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稲作は朝鮮半島から齎されたと云われていますが、私はこの説には懐疑的です。
何故かというと、今でこそ米の収穫高日本一は北海道なので(詳しくはコチラ)ピンと来ないかも知れませんが、もともと稲は亜熱帯性の植物で、古代から朝鮮王朝の首都であった平壌では、当時の品種改良されていない稲は緯度が高すぎて育たなかった筈だからです。 実際、20世紀になって日韓併合のわずか30年余りの間に日本主導の土地改良によって朝鮮半島の米の収穫高はおよそ2倍に膨れ上がっています。 日本の前方後円墳の北限は仙台で、恐らくはここが当時の稲作の限界だったのでしょう。当たり前の話ですが、稲作が不可能な地域に稲作文化が浸透する筈がありません。 日本全国に稲作が普及したのが何時頃なのかは分かりませんが、北海道の造り酒屋、男山では、およそ300年前には江戸の著名人が愛飲していたという記録があるんだそうです。(詳しくはコチラ) さて、ここからは前回の続きの渡辺正一さんの著書、皇室入門のイチャモンです。 農業国家にとって重要なのは「種」である。作物は田畑に何の種を蒔くかで決まる。稲を蒔けば稲が生え、麦を蒔けば麦、稗なら稗が生える。 いくら一生懸命に育てても雑草が稲になることはなく、米も獲れない。ここから「種」こそが最も大切であるという強烈な意識が生まれた。 日本の皇室が、男系すなわち「種」を重んじるのはこのためである。 渡辺さんはこのようにおっしゃっていますが、先述の通り、稲という神懸り的な作物が日本を豊かにしたのではなく、むしろ先人たちの血の滲む様な努力によって日本の気候風土に適した「種」が創られたのです。 まさに、伝統とはその時代で創意工夫しながら、大事な本質を維持しようと格闘してきた結果が伝統なのではないのでしょうか。 皇室の伝統について、私の如きが意見するのは畏れ多いので、今上陛下の記者会見での御言葉を引用させて頂きます。 天皇の伝統的在り方にふさわしい公務を私は務めていますが、これらの公務は戦後に始められたものが多く、平成になってから始められたものも少なくありません。社会が変化している今日、新たな社会の要請に応えていくことは大切なことと考えています。(原文はコチラ) 女性天皇が生涯独身で過ごしたのは藤原氏が摂関政治によって権力を掌握するためで、別に明文化した決まりがあった訳ではないですし、明治に作られた皇室典範も、伊藤博文ら長州の元藩士らが勝手にこさえたもので、皇室の家法ではないのですよ。
by sweetmitsuki
| 2007-01-22 22:48
| ぬくぬく引きこもり記
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