1 2018年 02月 16日
![]() 金時鐘 著 岩波新書 刊 私は時折、機械になりたいと思うことがあります。 自分の意志や感情を持たないで、ただ与えられた勤めを、寿命が尽きるまで働き続けられたらどんなにか楽だろうと思うのです。 ですがそんなモノになれるはずもなく、仮になれたとしても、苦しみ悲しみを失うことで、楽しみ歓びを失うのならそれは代償が大きすぎます。 「人生楽ありゃ苦もあるさ」とはいいますけど、苦のほうが楽よりもだいぶ多くても生きていくしかないのが人生です。 東アジアの近代史については、幾つか本を読んだことがあり、それ相応の知識もあれば、目を覆いたくなるような耳を塞ぎたくなるような鼻を抓みたくなるような惨劇にもそれなりの免疫があると思ってたのですが、甘かったです。 ページをめくるたびに指が重くなり、終いには動かなくなってしまいました。 著者の金時鐘氏が救世主のように崇めていた朝鮮共産党の書記長、朴憲永氏が金日成によって処刑された項でとうとう力尽き、ページを閉じてしまいました。 戦争で死ぬのも嫌ですが、それでも敵のすることなら、鬼畜の所業と諦められるのかもしれません。 ですが昨日まで仲間だと信じていた盟友に欺かれ裏切られ陥れられ濡れ衣を着せられて弁明の機会も与えられぬまま処刑されるというのはどんな気分なんでしょう。 さらに救いようがないのは、この出来事が遠い昔のことでもなければ遠い彼方のことでもなく、今は決着して平穏に無事に過ごしているわけでもないということ。 繰り返すようですが戦争は本当に嫌なのですが、では戦争をなくすために何が出来るのかというと何もできないわけで、せめて本ぐらいは読めるだろうと思い読み始めたのですが、それすら出来ませんでした。 最後に本を斜めにしてみたのですが、まだ半分も読んでませんでした。 ▲
by sweetmitsuki
| 2018-02-16 21:27
| 朝鮮の○○と日本の××
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2018年 02月 07日
![]() 集英社新書 刊 金時鐘、佐高信 著 京浜急行はトンネルが多く景色を眺める楽しみがないぶん読書に向いてます。 おかげで文庫本が読めてしまいました。 在日朝鮮人の爺さんがえらい過激な人で 「リベラリストが演歌なんか歌うたらアカン。」と、最初からまくし立ててます。 私も演歌は、曲はともかく歌詞は苦手で、リベラルを自負してるような人が「あなたにあげるわたしをあげる♪」なんて、「君」に「私」を捧げることを美徳とする歌を歌うのはおかしい。それは戦前の皇国史観そのものじゃないか。と、以前から感じていました。 「日本はアカン。演歌もアカンし時代劇もアカン。何もかもがアカンのや。」 対する日本人、佐高信氏が 「申し訳ない。私も演歌や時代劇が大好きなんですよ。誠に恥ずかしい。」と、平謝りに謝り続けているうちに変化が見えてきます。 「佐高さんのような人が謝らんでもよろしい。それに、一億総懺悔を取り付けたところで、朝鮮人の問題は朝鮮人の問題として残る。」と彼が日本人の耳目にさらしてはならないと自分の奥に仕舞い込んでいたことをだんだんと吐露してくるのです。 それはまるで、テコンドーVS柔道の異種格闘技を見ているようでページをめくる手にも汗を握るものがありました。 ![]() 「朝鮮人を悪し様に言う蔑みの最たる言葉に『にんにく臭い』というのがありましたが現在のように韓流グルメブームが日本中に広がりますと『にんにく臭い』はもう死語になった。僕の知るところでは僕よりもお構いなしににんにくを食べる日本人がたくさんいます。もし在日定住者の先代たちが『にんにく臭い』と言われるのをはばかって漬物にたくわんやおしんこを食べ、にんにくの匂いを遠ざけていたとしたら、今の状況はなかったでしょうね。」 「文化というと人は華やいだ知的なものを思い浮かべるかと思いますけど、僕は文化とは衣食住そのものだと思います。 より良く着る、より美味しく食べる、より良く住む。 本当に文化とは特別なものなのです。ですので、受け入れた人々の間で豊かになっていく。」 ![]() せっかくなのでいつものチーズ稲荷にキムチを混ぜてみました。 こうすることで今流行のチーズタッカルビのような味になるのです。 コチュジャンの代わりにキムチ、鶏肉の代わりに油揚げといった簡単でヘルシーな組み合わせ。ピリ辛のキムチをチーズがまろやかに包み込み、お酒の共にもごはんのおかずによく合います。 ▲
by sweetmitsuki
| 2018-02-07 06:26
| 朝鮮の○○と日本の××
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2017年 09月 28日
![]() いつの間にか彼岸花が咲いていました。 彼岸に咲くから彼岸花というのか、彼岸花が咲くから彼岸が来るのか、どうなんでしょう。 思えば去年の彼岸花を見て以来、一時間が数か月に感じるときもあれば逆に数か月がほんの一瞬に感じられるときもあったので、あれから本当に一年という歳月を経たのか、今になって考えてみるとどうにも実感がわきません。 もしかすると、気まぐれに彼岸花が咲くのを見て勝手に一年が経過していると思っているだけなのかもしれません。 ただ一つわかっているのは、今年見た彼岸花も去年見た彼岸花も、そして幼いころに見た彼岸花もそれは寸分違わぬ同じ花であることだけです。 去年咲いた花が散り、そして今年また花が咲いて散り、そしてさらに来年また花は咲いて散る。それを未来永劫にわたって繰り返す。それが花という生き物の運命なのでしょう。 だとすると人間という生き物も、束の間の平和を享受したと思いきや、つまらぬことで諍いをはじめ、分けあえば余るものを奪い合い、そしてお互いが疲れ果てて動けなくなるまで争い続ける、そんな運命の生き物なのかもしれません。 人の歴史と植物の生育を比べて、花という時季が平和に例えるのが正しいのか戦争に例えるのが正しいのか、そんなことはわかりませんが、とにかく私は戦争なんかで死にたくないのでそうならないためにはどうすればいいのか、生き残るための道を選ばなくてはいけません。 ![]() ルポ 思想としての朝鮮籍 中村一成 著 岩波書店 刊 この本を読んで、私も少しは冷静になることは出来ました。 この本を推薦して下さった方に感謝感激です。 ですが、北朝鮮のミサイル&核実験許すまじ。アベVSコイケ勝つのはどっちだ。と、みんなが狂乱してる最中、ひとりだけ冷静でいるというのも辛いものがあります。 ▲
by sweetmitsuki
| 2017-09-28 21:36
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