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mitsukiのお気楽大作戦


手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
by sweetmitsuki
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なんじゃもんじゃの木の下で

なんじゃもんじゃの木の下で_e0078674_19514710.jpg3世紀のはじめ、中国を統一していた漢が滅びると、魏・蜀・呉の3国が互いに争う時代が訪れます。
4世紀半ばになるとそれに呼応するように朝鮮半島でも高句麗・百済・新羅の3国による争いが始まります。
その頃日本はどうだったのかというと、はっきりした資料がないので勝手な想像ですが、魏志倭人伝(西暦266年ごろ)には「倭人は男も女も子供も年寄りもお祭り騒ぎと酒が大好きである」と書かれているので、たぶんお気楽に暮らしていたのでしょう。
なんじゃもんじゃの木の下で_e0078674_20491048.jpg7世紀になると再び中国全土を支配する大帝国、唐が現れ、唐と新羅の連合軍によって朝鮮半島は統一されます。
そのとき、罹災した多くの人々が戦禍を逃れ日本に亡命して来ました。新羅に滅ぼされた高句麗の王、若光もその一人で、大和朝廷の女帝、元正天皇に現在の埼玉県日高市にある高麗郡を下賜され、この地に永住します。
JR高麗川駅から歩いて15分の地に建つ聖天院は高麗一族の菩提寺で、高麗神社には若光が主祭神として祀られています。(高麗神社のHPはコチラ)韓民族の参拝者が多く、周辺の案内書はすべてハングルが併記されていました。
なんじゃもんじゃの木の下で_e0078674_20563029.jpg門前を流れる高麗川にはカワセミが見られ、参道では韓国のラストエンペラー李垠殿下と王妃方子さまお手植えの植樹が訪れる人を見守っています。
方子さまの物語は昨年11月、フジテレビで管野美穂さん主演のドラマ「虹をかける王妃」が放映されたばかりなので、御存知の方も多く、大きく成長した樹を見上げていました。(私はドラマ知りませんでして、方子さまの波乱に満ちた生涯はコチラで知りました。)
境内の絵馬を失礼とは知りつつ写真に撮らせて貰いました。ハングルは読めないのですが大体の意味は分かります。
願いが叶う日が一日も早く訪れるといいのですけど。
なんじゃもんじゃの木の下で_e0078674_20473171.jpg


by sweetmitsuki | 2007-01-07 20:55 | 史蹟で歴史のお勉強 | Trackback | Comments(7)
Commented by 未来を憂う民 at 2007-01-08 00:20 x
日韓併合当時の皇民化政策で耐え難い苦汁を呑まされた韓民族が日本の神社に参拝するなんて、在り得ない事です。

中国侵略遂行の為植民地であった日本政府は「内鮮一体」のスローガンをつくり朝鮮文化を徹底的に否定しようとしました。

古代から多くの人々が日本に帰化していたとすることは「内鮮一体」すなわち、日本と朝鮮は一つの国であると歴史的に証明することになるとされました。若光はその象徴的人物とされたのでした。

こうした意図をもって高麗神社が建てられたのは明白です。
Commented by mitsuki at 2007-01-08 07:06 x
境内にはその時代を代表する政治家からの献木が沢山あり、おっしゃる通りそういうプロパガンダに利用された時代もあったのでしょうね。
首都圏にお住まいの方でしたら、是非一度足を運んでみてはいかがですか。美しい自然が広がる風光明媚な観光地なので、ハイキングにぴったりですよ。
韓流が単なるブームではなくこの国の大地に深く根を張っている事が肌で感じられると思います。
素敵な未来が見えてきますよ(はあと)
Commented by mitsuki at 2007-01-08 07:18 x
魏志倭人伝からの引用は「その俗挙事行来に、云爲する所あれば、(中略)火タクを観て兆を占う。 その会同・坐起には、父子男女別なし。人性酒を嗜む。」の記述をかなり強引に現代語訳しました。
邪馬台国については今だ謎が多く不在説もあるくらいですから、これは私の勝手な、願望も込めた想像という事で。
Commented by saheizi-inokori at 2007-01-08 10:23
プロパガンダに利用されるのは宗教の宿命かもしれませんね。
自分たちの神社に詣でた人たちの心の深層は知るべくもありませんが。
南北統一について全く同感です。第二次世界大戦で日本が分割されていても不思議ではなかったと考えるとなおさらです。
Commented by antsuan at 2007-01-09 09:18
歴史を残すと云う意味では宗教は重要な役目を担っていると思います。もちろん真実かどうかは別として。南北分断された平和と併合された平和とどちらがよかったか。そういう比較をしてみることも無意味ではないと思うのです。
Commented by mitsuki at 2007-01-09 21:45 x
佐平次さま
在日韓民族慰霊碑(写真右の塔)の前では一緒に居合わせた家族連れが突然ハングルで喋りだしドキッとしました。
朝鮮半島との古くからの関係を観光の目玉として町おこしに使う市町村は他にも沢山あり、時代は少しずつ良い方向に向かっているようです。
南北統一が実現して在日の人が皆故郷に帰ってしまったら、それはそれで少し寂しいのですけど。
Commented by mitsuki at 2007-01-09 22:01 x
あんつぁんさま
時代を元に戻す事も死んだ人を生き返らせることも出来ないのですが・・・
李垠殿下は日本の明治維新を倣おうと伊藤博文に説得され日本に留学してきたのですが、伊藤博文が志半ばで凶弾に倒れ、韓国の立憲君主制国家樹立は実現しませんでした。
「伊藤公が生きていれば・・・」が李垠殿下の口癖だったそうです。
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