちょっとした丘の上ではさぞや見晴らしが良かったのでしょう。羨ましい話です。
それから海が近かったですから「汐見坂」も多く、昔は空気もキレイで視界を遮るものも少なかったでしょうから、ちょっとした丘の上ではさぞや見晴らしが良かったのでしょう。羨ましい話です。
意外にも多いのが「幽霊坂」で「乃木坂」など後の時代に改名された坂も含めればかつては10以上の「幽霊坂」があったそうで、富士山が見えるから「富士見坂」海が見えるから「汐見坂」とくれば「幽霊坂」では幽霊が見えることになり、昔は空気もキレイでちょっとした丘の中腹には奥深い森が広がってましたから、さぞや沢山の幽霊が出たのでしょう。うらめしい話です。
「冗談じゃない。幽霊が出るなんて、そんなとこ、頼まれたって行くもんか。」
そう考えるのは現代人の発想で、昔の人は出来ることなら生きてるうちに幽霊をこの目で見たいと思っていたらしいのです。
別に怖いもの見たさの肝試しのようなアトラクションではなくても、すでにこの世の人ではなくなってしまった人と、できることなら再会し、積もる話がしてみたい、そう思ったことはないでしょうか。
幽霊が恐ろしく感じられるようになったのは明治になってからのことで、戦争もなく平和な時代が続いていた日本では死はすべての終わりでもなければ忌むべきことでもなくこの世からあの世へ引っ越すというだけのことだったのでしょう。
例えば非科学的なことも信じてしまう夕暮れ刻には_e0078674_21293759.jpg今回訪ねたのは神田・駿河台にある、我らが聖地アキバから総武線の鋼鉄のアーチ橋を潜りニコライ堂へと向かうコースの中にある幽霊坂です。
ニコライ堂から聖橋を渡ると湯島聖堂と神田明神がありますから、ここは和洋中を問わず霊的に特別な場所なのでしょう。
さらに最寄りの駅の名前は水質の良い湧水に恵まれた土地を示す「お茶の水」ですから、遥か古代からこの地が聖域として崇められてきたに違いありません。
あの世とこの世を行き来する道の入り口は、現在も東京に数多くある幽霊坂のどこかにあって、そこへ行けば懐かしい故人に出会えるのではないでしょうか。
もしかしたら二度と戻れなくなってしまうかも知れませんが、それはちょっと訪れるのが早まったというだけの話で、どうせそのうち行くのですから大した問題でもないのでしょう。

by sweetmitsuki | 2013-02-24 22:22 | お出かけドリフト | Trackback | Comments(2)
Commented by saheizi-inokori at 2013-02-24 22:31
亡妻が死んですぐにはなんとか幽霊に会いたいと思いました。
見知らぬ幽霊でもいいからあの世のことなど聴きたかったのです。
幽霊坂って歩いていたけれど、名前は知りませんでした。
Commented by sweetmitsuki at 2013-02-25 05:53
佐平次さま
私も高校を出てすぐ一人暮らしを始めたころ知り合った人が、すでにこの世の人ではないと風の便りで知り、学校や勤め先が一緒だったわけでもなければ実家も知らず、すでに亡くなってから何年か経っていてお別れの挨拶もできなかったので思い出深いアキバ近くの幽霊坂まで出向いてきました。
あの世に行っても、アキバからこの世へアクセスできるなら、ネカフェもマンガ喫茶も24時間営業してる店がたくさんあるので不自由しなくて済みそうです。
名前
URL
削除用パスワード
<< 人の手による地獄の業火に焼かれ... 朝鮮のデボルムと日本のひなまつり >>