mitsukiのお気楽大作戦

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2010年 12月 09日 ( 1 )

遊びをせむとや生まれけむ

ブログ仲間のあんつぁんから藤原正彦の「一学究の救国論 日本国民に告ぐ」(文藝春秋七月号)を読むよう勧められ、早速書店にてバックナンバーを発注したのですけど、抜粋ならネットで読める事を発見し、愕然。(読みたい人はコチラ
読んでみての感想ですけど、確かに日本は『他の大陸とは別の独特な文明』を築いていましたが、それを誇らしいと思うかというと、正直ちょっと首を傾げてしまいます。
誤解のないよう言っておきますけど、私は日本が好きです。
畳の部屋はやっぱし落ち着くし、和服を着れば凛とした気分になれますし、世界中のどの絢爛豪華な御馳走珍味よりも、ご飯とみそ汁の食事のほうを美味しいと感じます。
そして何より、日本のマンガやアニメやキャラものが大好きです。
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でも、それを誇らしいと思うかどうかは別物だと思うのです。
だいたい日本という国は、神話である古事記からブッ飛んでいます。

天の岩戸の前でヤオヨロズの神々がどんちゃん騒ぎをはじめ、女神がノリノリで踊り出し
「胸乳掛き出で裳紐を女陰に忍し垂れ」
神たちはどっと笑った。

世界中の神話・創世記をすべて知ってる訳ではありませんが、裸踊りで夜が明けたというのは日本だけではないのでしょうか。
平安時代になると遣唐使船が廃止になり、かなという簡体文字が生まれ、国風文学が生まれるのですが、これが世界に誇れるものかというと、やっぱし首を傾げてしまうのです。
平安文学を代表する作品といえば清少納言の枕草子がその代表ですけど、「春はあけぼの」というイントロが有名なので、全編にわたって移ろいゆく四季の美しさが描かれているのかと思ったら大間違い。
どこぞのお局がいけ好かないとか、話題のイベントがどーとか流行りのファッションがこーとか、今どきのOLが書いてるブログのような内容でほぼ埋め尽くされているのです。
もちろん、その観察力の緻密さ、着眼点の鋭さは、千年の時を経て色褪せる事のない大天才の成せる業ではあるのですけど。
遣唐使船をやめてしまった事により、仏教も日本独自のものに変化していきます。
鎌倉時代に吉田 兼好が書いた「徒然草」というエッセイがあるのですけど、後二条天皇から六位蔵人に任じられ、為世門下の和歌四天王の一人にも数えられた高僧が書いたものだから、悟りを開いた聖人の幽玄の境地が描かれているのかと思ったら、これまた大間違い。
「人が煩悩を捨て去るのは不可能である。」と、断言しちゃってます。
美しい女性に見惚れ、好きなもの食べたさに散財し、他人から見れば下らないとしか思えない事に一生を費やすのが人間なのだと言ってしまえばそれもまた真理なのですけど、戒律の厳しい他の仏教国の人が読んだらどう思うのでしょうか。
時代は下って江戸時代になると大衆文化が華開きますが、例えばその頃の卑猥な歌に

「称徳は崩御、崩御と勅(みことのり)」

というのがあって、これは奈良時代の歴史を知らなければ意味が分かりません。
落語の演目にも「ちはやぶる」とか「一目上がり」とか、かなり高度な教養がなければ笑えない噺は幾つもあるのですけど、だからといって内容が高尚なのかというとそうでもなく、くだらないのが多いです。

繰り返していいますけど、私はそんなくだらない日本文化、日本文明が大好きです。
でも、それを誇りに思えるのかというと、やっぱし首を傾げてしまうのです。
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by sweetmitsuki | 2010-12-09 21:36 | ぬくぬく引きこもり記 | Trackback(1) | Comments(6)